2012年12月30日日曜日


一日早いですが、早めに新年のご挨拶をもうしあげます。
皆様にお手伝い頂き、何がしかの復興のお手伝いができたと思います。
安倍政権が発足し、福島担当の大臣がついた事は、何か復興の進歩がありそうだと感じております。 福島だけではなく、岩手、宮城、福島、茨木、千葉等震災で被害を受けた県が一日も早い復興のつち音が響きますよう、心からお祈り致しております。

これは今年スケッチに行ったとき、偶然に仙台の荒浜で日の出を撮影することができました。 海上から太陽があがり海に反射する撮影チャンスはあまりないのですが、たまたま仙台湾で撮影ができました。
砂浜も綺麗になり、ただびっくりしたのは復興のために大型のトラックが砂浜に道路を作り運行していたのにびっくりでした。
元日もこの画像でお許しください。

2012年12月22日土曜日

津波のパワーに驚かされる


このスケッチは釜石市の根浜海岸、大槌町の隣の湾にある、学校のそばの桜の木がボッキり津波で折られて、無くなった木だ。 その後ろは同じく桜の木だが少し細く、これも同様に切断されていた。 津波が大変強いところは根こそぎ持ち去られないで、このように切断されてしまう津波のパワーに驚かされてしまう。
塩釜でボランティアをしていた頃、七ヶ浜海水浴場では、海岸に植えてあった松ノ木がこれと同様何本も一気に切断されていたのを記憶している。

今日は大分県中津市は雲に覆われ、朝から小雨が継続的に降り続いている。 従って外の仕事をすることなくj、食事準備や、クリスマスの食料の買い出しにお付き合いしていた。 午後からは耶馬溪の奥で柑橘類を栽培している農家に柚子をもらいに行った。
これらは既に出荷は終わったので、傷がついたり、冬至以降はユズもあまり出ないので、もらって行って良いと言われたのでもらいにゆきました。 柚木にハシゴを直にかけて、自分で収穫した。柚子の木には鋭い刺が沢山あるので、最大の注意を払いながら収穫した。 手袋は軍手では全く役にたたず、皮の収穫用手袋を借りて収穫した。 明日はこれを持って長崎のカトリック診療所に差し入れにゆきます。 雪が降らなければ良いがと少し心配中です。

2012年12月21日金曜日

鵜の住居交差点ん前の鉄筋ビル




このスケッチも岩手県釜石市鵜の住居地区の一番目立つ国道45号線の交差点にまだ、手つかずで、残されているからすごい。 何のためのビルかは定かではないが、車で大槌町から釜石方面に来ると3差路の正面、そして信号があるから、車で止まって見ることになる。
津波は鵜の住居地区の堤防を破壊して侵入し、スケッチからお分かりの通り3階まで侵入し1、2階を大きく破壊。 同時に周囲の住宅地を壊滅的に破壊していった。鉄筋のビルはそれでもまだ10軒ほど残っているだろうか、それと釜石方面に向かう住宅街を破壊しているので、解体されずに残された住宅や事務所等の建物がまだ少し残っている。

大分県今日は朝から雲が垂れこめ、暗い朝だった。冬至のためだろうか一番夜の長い日で、明日から少しずつ明るさがましていくのだろうか。 
この大分県は冬至でかぼちゃを食べ、柚子湯に入るそうだ。 今日は地元の農家の方が、柚子湯に入りなさいと、10個もくだされた。

今朝から運悪くまたエアコンが動かなくなり寒い思いをした。 仕方がないから、仕事が終わってから早速もらった柚子を浮かべてお風呂に入った。 残念ながら、現在自分の嗅覚が悪く、あの柚子の良い香りが嗅げないのがつらい。

それでも今日はエアコンが動かないので、体を温めるために柚子の入った風呂を2度味わうことにした。
お湯を貯め終わる頃、運良くエアコンが動き出した。『どうして?』全く分からない。 今日は50回ほどリモコンのスイッチを動かしただろう。 冷房にしたり、暖房にしたり、除湿にしたり、ありとあらゆることをしてみたが。反応は全くなかったが、風呂のガスを使いだると動くのか? 前回も同じだったような気がする。 『なぜだ?』

申し込んだので、明日以降修理に来てもらうことにしている。

2012年12月20日木曜日

鵜の住居消防署


このスケッチは岩手県大槌町から仙台方面に下りた町で、町自体の解体が進み、鉄筋コンクリートの建物が数軒残る地区で、鵜の住居(うのすまい)と言うところだ。これは釜石の消防署の出張所で津波の被災に会う。消防車がまだ格納庫に入っていたが、稼働するかどうかは定かではない。 しかし人が見当たらないので多分消防車も被災したようで動かないのではと推測した。
今回の震災では多くの消防団の方々が、自分たちの日頃の責任で防潮扉を閉めたり、避難誘導で多くの犠牲者を出したと伺っている。 彼らの今後のあり方がその後議論されたようだ。 これを機会に自分たちの命の大切さ、自分が先ず危険から逃げること、そして住民は自分たちで他人に迷惑をかけることなく、自発的に自分を守ることの大切さを学んだことだろう。
今日の記述が少し遅れてしまった。 今は午前2時46分だ。 昨日は朝から午後5時まで梅の木の剪定で疲れてしまって、パソコンに向かっていると無性に眠くなり寝てしまった。 そのためか目が覚めてしまい、ブログのUPを思いだしいま記述しているところだ。

梅の剪定実にやって見ると難しい、これで良いのだろうか、どのように形を整えたら良いのだろうと、数年間伸び放題の、密集した枝を払っている。 
自分は昔から樹木や盆栽に興味があり、読んだり知識を少し入れたことがあるので、少し役立っている。それでもどれを残したら良いのだろうかと迷いながら、黒い大きな原型の樹形を探しながら、徒長した枝、交差した枝、下を向いた枝等を切り詰め、樹形を整えている。 先ずは原型の樹形を探しながら剪定している。 迷うことは梅の新しい花芽が沢山ついている徒長した枝を切るとびっしり花芽がついているのがもったいない。 これを切ると花が少なくなるし、実が付かなくなるのではと気をもんでいる。しかし 『梅切らぬ馬鹿』の諺を思い出しながら日々葛藤している。 もっと大きな心配は、これ明け剪定して果たして次の春頑張って花をつけてくれるのだろうかが、一番の心配だ。

2012年12月18日火曜日

吉里吉里海岸の現状


このスケッチは大槌町のとなり吉里吉里海岸の様子だ。 砂浜がありそれをまたぐ国道45号線が山田町に伸びている。 この橋は欄干が津波の押し込んだ陸方向に向かって折れ曲がっている。
現在も堤防はご覧のように横転し、この上を津波が押し込んできたのが分かる。
吉里吉里漁港はこの後ろに有り、大きな被害を受け赤浜漁港以上に何もない。
砂浜は夏に何度もボランティアが大量に入って海岸清掃を行ったところだ。 その結果かなり綺麗な状態で再生されているが、まだここで泳ぐ人たちは見たことはない。

今日の大分県中津市は朝が中々明けずに暗かった。 通常7時は明るくなってくるのだが・・・・・
結構寒くあまが少し降っていたので午前中はパソコンに向かって仕事をした。
午後からは太陽も少し出たので昨日来梅の木の剪定をしている。 何しろ何も手入れをすることなく伸び法だに成長しているので、横に伸びった大きな幹から垂直に大きな枝が成長し、どのように伸びるかの予測ができないので、とりあえず幹の形に従って、戻すことを考え剪定している。

