2011年9月30日金曜日

塩竃ベース第一期終了です


北浜の隠れた一軒家、知らないとわからに津波の大きさ。 この家に浸水した津波の跡は自分が目いっぱい手を伸ばした、天井下の、およそ2m位まで海水が進入している。 これもすぐに取り壊され津波の跡が消えるのが残念だ。

今日のブログ文字化けでご迷惑をおかけしました。 明朝体に戻したら直ったようです。 ごめんなさい

2011/09/30
最後の塩竃ベースでした。
今日働ける人は深江君、横田さんそして私の3名。
武藤さんの仮設住宅の品物を中ノ島公園の前、多賀城カッターさんとなりの住宅、で以前に数回お手伝いして、知っているボランティアさんもいらっしゃると思います。
9時に仮設住宅にお伺いし、本人はそのつもりではなかったようだが、お願いして早めに処分できればと、まず今後使わないものをご自宅の2階に移動し、その後自宅の2階から冬物の移動を3名でお手伝いした。 移動は夏物で扇風機、仮設住宅で支給されたテーブル、支給された食器セット、使わない、未開封の支給品、やはりニーズをしっかり押さえていないからあまりありがたくもらってはいないようでした。 1人用の仮設住宅は狭く6畳一間、キッチン、バス、トイレ大変狭く物を置くスペースはあまりあるとはいえない。押入れのような仕切りが一つ、家具を入れるにはあまりにも狭いのが仮設住宅。 そこに平面テレビが1台、新しくもらったパネルヒーター。 自分が今後支援で必要なものは何かと聞かれて、電気毛布を先日来られた神奈川の教会の役員さんに提案した。そしたら話した通り、この高齢者も電気毛布を買いました。買ってあげましょうかと提案したが、ボランティアで助けてもらいその上買ってもらうなんて、と断られた。
電気やその他であまり出費を望まない被災者たち、冬の必需品はやはり、電気毛布と石油ストーブだろう。
その後、いろいろ買い物を頼まれ、タクシー代わりにいろいろ買い物に連れまわされた。高齢者だから、気を回す、気を配る能力が落ちているせいか、自分の仕事が出来ないくらいお付き合いさせられるのもつらいが、忍耐で『傾聴をする』能力を試される感じだ。
いよいよ明日はとりあえず東京に帰り、2,3日後改めて塩竃に戻り不足分に手を入れて、第一期が終了だろう。 第二期は教会の三島さんが考えておられるようだ。


この住宅は中に入らないと分からない、建物で、以前このお庭の雑草の除去を頼まれて、自宅の中を見せていただいてこの付近の津波のすごさを改めて認識させられた場所だが、周囲の解体が進み、すでに壊すことになっているとお伺いした古民家だ。

   
 中央にくりぬかれている四角いくぼみは多分掘りごたつの囲いだろう。 東北は寒い冬が長いのでこのようなほろ炬燵は、いたって当たり前のことのようだ。がまた一軒古民家が消えてゆく
のは残念。


くっきりと残る津波の傷跡。 天井まではあと20cmくらいか? 


昔の収納棚 津波の前はどのようなものが保管されていたのだろうとそうぞうするが、


震災後北浜に入りボランティアでお手伝いした、お米屋さん。その後もお付き合いしています。


お米屋さんのはす向かいのデジタル写真屋さん。 ボランティアが来るとよくつれて行き、震災の写真を見せていただいていました。 記念写真もたくさん写していただきました。ありがとうございました。


お友達のたくさん訪れるお米屋さん、お話によく行きました。 ありがとうございました。 またチャンスがあれば来たいものです。

2011年9月29日木曜日

少しずつ綺麗になって行く塩竃です


中ノ島公園の信号前、1ヶ月以上放置されていた塩竃ベースの仕事、ようやく撤去してもらい、綺麗になりました。

おはようございます。
昨日のブログを見ていただいたのはなんと356人でした。 近頃どれくらいの方が見ておられるのかな?と感じながら書いています。このごろは平均で200から250名ほどがご覧になっていると思い、それでも大いに感謝しています。 今朝最後のボランティアさん(横田さん)が夜行バスで来られ、最後の片付けに参加していただけます。 連休で出すことの出来なかった駐車場の草取りをした草がたくさん残っていたのでそれを出すことが出来少しすっきりしてきました。
中ノ島公園の同じ草取りをしたゴミ袋昨日から市の行政が動いてくれた撤去し始めています。 これも写真と撮ってUPしたいと考えいます。