観光船『はまゆう』が乗った、赤浜の民宿 裏から


このスケッチは大槌町 赤浜の『はまゆう』が乗った民宿の裏側だ完全に津波の時は屋根まで水没し、港でドック入りしていた『はまゆう』がながされ、最後はこの民宿の屋上が停泊地になってしまった、有名なところだ。屋根はスレートが敷いてあり比較的平な建物であったために固定ができたようだ。小さな民宿で、現在はどのようになっているかは定かではないが・・・・・・
今年は昨年以上に大槌町は寒かったのでは?と心配している。先週は3日ほど連続で雪マークが出ていたので。

こちら大分県の中津は今日は実に暗い、7時半になっても、皆が気がつくほど暗い。 太陽が普通の日は7時くらいには出て明るくなるのだが、雲がおおているのだろう。7時半には雨も降っていたが、今は少し明るくなり、雨の気配は止まったようだ。 今日は外の樹木の剪定はできないだろうか?現在は梅の木を切っています。

2012年12月16日日曜日

大槌町ふれあいセンター


このスケッチは岩手県大槌町に今だ、残る公共の建物で、『地域ふれあいセンター』の建物です。この建物にはいつ手が入るのだろう?
津波は玄関方向から入り込み建物の中を攪拌し津波の出口を探したのだが壁で止められ、それでも、津波は後ろから押してくるので江岸寺方向の壁が壊れ内部の物ほとんどがそこから流出したようだ。 以前にそこの担当者に案内してもらい内部を見せてもらった。 一階は天井が落ちあらゆる天井の内部のものが落下し、床にはほとんど残っていなかったようだ。 2階は内部の備品はなく、小さなガレキや書類本類が散乱していた。 もちろん天井は落ち、3階の床、2階の天井まで浸水いていた。
3階は大きなホールでここには津波ははいいていなかった。
これは裏から描いたもので入口は左側の少し柱が曲がって描かれているところです。

今日の大分県中津市は霧がすごく、昨日の外気が暖かく、湿気が充満したためだろうか綺麗な霧のシーンを見ることができた。 天候は晴れのち曇りで、比較的過ごしやすかった。
ICレコーダーの録音も自分が考えていたようにレコーダーのHDではなく、何かの弾みで、マイクロSDカードに録音されていました。

2012年12月15日土曜日

大槌町の役場後ろから描く


このスケッチは岩手県大槌町の町役場で、自分がスケッチをした10月18日はこの右側の役場関係の建物を壊し始めていたので、いよいよ解体が始まったのかな?と心配をしているところでした。 
ひょっとしたらもう既に無くなっているかもしれませんね。
この建物も見学者の多いところで、大槌町ボランティアセンターの関係者が団体を連れて回っていました。ここも2階まだ完全に津波の入ったところで大槌町も津波で残った、あと数軒残すところにきています。

今日は大分県の中津市昨日から雨で低く雨雲が垂れこめ、重いゆうつな感じです。 
外は思った以上に暖かく、内部と外環の温度差が大きく鉄筋の建物は結露がひどくガラスは水滴で見えないくらいです。 明日は天気になることを期待していますが・・・・・。
ICレコーダーをあまり使わないのでたまに音楽をパソコンから取り込んだのですが、データーがなんく、オリンパスに問い合せています。 その間に自分でいろいろ原因を追求してみたら、基本的には本体のHDに録音するのが何かの弾みでまいくろSDカードに録音されたようでそこをチェックしたらデーターが入っているらしい。 しかしそれを読むリーダーライターが手元にないのでまだデーターを取り出せていません。 一つようやく解決です。
探せば解決できますね。
ソニーのパソコンはやはり自分では解決できそうにない。
メールも電話もなかなか繋がらないので苦労しています。

2012年12月14日金曜日

ソニーのパソコンがサクサク動かなく頭にき始めた


これは同じ民宿で、裏手に回って描いたものだ。 この後ろが赤浜の漁港で東大の海洋研究所があるがこれも津波に2階まだ侵入され、現在は3階で何か仕事をしているらしく、蛍光灯が点灯していた。 この右後ろ奥、東大海洋研究所の裏に大型の漁船が流され、丘の上に取り残されていたが現在は既に撤去されていた。
自分も観光船(はまゆう)が乗っているのを見るチャンスはなかったが、撤去後にこの民宿を知ることができた。 周囲の住宅は全滅でこの近くにあった赤浜小学校も既に撤去されてっしまった。

中津は今日は暗く、現在は雨が少し降り始めた。
明日はどうだろうか?
現在自分のテンションは下がり気味だ。 理由はソニーのパソコンの速度がどんどん遅くなり、頭にくるぐらいだ。 いよいよ修理に出さなければと考えるようになった。
ソニーも名ばかりで、あまり良いものを販売しないでいるために業績不振が継続しているのかも?
このパソコンは買った当時はテレビも綺麗に写っていたのが、見ることができたのは5日間ぐらいでGiga Pocket digitalなるソフトが良くないようで、何回自分でダウンロードしても回復できなかった。 Bluetoothも故障続きで使えた試しがない。

また変な警告が出始めた Shockwave Flashのプラグインが停止などと、しつこく出る。 消しても2、3分で出てくる。 イライラするばかり。

消せない、どうしよう? 再起動かな?

2012年12月13日木曜日

赤浜で遊覧船、はまゆうが屋上に取り残された民宿だ。


このスケッチは今年10月18日に赤浜でスケッチしたもので、唯一ここに残った建物である。
この建物は赤浜で唯一、建物らしく 残った1軒である。 
この建物の上に釜石の遊覧船『はまゆう』が津波で押し流され屋上に取り残された建物である。
遊覧船は釜石から修理のために赤浜のドックに入っていて津波にあい、打ち上げられた。
最初は記念に遊覧船を上に乗せた状態で保存の意見もあったようだが、被災者に良い印象を与えないらしく遊覧船は危険も含めて取り下ろされた。
この建物は残そうとする意見もあるようだが、どうなるかは定かではない。

九州の大分県、今年の冬はかなり寒いようだ。 昨日からエアコンの調子が悪く、昨日はいろいろ触ったのだが、回復してくれず、一番寒い日に暖房なしで一日中過ごした。
修理をしてもらおうと電話番号をもらったのだが、どうしたことか今日の午後にエアコンのスイッチが入り動き始めた。 今も動いているので、快調だ、暖房が入ることは、いろいろ余分なことは考えることなく集中して仕事ができることが良い。 明日はどうなるだろう?

パソコンの調子は全くダメだ。6千円出してソフトを2つ買い、いろいろ不要なものは削除してくれたようだが、検索が全く遅くなってしまい、Youtubeも快適に動かない。 困ったものだ。
買ってから3、4年たつが、CPUもHDも十分あるのだが、快適に動かない。 メーカーの策略を仕組んであるのだろうか?勘ぐりを入れたくなる。



2012年12月11日火曜日

赤浜に打ち上げられて取り残された小型漁船


これは今年10月に大槌町の赤浜でまだ残されていた。
個人または家族で使うくらいの小型の漁船が津波で打ち上げられ草むらに取り残されていた。 実際は漁港近くの住宅地だと想像するが、夏のあいだにお生い茂った雑草が大きく成長し10月ともなると紅葉し枯れ初めていたのが岩手県の大槌町だ。
ここは青森県に一番近く寒い中でスケッチをしながら考えたのは、持ち主は果たして津波で生き延びられたのだろうか? 船が港の近くに打ち上げられ、探せば簡単に見つかるところなのに、今だに動いていないところを見ると亡くなられたのではと想像してしまう。
前には中学か高等学校の生徒さんのテニスラケットがケースごと放置されていたのも気がかりだった。

2012年12月10日月曜日

東京までゆきました。


このスケッチも大槌町赤浜漁港のすぐそばの堤防だ。 堤防自体はガタガタに動かされ移動、横転し、全く役に立たない状態だ。
この近くには広場があり、そこはがれき置き場になっていたが、これを描いた10月18日にはようやくそのがれきを移動し始めていたので、現在ではなくなったのでは推測出来る。
この場所は海が近く、地盤沈下していたので、いつも海水が侵入して小さな池のような雰囲気があった。

ブログが遅れたのお許しください。
日曜日まで東京に帰っていたのでUPするチャンスがありませんでした。
東京、大分県はかなりの距離で移動するにはなかなか重い腰が浮かないのだが、飛行機となると早く、大分東京は飛行時間がなんと1時間15分ほどで、
あっという間に目的地に着いてしまった。 自分が運転して車で移動するとなると2日間ほどかかる距離だ。 文明の利器は素晴らしい。
ただ昨日は帰りは2時間掛かりびっくりした。 機内放送で知ったのは、ジェット気流が強くそれに逆らって飛行するので大変なようだ。 100人乗りくらいの小さな飛行機で時速300kmほどのジェットストリームに逆らって飛ぶのは大変なようだ。




2012年12月3日月曜日

赤浜の倒壊した防波堤の現状


ここは大槌町の赤浜漁港の近くで、道を挟んで左側、地盤沈下の激しいところである。 防波堤の向こうは漁港の施設と海面が近くにあるところだ。 堤防を破産ではいるが、その防波堤が壊れているために大潮になるとよくここが海水で覆われるところだ。 

このスケッチの斜線で塗ってあるところが壊れなかった堤防でむこうに海産物加工場らしきものが稼働し始めたようだ。 
その後ろの段々になった部分は大槌町の採石場だ。 岩手県は県名に岩が入っているのは。岩山がたくさんあるからだそうで、大槌町だけで自分の知っている採石場が3箇所もあり盛んに岩石を運び出している。 多分これらは堤防やその他の修理に大量に使われていて、上のスケッチの砕石場は32万トンの採石許可が出ていた。

ところでスケッチをした、ここも堤防のパーツが散乱し、道路だけは一応車が入れるように整備され高低差は盛土をしてなんとか入れるようになっている。 ここでは10月18日の朝方、道路に椅子を出して堂々とスケッチをしても咎められることはなかった。
ご覧のスケッチのように側溝のフタがなくなっていて大潮で浸水でもして、こんなところに車で入り込むのは危険である。

どこも漁港では少し大きなスペースがあったために、 自治体はとりあえずがれきの整理のためにこのスペースを活用しガレキをおいてしまった。 それらがネックで漁港の復旧の妨げとなっている。



2012年12月2日日曜日

岩手県大槌町赤浜の防波堤


これは岩手県大槌町、 小鎚川の河口があり、うしろの建物はその小鎚川の防潮堤の水門コントロールの建物だ。 さすがに津波は上のコントロール部分の通路まではいたらなかったようだが、したにある防御の水門は果たしてどうだったのだろう? 津波を止めることはできたのか、その前に電源がストップして機能を果せず破壊されただろうと推測出来る。 
しかし津波はこの水を止める水門を軽く超えて侵入したので、何の役にも立たなかったのが現状である。 しかしこの水門の建物は東北では壊れて倒壊したものは見たことがなく、しっかり立っている。(岩手県)

この絵は街を守る防潮堤が長く繋がっていたのだが、ご覧のように内陸部に散乱して現在も哀れな姿を呈している。 以前にも述べただろうが、M9の地震で大きく揺さぶられ液状化現象と振動でジョイント部が揺さぶられこれが外れたと予測する。 その後大津波が襲い本来の波や潮を止めることはできても本格的な津波は止めることが全くできなかった。

 これらの結果をしっかり原因究明し、まず震度9でもジョイントが外れない、傾かない防潮堤の建設が必要だろう。 防潮堤がしっかり壊れないで残っているところを見たことがない。 部分的には壊れずに残っているところはたくさんあるのだが・・・・・(津波の強度と方向による違いだろう。 コンピューターによるシュミレーションで強度に応じた堤防の建設が求められる。

何10トンもあるコンクリートの固まりが津波に流され、散乱しているのを見ると津波のパワーの凄さを感じさせられた。



















2012年12月1日土曜日

アメリカに渡ったプロ野球の選手、英語でインタビューできるかな?


これは山田漁港で被災を受けた漁船が係留されていた。 被災後は多分仕事に使う予定で持ってきたのではと推測できるが、その後、今も変わらずに漁港で陸に上げられたままで、既に1年半が経過している。 
被災地では新造船が支給され始めていたので、これが使われることはないだろう。 左側は画面に入れることができなかった。 この漁船は完全に津波で漁船が半分に切断されてしまったものだ。 以前記述したと思うが山田湾の普及はかなり盛んで、湾内には多くの新しい筏が浮いていたのが印象的だ。 このスケッチだと右側に山田湾が展開している。

話は全く違うが、
日本からメージャーリーグを目指して出ていったプロの選手がかなりいるが、生き残りが厳しいようだ。 正直見ていて恥ずかしい。体を痛めて手術をして回復が遅れたり、解雇されたり、惨めだ。 そして正直あまり活躍ができていない。
私見だが、英語を学ばないで野球だけやっている選手はあまり大成できないようだ。 英語ができても技術が伴わない、体力がないなどで解雇されているような選手が多いのではないか? メージャーリーグでダメなら帰って来て日本のプロ野球に戻る『これは大変甘い!』数日前張本さんが小言を言ったようだが。 ごく当たり前だと自分も思う、 行ってダメなら、それこそやめてしまう覚悟がないから、アメリカでもうまく行かないと感じている。
アメリカに行った、5年もすれば英語のインタビューを聞きたいものだ。

野球バカと言われる高校生を改革しないとダメだろう。 高校出でアメリカに行こうとしている、花巻東の大谷選手、英語ができるかな? 英語をやる気があるかな? 日本に残ってプロで鍛え、アメリカに渡る気なら、絶対に英語をやるべきだろう。

入試と同様あまりかに渡る選手はデイゴの試験をやったら良い。TOEIC600点以上ではないと、行かせない。 プロ野球機構に良いことだと思う。 出ること自体が難しくなるから、プロ野球にも被害が少なくて済むと思う。


2012年11月30日金曜日

大きな施設の庭の木々の剪定を始めた。 午前と午後しっかり働いて3本くらいかな。


このスケッチは前の船越湾から少し上に行った山田町の漁港のそばにある建物で以前は理髪店をしていたようで、先月の17日に行った時は床屋のサインが回っていて3階で営業をしていたようだ。予約制で客がいれば仮設住宅から出てきてここの3階でで散髪をされているようだ。
1、2階は津波が破壊し、ここは堤防が1m程のところで、 津波が一気に堤防を乗り越えた時によく耐えて生き残れたと感心する。 この理髪店は国道45号線を挟んで、山田町はほぼ壊滅している。
ご覧のように1階はメチャメチャでサッシや外壁の骨組みもことごとく曲がり、津波は2階まで侵入していた。
多分この建物もいずれは解体される運命のようだ。