中ノ島公園の水溜りはご覧のように重機が入り整地し、土を盛り、現在のように変わりました。工事ロープも撤去されは入れますが、人の入れる緑はありません。


中之島公園の信号、AUショップの前の、古い住宅以前に解体されましたが、現在は緑が増え始めています。


この部分に残された雑草の袋も綺麗になくなりました。 台風のとき右側は運河から出たのでしょうか水があふれたのでブルーの土嚢、ボランティアが集めた土嚢もこの中に一部入って水を止めています。


雑草取りをして残したゴミ袋ようやく撤去してくださいました。


中心のオブジェはそのままで土台の雑草は伸び始めています。。 私達が手を入れた部分でもあります。


少しお手伝いをした左側の公園はまだ少し緑が残っています。 変わってはいません。


運河の周りはいつものようで、水軍を含んだ土が見えます。 その上に少し雑草が出始めたのかな? 立ち入り禁止になっています。


横を流れる運河は綱もいの被害がまだ見え、フェンスが左から押された結果が残っていますが、少しずつ改善されています。


水の貯まっていた中央部の公園は重機が入り、現在は工事用のロープもはずされ、人々が入れるようになりました。 活用されているかは定かではありません



中ノ島公園の運河の前は土を重機で盛り、現在は水が入らない対策をしたようです。 手前のグラウンドも土を入れ例の水溜りはなくなりました。




個人宅の駐車場に作った花壇、15号台風により流され、枠が壊れましたが復旧し元のところにもって来ました。 土が流れ少し空間が出来、最盛期の花が痛みあるいは枯れてしまったので、残りの時間があれば秋に向かって少し花を増やしたいと考えています。



男子部屋も片付けました。 ご覧のように綺麗になりました。 すべてチェックしながら整理しています。佐野さん、深江さん、横田さん(今朝参加してくださいました)それに大活躍の二人のイエス・カリタス修道女会のシスター。ありがたかったです。 かなり綺麗になりました。


今朝のメンバーです。 シスター方もビブスを来て記念撮影。 恒例の習慣を守っています。



最後は5人で寂しい夕食です それでもベースは変わりました。 第二期の再開を望みながら。明日のお昼は皆で外食予定。 朝は武藤さんの引越しのお手伝いが最後のお仕事です私と他の2人で参加します。 メールは開いています。

2011年9月28日水曜日

今日は私を含め6人です。 夜は5人でした。


今朝のボランティアの方々
さすがに入り口をとめているので働ける人は3人で二人はシスターです。
それでも今朝は塩竃の高山文具店 後ろの住宅の2間をヘドロ出し、と清掃をしました。 今回の台風の結果は分かるようにすでに畳みは廃棄され、床板がむき出しで、その板も水分をずいぶん吸っているなと、湿り具合が見えていました。 一部はすでに丸鋸でだろうか、床が切ってあったので床下を見ることが出来ました。 ブルーシートが敷き詰められ、幾分水がたまり、仕事がある程度見え、ご主人が床板をはがしてヘドロを取りたいといわれたので、掻きだすことにした。 その後今日は社共が立ち上げた台風ボランティアで集まった8名ほどで組んで仕事をこなし、3時ごろにはすべて完了で、仕事も綺麗に出来、ご主人も喜ばれていました。
夕食はボランティアの中でお会いした九州から来られた大学生と夕食を一緒にし、彼らは今夜、レンタカーで上に行きたいと話していたので、助言を与えお見送りをした。
最後の『分かち合い』は男性3名、女性はシスター二人でそれでも伝統の『分かち合い』は実施しています。 明日とあさって『分かち合い』どうしよう?
塩竃天気は再考で運動会日和です。 暑くもなく、仕事のやりやすい時期になり始めています。日の落ちるの、暗くなるのが早く秋から冬への体感を受けています。

2011年9月27日火曜日

9月30日には塩竃、一時止まります。


お気付きでしょうか? 仙台イチョウの木が少し色付き始めました。蔵王連山をバックに車の中から信号待ちで1枚


2011/09/27
塩竃の第一期が終了しようとしています。
一人減り二人減り、明日は働ける人が3名。寂しく悲しい時期です。 働く人が本当に気の毒です。 こんなこと全く仙台サポートセンターは分からないと思います。 言いたいことはありますが、口を封じておきましょう。
皆様本当に5ヶ月間後支援いただき、心から感謝いたしております。 不足なこと、無礼なこと、気が付かなかったことがあればどうぞお許しください。 今後どのような形で再開するのか全く分かりませんが、自分が引くことで、スムーズな運営が出来るのではと期待しています。今後はいろいろ病院に行きチェックしてもらうところもあるようです。 まあPTSDにかからないように健康を維持したいと考えております。