これは中津修道院の敷地内の甘夏で、一番色付きのよい。 
かなりオレンジ色に色づいている1本だ。小さな斜面に植えられ日当たりもかなり良いのがその色づきの原因のようだ。
さらにこれに手をいれ、甘夏の周囲の太陽を遮る葉をかなり落として糖度を上げる努力を始めたところだ。


これは修道院の中庭にあるネーブルオレンジで、周囲のいろいろな樹木を植えているので少し日当たりが良くないかも知れない。 同時に地面が乾燥不足かもしれない。 緑の下草が根元周りにしっかり生えているので。 今後は根回りを乾燥させる工夫うが必要だろう。


この写真はその隣にある八朔で、かなり葉に覆われていたので、かなり剪定して太陽に当てる工夫をしているところだ。 ご覧のように果実がしっかり見えるようになっている。


今時、 果実の周囲の邪魔になる葉を削除しているのは来年どのように影響するのかは計り知れないが、まず糖度が上がるようにご機嫌を取り始めているところだ。 結果がよくなることを期待して・・・・


この写真はその隣にある、皮の柔らかい普通の『みかん』だが品種は定かではない。 しかし一番色付きがよく、既に食べられる時期にきている。 折角下葉や上の邪魔な葉を削除したのでもう少し太陽に当てて糖度を増したいとあと1週間収穫を遅らせているところだ。


酸っぱいことが知られているためか、ほとんど果実は無くならないのが、不思議だ。 現代の子供たちはあまり果物に興味、またはあまりお腹がすかないようだ。


かなり下葉を落としたので、どれくらいのみかんがなっているかが周囲に知られ、『こんなに実がついているとは思わなかった』との声をきいている。


同じ庭のネーブルオレンジや八朔と比べるとかなりオレンジろに近く、食べごろを迎えているのが感じられる。あと1週間待つことになるだろう。
みかんやオレンジはどこが甘いのだろう? 木の上か、木のしたか?

2012年11月29日木曜日

中津のキウイを収穫した


現在はこの船越湾の堤防直下にあった、多分海産物の加工場、定かではないが、赤い鉄骨と外壁の骨組みが赤い錆止めを塗装された状態で昨年の被災した日から残っている。 

建物を支える場所はやはり砂地でここが津波の直撃を受けたためか土台のコンクリートがむき出しになるほど深くえぐれている。 建築家もここは砂地なのでパイルを砂地に打ち込んでいるためか転倒や流されることはなくその場所にとどまることができたようだ。 そのためスケッチの左側のコンクリートは外に破壊されてぶら下がっている。 

外壁は全部剥がれ内部に入り込んだ津波は中の物を攪拌して外にすべて押し出したようだ。 多分その後に内部のものを整理するために人手が入ったと考えられる。 ガレキはほとんど残っていないのが現在だ。 敷地が砂地であるので津波と引き波で大きくえぐれている。現在は撮影した後ろが堤防の決壊場所で堤防がなくなっているので、被災地の海岸の壊れたところの、どこでも使われている,1ton入の土嚢が積み重ねられ海水の侵入を防いでいる。 しかしここは海面より低いため、常時これくらいの海水が溜まっていて。大潮の時はもっと海水の量が増えている。
いずれは撤去される運命のようだ。


大分県中津は今日、午後から雨が降るとの、予報が出ているので、2日前から柑橘類に手を入れているので、その落とした葉の整理と、霜が降りた後だからキウイの収穫を計画した。

キウイフルーツは多くの方がご存知だろうが、実際になっている状態を見た人は少ないのでは? この施設にあるキウイをついでだから紹介しよう。


これがこの施設にあるキウイの棚で中に入って見ると、樹自体がかなり太く大きく、かなり年月が経過しているようだ。 毎年出るような蔓も太く結構強い。 棚が作ってあるので多分春先、棚にそれらの蔓を巻きつけ、収穫しやすいように工夫しているようだ。


まんべんなく棚全体でできるのかと思ったら、どこにでもぶら下がるのではなく、このように集中してキウイフルーツがぶら下がっているのが棚の内部だ。


これはグリーンで日本に最初に入って来たキウイはほとんど内部はグリーンだったと記憶している。 近年ゴールドがではじめ、これはグリーンより甘く美味しい。 最近では中心が少しピンクのキウイが販売され始めたようだ。


1箇所、 この棚には最大12、3個ぶら下がっていた。 場所によっていは2、3個しかぶら下がらない所もありアンバランスも仕方がないのかな? 触って見ると石のように固く、これ食べられるのだろうか?と感じる。 インターネットで調べると収穫の目安は難しいと出ていた。 11月中頃から12月頃が収穫と出ていた。


霜が降りると葉がかれて糖度の入るのが止まるので、収穫時期だとも出ていた。 昨晩一面が真っ白だったとまかないの婦人に言われたので、やはり収穫のようで、決断して全部収穫した。



最初はバケツいっぱいすぐ、満杯になったので、ビニールの袋を持って収穫した。 結構大きいでしょう。 こんな石のようなキウイです。 食欲は全く湧きません。 昨日どのように完熟させて食べるのかやはりインターネットで調べた。 まずりんごを入れてなじませて1週間ほどで食べられる。その後バナナを入れても良いらしく、教えてもらったりんごは避けて、新たなケースで、今日はバナナを入れてチャレンジ。そして保存することにした。


ついでに収穫の時少しシワになり柔らかくなっていたのがあったので、ひょっとしたら食べられるかも?とポケットの中に入れた。 ビニールの袋は重く多分30Kgほどあったのでは? 従って一輪車を使って移動した。 これが今年のキウイの収穫でした。
先ほどの柔らかいキウイ、皮をむいて試食した。 ぜんぜん酸っぱくなく、美味しくいただけた。 完熟でした。1週間後が楽しみだ。



2012年11月28日水曜日

柑橘類の葉落としを今日も頑張り10本以上行いました


これは船越湾にある堤防の機能を活用した部分で多分で、海水浴場としての機能も持っていたらしい。 しかしここの部分から堤防が決壊し津波が内陸部に侵入したようだ。 スケッチの奥の方は津波に耐えて崩れたところは見当たらない。この教訓をもとに、堤防を強化し津波に耐えるものを作るか、逆にあまりお金をかけないで、人が安全な高台に移動すればしっかりした生活基盤ができるのだが。
選挙で自民が選ばれると、また箱物行政、公共事業に早速2兆円使うなだ、ひどいことを言っているのには呆れるが。 困ったものだ。今までの反省が果たしてあるのだろうか。 しっかりした政治家がいないのが今の日本の問題だろう。

今日の自分の仕事は朝から、柑橘類の葉を払って、枝についている実を太陽に当て、今後少しでも糖度を高くする工夫をやり始めた。
柑橘類は何本あるだろう。 結構ありましたね。 ネーブルがしっかり実をつけていてこれだけでも10本以上あるので昨日から剪定鋏で葉を落としているがいよいよ手や指が痙攣し始め困っています。午後は、間違ってネーブルを落としてしまったのはもったいないので絞って、食事の時に使う酢として絞りました。 2Lほどそのジュースが採れたのですが、結構固く大変力を必要としました。その後選定をしていたので最後は手が痙り始めたのです。
カボスや金柑、柚子等もあります。 八朔もありそろそろ収穫かなと言う色合いになり、もう少し太陽を与えようと、それでも葉をたくさん落としました。 来年どうなるかな?と少し心配ですが。

最後はキウイを作っていると言うのでそれを見つけたら、例の茶色い産毛の生えたキウイフルーツを見つけました。 触って見るとまだ石のように硬いですが、インターネットで調べると霜に当たる前が収穫の目安だそうですね。 今朝霜が降りたらしく、収穫のようです

完熟はりんごと同伴させるか、バナナも良いそうでビニールの袋に入れて完熟するのを待つことですね。 ジャムは簡単にできそうです。

ここは浜松と違い畑と同時に果樹があるので、冬場の仕事も何かとあるようです。
先日植えたキャベツと白菜は根付いたようです。 種からできた小さな苗はショックだったらしく全員ベターっと土の上にひっくりがえっています。





































2012年11月27日火曜日

柑橘類の剪定をしてみた。 甘くなるかの?


これは岩手県の上、青森に近い山田町の手前、船越海岸の漁港でスケッチしたもので手前の2台の船外機は陸の上、多分被災したものだろうが、海水に浸かったエンジンはモーター部分が海水を浴びるとピストン類がすぐにさびてその他の電源やコードなどが痛み再生はほぼ不可能なようだ。 従った多くの乗用車も、たとえベンツやBMWでさえ被災地では数多く廃棄され、実にもったいないものであった。 これは多分この船越湾の漁師さん使えるのではと期待して丘に引き上げたとおもうのだが、実際にはブルーシートをかぶってそのままおいってあったのが、先月10月16日だった。
既に被災地では新造船の漁船が10%の自己負担で支給され始め、このような使えない船は放置され始めていた。

今日はスケッチも少し行っているのだが、昨日が雨で外に出ることができなかったので、午後から修道院の周囲の木を剪定?し始めた。 余分な枝を落としたり伸びているもの、下を向いているもの、そして枝が伸びてい他の枝を視覚上横切っている枝を中心に切り落とした。 ピラカンサを手入れすると鋭い刺があり何本かに刺さった。 実に痛い。 自分の身の一部を切り落とされるので、そのお返しかも知れない。実に痛い。

周囲にはオレンジや柚子甘夏、みかん、金柑等がかなりある。 しかしかなり酸っぱいらしい。 まずは基本的に太陽を多くの葉が遮って大変手入れが悪い。 コックさんのお話だと手入れは全くしないで、食べるだけ、肥料も肥やしも上げないそうだ。 少し手入れをして甘くして食べたい。 まずは手の届く範囲で、太陽が当たるように枝を落としてあげた。 これも少し問題だろうが、かなりの面積なので、つい遠慮なく切り落としまず、収穫前にご機嫌をとって・・・・・

また次にインターネットを調べてみた。いろいろ回答をいただいた。
参考になればお使いください。
自分は畑で作っている柑橘類の全体のみかんを甘くしたいのだが、

最初に出た回答は買ったみかんが酸っぱくて困っている。 これも参考にと見てみた。

① お風呂に10分ほど入れなさい(甘くなるそうだ) 覚まして食べたほうが良い。
② 収穫したものをビニールの袋に入れた太陽に当てなさい。
③ 電子レンジで温め、覚ましてから食べなさい
④ 収穫したものは元来酸っぱいらしい。 それで1、2週間寝かせておくそうだ。

それならできそうなものがいろいろ見つかった。 美味しく食べられそうだ。

畑ではしっかり面倒を見ること。 肥料は3回ほど。 雨の多い梅雨時はシートを敷いて雨をあまり根元に染み込ませないこと・・・だそうだ。 もちろん摘花、摘果そして太陽だろう。
来年からの課題がまたできた。

早速いくつかのみかんを電子レンジに入れて、試食してみたい。


2012年11月26日月曜日

自衛隊の方々のYoutubeを見つけてしまった



これは大槌町の赤浜に残った数少ない建物の一つで港から少し離れた小高い山の裾の部分に位置し、イラスト上の左の小さな家は高台で災害を免れた家々が点在しているところだ。
この建物はトタンで覆われた多分作業場だろうか、しかし入口はブルーシートでカバーされているので、生存されたオーナーが心境の変化をじっと待っておられるのだろうか?と感じる。

スケッチしている時に、夏のボランティアをしていた時に個人の漁師さんに出会った。
『久しぶりで、 あ!珍しい。 いかがですかと』相手から声をかけられた。 びっくりしたが覚えていてくださった。 『その後漁はいかがでしたか?』と声をかけた『ダメだった、あまり獲れなかった』いわしを生簀で養殖してそれで商売をされている方で、一人だから大変で、お手伝いをした。 今は
鮭もだめで、明日で漁ができなくなる。と嘆いておられた。 切実だ。 もう寒いだろう・・・・・・。 来年こそはもっと運が向くだろう。 頑張って欲しい方の一人だった。

話はまた別になるが
先日何かの拍子にYoububeの津波をあけてしまった。 その中で気になるものがあったのでつい動かしてみた。
自衛隊が撮影したものでかららの活躍、苦労が入っていた。
放送されたものではないらしく、彼らが編集しYoutubeで公開しているものだった。 アドレスは
下記に紹介します。

http://www.youtube.com/watch?v=XyQZVRkJxk0&feature=watch-vrec

彼らの活躍を知っているので途中、いろんなところで涙が出てきてしまった。
PTSDではないのだが・・・・  気にはしているがどうしようもない、ところで生活して、順応して現在の生活を送っています。 しかしブログを継続しているため、毎日考えながらUPしています。
被災者の方々どうなされているのだろう? と・・・・・・
東日本大震災の祈りを毎日継続しています。

























2012年11月25日日曜日

船越湾の堤防 破壊



昨年の3月11日の津波で破壊され、浜辺に転がされた大きな堤防のコンクリートでさえいとも簡単に移動させることのできる津波のパワーの凄さを今でも見ることができる。
青森の二戸あたりから下の南相馬までを見ても堤防の復興を見たところは一箇所もない。 まだ震災当時のそのままが海岸や海中、または市街地に流れ着いたものさえあり、すべて一トンの土の入る応急の土嚢に土砂を入れ積み重ねて波の侵入を防いでいるところば100%でまだ堤防の1つさえ、クレーンで動かしたところを私はまだ見たことがない。
それだけ復旧が遅れていることの証だろう。
これに再度津波が襲ってきたらどうだろう。 高さ1mほどでも容易に内陸部に侵入してくることがみえている。
しかし工事は内陸部の被災地の整備が先決問題で、との他のものは二の次でいつになったら動き出すのだろう。
被災地の高台移転で少し進んでいるような雰囲気が南三陸町で国道45号線の右手の山の斜面の杉林が伐採され始めているのを見ることができたが、決して大きな面積ではなかったと記憶している。
後ろの鉄骨しか残っていない建物は水産加工場のあとかな? ここはすの周辺が船越や山田町のがれきの集積場と種分け場となっている。

2012年11月23日金曜日

なくしたデーターを見事リカバリーできました


このスケッチは岩手県山田町の手前のめちゃくちゃに壊れた防波堤が砂浜にゴロゴロ散在している。 この湾は人家が比較的少ないところで、自分の記憶や記録からは思い出せない。 人家が多ければ被害はもっと拡大しただろうが、幸い高台がたくさんあり、見た感じでは生活には少し不便なところの様に感じる。 逆に対岸のほうが人家が多く、そちらに行くには道路が制限され難しい。 ので行ったことは無い。 このスケッチの壊れた防波堤の向こう側だ。

話は今日も少し変わるが。
日本のパソコンの技術に感心させられた。

こちらに来る前に、宮島で写真を撮影した。 理由は宮島が国宝(近々建て替えのニュースを聞いているのでチャンスを利用して見学した。)で建築に少し興味を持っているため、見学したいとの希望で広島の本土から、連絡船でわたり、五重塔が目立ち、大きな神社があったのでまず手始めにそこから見せていただいた。
話だと、この大きな神社は、自分では、その巨大な屋根を支える当然、数十本の柱は強くなければいけないので、質問して見た。 柱や梁はケヤキですか? いえ、これは楠です。 びっくり、太く直線で大きな楠だと感じた。 よくこんな大木のクス、集められましたね。 全国から集めたようです。 クスノキは九州で若い時に見た記憶があるのだが、高く直線で取れる木はあまり見たことがないが、この豊国神社の千畳閣は畳で1000枚ほどしける大きな伽藍だ。凄い、圧倒された。ならば床もいたるところが楠らしい。 少し人々が参拝するために床の痛みは目立つ。 ケヤキなら痛みも少ないと感じたが。 楠木は多分九州などで調達されたのでは? 広島は九州に近いため輸送も便利だ。 ケヤキは九州ではあまり無いのかも知れない。 別のところで聞いた話『楠木は成長が早いよ!』
これが驚いた話ではない。

実はたくさん撮影した宮島とこの豊国神社のデーターが全くなくなり、自分でどこに保管したかさ覚えていないので、自分のパソコンの写真を保存するHDを数日かけた調べ、自分ではすべて開いて見たが全く見当たらない、検索を掛けあらゆる場所を調べたが、いよいよ見つからない。 
この写真は自分の手違いでRawで撮影したことは覚えている。これで調べても跡形も見つからなかった。
以前自分の担任をした卒業生が亡くなり、葬儀の写真を撮影した。 この時も全く運悪く、撮影したのにデーターがなくなってしまった。 本当にその家族に申し訳なく、この時も見つけることができなかった。 データーリカバリーのソフトを買って調べたがダメだった。
最後の手段でこのデーターリカバリーの、試供版が古いパソコンに入っていたので、試しにそれにコンパクトフラッシュを検索した。 丸一中夜かけて検索した。 何かNEFのデーターが見つかった。これは可能性がありそうだ。 開こうとしたが、開きたければ、ソフトをお買いください。と出た。

それで中津のヤマダ電機に行ったら、リカバリーソフトは1つしか店頭になかった。 しかしそれがデーターリカバリー10で例のソフトのばジョンアップ版だ。
少し可能性が出てきた。 大枚叩いて10500円で購入した。 期待しながら、コンパクトフラッシュを検索した。およそ12時間ほどかかって、データーを解析してくれた。 このコンパクトフラッシュは既にデーターが無い状態で、カメラでも画像はありませんと出る。 このメディアで数日ほかの画像を既に撮影していた。 しかし12時間後に結果が出た。

期待しながら、NEFだけデーターを開いて見た。 なんと見事、紛失したデーターを回復してくれた。
『万歳!』だ。 以前も、データーは写真を撮影したメディア、自分の場合はコンパクトフラッシュを検索すると見つかる可能性があると、知っていたので、撮影したメディアを検索して見つけることができた。 既に諦め、次のチャンスに再度撮影するかと心に決めていたので感激でした。
ちなみに4枚回復した写真をお見せします。






目的はこの朱塗りの宮島 厳島神社でしたが、その前に大きな伽藍があったのでこれを最初に見たのです。 見事リカバリーできて、日本のパソコン技術に感服です。
データーが無くなったら試してみてはいかがでしょう(最後のチャンスです)
『フィナルデーター10プラス』10500円でした。 安いですよ。

厳島神社は近々建て替えです。 早めに見学をどうぞ。 この時は運悪く? 引き潮で鳥居まで歩いて行けました。 次回は満ち潮の時?

今晩は、少し調子が普通ではない、鼻水がでる、風邪かな? 早めに市販の薬を飲んでお休みだ。 中津の自分の部屋は既にエアコンの暖房を使っている。 寝るときは毛布を3枚重ねて寝ているそれ以上に寒ければ布団は足元にある。
もちろん暖房は切っています。 結構寒くなってきました。 皆さんお体に気をつけて、ご自愛ください。
























2012年11月22日木曜日

柿ジャム作った。


東北地方、特に昨年の3月11日の東日本大震災のときも、川にはこのような水門があった。 これは小槌川にかかる水門で大きく巨大で力強く見える。実際このような水門で崩れたものは見たことがない。鵜の住居にもあり、陸前高田に有り、岩手県の統一された水門のデザインかな? 実際には津波はこれを乗り越え侵入して来たようだ。 これの3mほど上を乗り越えたのではないか? 
しかし、上に見られる連絡通路は無傷だ。 大潮とか普段の波の高さでは十分に機能するが今回はお手上げだ。 だが津波はこの高さには達していない。 この塔中にいたら十分に助かったであろう。 津波は下に設置された可動式の水門やモーターや入口付近はやられたようだ。
これを参考に、これrくらいの規模で力強い防波堤を作る必要がありそうだ。

話はぜんぜん変わるが、
今日柿のジャムを作って見た。 中津の施設には果樹の木がたくさんあり実を付けている。 野生種のような渋柿、甘柿があり、現在完熟がたくさん出来ている。 しかし見栄えが悪くあまり誰も食べてくれない。 捨てるのはもったいないと考えている。
以前から柿のジャムは作れないか考えていた。 柿羊羹が地方の名産になっているところをどこかで見たことがある。 多分中津もだろう。
渋柿の完熟は美味しく食べている。 ここではあまり見栄えが良くないから人気はないが。

それで柿ジャムに挑戦した。
完熟だから、包丁で切ったり皮をむいたりできない。 スプーンや手で果肉を搾り出し、ボールに入れて適当な分量まで準備し、鍋で煮ることにした。 煮るのに時間はかからず、それらしく出来始めた。 レモンを1個絞っていれ、砂糖を入れてそこそこに出来始めた(男だから分量は適当!)ので、味を見てもらったら『おいしい!』と言われた。
 種も取り出すのが面倒なので一緒に煮た。かなり柔らかくなった時点で種をどうするか考えた、裏ごしを使おうと考えたが道具がなかったので、金属のざるを使った。 そこそこに絞れるので、これは良いと思う。
最後に砂糖をしっかり入れ味を見てもらった。
開口一番『渋いーい!』『えグーイ!』 自分も恐る恐る味見をした。『えぐーい!』が分かる。 方言だろうが。口の中に何かがまとわりつくガサガサしたものだ。 どうして?

早速インターネットで調べてみた。 
便利ですね。 『完熟の 渋柿でジャムを作った 渋くなった。 なぜ?』

回答がすぐ得られた。 『渋の戻り だそうだ。』 渋柿でも煮るな。 渋が戻るらしい。 タンニンの分解だそうだ。 せっかく作ったから捨てるのもったいない。 下を読むとそこにも良い解答があった。
ヨーグルト、や牛乳で飲むと良いそうだ。 クッキーとか作るときに入れると良い。

作る前に試して見なさい。 小さく切って煮てみなさい。 渋ければ作らないこと。!とあった。

甘柿はすべて良いらしい。

午後からリベンジだ。 、またここにある、人気のない野生種のような小さな甘柿で作って見た。
これは完熟は少なく皮をむく手間が必要だった。 種を取るのが面倒で、皆一緒に煮た。(種と周囲にペクチンが多いと以前読んだ。から)

同じように水を少し入れて煮た(硬いので時間が必要)。 かなり外形は変化した時点で、裏ごしで、余分なものを取った。
これが結構めんどくさい。 やりながら考えた。 ブレンダーで粉砕? よしたほうが良いと調理師さん忠告してくれた。 次回は種なしで挑戦!

まずはエキスが取れるまで結構時間をかけて絞った。
それを煮詰めること3時間ほど。 砂糖を適当に入れて煮詰めた。 レモンの代わりに未熟のオレンジが木になっていたので、それを使って見た。 包丁で切ると、ジューシーな色をしている。しかし酸っぱそうだ。 絞り込んで入れたかなりの量だ。代役はできた(レモンがなかったので)
3時間するとかなり固まって来た。 甘く出来始めた。 固まりが今一つで心配だ。 そこで冷蔵庫をあけ、オリゴ糖のハチミツがあったので適当な量入れてみた。 それからまた1時間ほど煮詰めた。
完成だ。 ジャムの瓶がないので、買いに行った。 煮沸して消毒し、ジャムを入れて密封し、蓋を反対にして熱さを覚まし、完成だ。

鍋についたものを舐めてみた。 渋み全くなし。大成功だろう。
今流行りに自家製のパンができていたのでそれにつけて食べてみた。『うまい! 実にまろやか。』量があまりないので、人に食べさせるのもったいないくらい。
できたジャムの量は、生柿で中くらいのボール1杯くらいで大瓶1つくらいかな?

これなら絶対受ける。 多分調理師さんびっくりするだろう。

甘柿なら捨てるくらいならジャムにしたら? 嫌いな人でも多分食べてくれるかも。
この施設に長くお手伝いする男性がいる。『俺、柿喰わんのや! 嫌いで』それでも、前にできたの渋の戻った方を少し試食した。『渋ーい!』 口の中がかさかさや『糞詰りになるは!』『もう絶対食わんぞ!』と宣言した。 『このオッサンに絶対食べてもらう!』 ここのパン美味しいといっていたから。パンと一緒に。

今度はカリンがこの施設では結構なる(子供達蹴飛ばして遊んでいるらしい)ので、カリンジャムを作ってあげようと思っている。 果肉で作るのは見た目あまりうまくなさそうだが、必要なら果肉を使うと、たくさんできる。 カリンは香りは最高(金木犀みたいに良い香り 甘い匂いが好きならカリンを1つ車の中に入れておく 脱臭剤?) (部屋の中に一つ入れるだけでも、甘い匂いがあふれる。)果肉のジャムはそこそこで食べられる。 

生ではこれジャムできるの? せいぜい知っている人で、カリン酒かな? 
エキスを取って、煮詰めて綺麗なカリンジャムは少し難しい。

































2012年11月19日月曜日

砂の上に乗せる堤防ブロックを津波から守る杭の提案


この船越魚港周辺の堤防は壊れたままだが、被災地のガレキを現在は種分けをしているのが、主な仕事で、全日本の重機が入り一斉に仕事をすれば早いのだが、被災地の問題も多く、地元の利権や政治が工作しており、ほそぼそと仕事をしている感が否めない。がれきの種分けをすれば被災した住民の場所がおろそかになり、復興するのはいつのことになるだろう。
この堤防のブロックを元に戻すことさえ政治決断ができていないと思う。
簡単なことは、堤防のブロックがまだ壊れていなく、多くはジョイント部分が外れたのでそこを接合すること、次のアイディアはしっかりしたポールを砂地に打ち込むこと、ただ打ち込むだけではなく、いざ津波が来た時に接合部や、打ち込んだポールから上のブロックが外れない、切断されない工夫うが必要だろう。 まず外れないポールまたはそれに類したコンクリートの技術を考えること、ポールが抜けないためには途中を太くして抵抗を作ることが必要だろう


堤防の下の土台の中に打ち込む杭(ポール)は左上のような形状にすると杭打ち機で打ち込め。抜けにくくなると思う。 このような杭を打ち込んでその上に堤防のブロックをしっかり溶接しそれも津波で破断しないように工夫うが必要だろう。

2012年11月16日金曜日

船越海岸の現在


これは 岩手県の上、都に近い山田町のとなり船越海岸の破壊された堤防である。 ここも自分の意見だが、 多分最初の地震でジョイントが外れたり陥没したところに強烈な津波が襲い、いとも簡単にいたるところで防波堤が決壊した。 ここは船越湾の右側が海で、そこを波から守る大きな堤防に囲まれていたのだが、今回はそれをはるかに超えた津波が各県で大きな被害を出した。
手前のスケッチは防波堤の後ろに補強の柱を付けたコンクリートの壁だがいとも簡単に移動して海岸に打ち上げられたようだ。奥はこの同じコンクリートの塊が2段で積み上げられているのだがそのジョイントも簡単に外してしまった。
この左側は津波で大きくえぐられ、現在も残っている作業上は惨めな姿を呈している。 ここの応急処理は1トンの土のうを積み重ね破られた堤防の後ろに積んで海水の侵入を一応止めている。そして連絡道路をなくしたのでその後ろに作業道路を作っているのが、現在の船越漁港だ。

2012年11月15日木曜日

大槌町の奥、堤防直下の残された家屋 よく耐え抜いたと感じる


これは大槌川の河口付近そして堤防の直下にある漁業関係の仕事場だろうが、運良くあの津波に耐え、残ったのには驚きだ、 コンクリートの建物のため破壊が少なかったようだし、堤防の直下は津波が押し寄せた時には、津波だけで破壊されたガレキが一緒に入ってこなかったのだ原因ではないかと考える。 住宅地に入り込んだ津波は最初の家屋から始まり漁船や自動車、そして破壊した一切のものを持参して奥に押し込んでくるので、次々とガレキが増え、津波は威力をまし、押してくるために、ほとんどの構築物構造物はその圧力に耐え切れず次々と破壊されてしまいほとんどのものが残ることができなかったようだ。この建物の破壊から想像すると、堤防を有に2、3mの津波が超えて建物を押したのである。大槌町は役場側はコンビニローソンまで、国道45号線まで押し込んで来た。 もちろん現在のマスト(スーパーマーケットやホーマック(DIY)まで、ガレキが流れて来て現在のマストの駐車場はがれきの修正上になったようだ。

2012年11月14日水曜日


遅くなってすみません。
今日は日本代表のサッカーを久しぶりに見ていたのでUPが遅くなりました。
ひどい代表戦でしたね。 今晩はモスかの本田全くダメでしたね。 どうしてあそこまで愛着持って使うのだろう、早く変えれば良いのにと思うし・・・・ 最悪の試合だったと思います。 しかし勝ってよかったです。 今日は最悪引き分けかなと考えましたから。

話が別になりましたねごめんなさい。
こえは岩手県の大槌町のふれあいセンターです。 これを記念に残せば良いと提案しましたね。NPO法人の元ここの担当者に案内していただいて内部を見ることができましたから、ここばまだ整理されていない最後の大槌町の建物ですが、責任者がここに気がついてくれるでしょうか? 心配です。
ふれあいセンターは建物の正面から津波が入り、中のかぐや外からのガレキを含んだ津波が建物内に入り込み、1、2階が体積的に満杯となり勢いがされに加わり、津波の出る場所がなくなり、後ろの壁面を押しつぶし、外壁を萩尾十四津波がこちらに出ていったことが内部に入ることにより知ることができた。
このスケッチは後ろから見たスケッチです。

2012年11月13日火曜日

今回の東日本大震災の記念となる何かを残したいものだ。


このスケッチは大槌町の元パチンコ店『カネマン』の前から役場に向かって描いたスケッチで、現在役場の前は青空スタンドがガソリン販売を営業している。
お店はこの周辺には全くなく、営業しているのは役場のもっと左、T字路の交差点にある喫茶店ムーミンだけで、その他は大槌北小学校の周囲に仮説店舗が有り、ムーミンをまっすぐゆくと小鎚川の(古廟)橋がありそこにスーパーマーケットとDIYのホーマックがあるくらいで、お風呂屋さえなく、風呂は釜石か大槌町にゆくしかチャンスがない。
近頃のニュースだと、街造り委員会なるものの会合があり、旧大槌町役場を解体するか、保存するかの議論が行われるらしい。
現在大槌町を見渡すと、震災の傷跡は数件しか見当たらない。 この大震災の惨状を後世に参考として何か残したいものである。
自分の意見としては『地域のコミュニティーセンター』を残してはどうだろうか?これが震災のガレキをまだ2階は処理していなかったと思う。 そのためには床に散らばったガレキをそのまま保存して、アクリルの厚い床を造りそれを直に上から見ることが出来るようにしたら良い(阪神大震災も活断層を見られる施設を作っていたと記憶している。)。 その他にも大槌町病院が残るが、ガレキを一切撤去してしまったので、悲惨さが見られない。 役場も同じだろう。
それ以外には最後にひとつ残る赤浜の漁協の建物、これも解体の予定のようだが・・・・・
これらを全部撤去すると何も後世に残すものがなくなる。
あー!そうだあと一つ赤浜に残っている『はまゆう』乗った、民宿これも良い候補だろう。2階はどのように整理したかは定かではないが
後の人が今回の震災を参考とする記念を残して欲しいものだ。

2012年11月11日日曜日

東北の街づくり提案


このスケッチは小鎚川の水門近くから大槌小学校方向を見たスケッチで、現在は、この小学校はリペアーされて大槌町仮役場となっている。 先日のスケッチ同様この手前は大潮になると海水が入り込み大きな池のようになってしまう。
今日の新聞に出た被災地の復興ニュースで岩手、宮城、福島は被災地を平均で17mほど、嵩上げして使うようだ。
凄い土砂の量だが、実際にこのようなことを実施するのだろうか? もっと皆が真剣に考えて被災地をどうするか意見を募ったほうが良いのではないだろうか?

自分が最後にお世話になった大槌町を考えて見ると、岩手県の寒いところ。 膨大な予算を掛け、高い盛土をして住宅を復興したから人口が元に戻るだろうか?予算が無駄だし土建業者を喜ばせるだけだ。 昔の日本の箱物行政と変わりない。

自分ならこの比較的大きな被災したスペースに人を雇える企業を作りたい。 企業に来て欲しいと求めても簡単には来ることができないだろう。 自分たちで作るべきだ。

まずここに火力、それも天然ガスを燃やす発電所をつくり(脱原発が根底にある)、ガレキを燃やす焼却場とガレキが亡くなった時に地域のゴミを燃やす焼却場をつくり両方で大量の温水も発生させたい(公共と個人の住宅にもお湯を供給、温水プールも子供たちにも使いたい)。 それはまず第一は地場産業として被災地に綺麗なガラスの温室をたくさんつくり、冬場でも働け、生産のできるものとしたい。 できれば24時間稼働できる野菜工場が理想だろう。 野菜だけではなく、花も、果物も作れば良い。現状では冬の5、6ヶ月は寒くて農業もっできないから温室はこれを解決でき、雇用を産出できる。 港を浚渫し大型客船が入れる港が欲しい。 東北にアジア、アメリカから観光客を大型客船で呼ぶのはどうだろう。 スキーをやりたいオーストラリア人も可能だろう。東北地長は観光資源も豊富にある。
農業、観光だkではダメだ。 漁業はもちろんもっと発展させたい。 岩手県で採れる海産物を海外にも輸出したい。 採れた海産物は最新式の超低温の倉庫で管理し季節を超えて使いたい。 そのためにCASの超低温冷凍庫は必須(CASは農業でもりんご農家でも使いたい)だろう。

三陸鉄道多くの住民が復旧を望んでいる。 これはよしたほうが良い。 新しい鉄道を考えるべきだろう。 無人運転の市電みたいなものを考え、地域の住民を考えて電車にしたらどうだろう。
釜石から大槌町、吉里吉里を通り、山田町に入るループ式の市電だ。こんなものを山手線のように回して使いたい。生活の現場と観光地を結んだ市電が理想だが。 観光地が遠ければ現実的なものを考えたい。現場、高齢者、子供たちに優しい交通機関を作りたい。 被災地を再度また津波が襲う可能性はあるので、盛土などしないで広い面積は有効に使いたいし大金をあまりかけたくない。子供たたちの将来を考え、子供たちが過ごしやすい場所を作るべきだろう。 子供をたくさん作ると奨励金や奨学金がもらえる建にしたい。若者、子供たちが健全に遊ぶ場所、グラウンド、体育館、公園等をつくり、若者を呼び戻せる東北を作るのが先決だろう。 人が住むところは(絶対の高台だ、今は車があるので全く問題はない)同じ災害は起こさない場所を選定して新しい街、魅力的な街を作りたい。
近くでは、遠野、角館、遠くでは柳井、倉敷、奈良井宿、奈良今井町、川越、美々津、萩浜町等が参考になるだろう。 美しい住みよい街は観光客も集まってくれる。

理想的な新しい街を東北の太平洋沿岸に作って欲しいと願っています。

2012年11月10日土曜日

大槌町の地盤沈下はご覧のようだ


スケッチの中心左側はムーミン喫茶店、繋がっているような建物が長崎大槌町ベースで台湾の芸術家グループが壁画を描いてくださった。 被災地の大槌町の中で近頃はかなり目立った存在だろう。
手前のブルーが置かれた部分は時間と潮のタイミングによってこのように海水が大量に入ってくるのがまだこの大槌町の現在だ。 嵩上げして住民が住めるようになる案もあるようだが、それには膨大な資金と土砂が見つかるかどうか、次に嵩上げしてもそこに住む住民が十分にいるだろうかそれも問題だろう
大槌町の防波堤は破壊されたまま、現場にその移動した防波堤の一部が近くに散乱しているのが現在で小さな津波が来るだけで無防備な旧大槌町には海水が入ってくるのは見えている。近衛の海水から突き出したものは住宅の土台だ スケッチの右側手前は植田病院の1階で何のために残してあるかが分からない。 その後ろの建物は地域のふれあいセンターでその前に、近頃地元の商工会の仮説の飯場風事務所ができたこと。
私事だが、大分県の中津に入って、自分の部屋が与えられ、現在は自分の部屋の作業空間を作るため昨日からテーブルをつくり、トップにニスを塗り、今晩には足を取り付けほぼ完成だ。パソコンをおいて、新しい仕事場ができた。 前回の支部より生活空間が倍ほどあるので、喜んでいる。アトリエでもあると最高だが、現在は同じ空間で2つの仕事が出来るように考えている。