今日は前からの被災者の方とのお約束で、コンクリートの上で一日中お店を守られている姿を見て、そしてお話をきき、夕方には足の先の感覚が麻痺するとの寒さの体験をききそれでは、断熱材を入れた床を張ってあげましょうとお約束していたのですが、ベースが忙しく、約束が実行できず、気にしていたのですが、今朝は決断し、材料を求め現地で仕事を始めたのが午後で、ほぼ出来上がりは五時半ごろで、コンクリートの床に垂木を止めるコンクリート釘の打ち込みに苦労した。 桂島でいためた両腕の間接を、再度コンクリート釘の打ち込みで、痛めたようで、直るのか定かではありません。 さすがプロには及ばず与えられた空間のなかではどうしても隙間がでてしまうのには、うんざりした。が計画通りに仕上がったことにはほぼ満足している。
宮岡さん軽自動車このように使っています。今日はカインズホームニ行き、3mを超える垂木を積み、ベニアと断熱材を積み、大工さん気分で現場に向かいました。明日にはじゅうたんを敷いて完了です。

読者の皆さんブログを見ていただいて感謝しております。毎日このような方々が見てくださり、感謝、感謝です。 塩竃をやめる一抹の悲しみは心にありますが、我慢しております。 長野の友人宅jで心を休め、東京に出て少し休みたいと考えています。 その後浜松に帰ります。 畑の再開だと思います。 


約束した事務所の小さなスペースに断熱材を入れて床を張ることで約束を完了することが出来ました。


大内君、マウンテンバイクを見つけ、松島まで休みを取りツアーに出かけます。 帰りがけには自転車をこぎながらあくびをしていました。 お疲れの様子で!


寄付していただいた宮岡ファミリー、軽自動車は今日このように使いました。 あまりトラックにこのように積むことは無いので上が木になり、運転しました。 いっぱしの大工さん?


後ろから見ると発泡スチロール、ベニヤ板、そして長い垂木、 しかし設計通りにはせず、一段抱けてベニヤを張りました。


終了を示すためか、聖堂の畳を上げて欲しいといわれ、ヶ月ぶりに板の間が見えました。
このような聖堂なんですね。

いよいよ第1期が終了を迫っています。



2011/09/26

塩竃人数が少なくなっております。 しかし来訪者は多く、仕事もかなりありますがボランティアさんが補給されませんが、まるで兵糧攻めにたっているようで、最後のボランティアさんに苦しい思いをさせています。 申し訳ないと痛感しております。 何も一時停止をするなど苦しめることなく移行することが出来ると思いますが。他の3つのベースでは通常の活動がなされているのに・・・・・ それでも塩竃は少ない人数で頑張ってこなしています。 多田さんも急遽駆けつけていただき心から感謝しています。 45号線の亀喜寿司店の前の元そば屋さん。大きな住宅で1階に大きな部屋が6つほどありその住宅の中、床上浸水し畳みも全部廃棄処分しておられるご自宅です。この家の床をはがし、基礎に貯まっている水をかき出し、今日は最期の人数全員で取り組みほぼ終えることが出来ました。 ボランティアさん本当にまじめでしっかり綺麗にヘドロまで除去し、最後はスポンジで綺麗にヘドロと水を吸い取り、お願いされたお宅にお返ししました。 本当に綺麗になったので大変感謝されております。 私自身がチェックもし、綺麗になったことも確認しました。
その後フィリッピンの司教様が来られベースを視察し、昼食もとられ、そのボランティアが働いた現場も案内し見ていただき、大変感謝をされてお帰りになりました。
それと重複するスケジュールで横浜の6教会が現地の視察と今後の被災地を援助するための方策を考えるために現地の話を聞き、私に案内を頼まれそれならと置く松島の野蒜、東名の鳴瀬地区を案内しホテルで夕食をともにしました。 びっくりしたのは彼らも夕食後『分かち合い』を初め、私と永澤さんも参加し今日の乾燥と質疑応答を行いました. 結果的に彼らの感想も私達が行っている『分かち合い』と同じで今日の感想をいろいろうかがえ、この複数の教会が今後支援してくださることを約束していただきました。 野蒜と鳴瀬地区を見た彼らは大きなショックを受けたようで、今後冬になる東北地方、出来れば電気毛布等が良いのかな?同時に送る教会の方が車で持参し、ボランティアのビブスを来て配ると良いのではと提案しておきました。 多分ご支援を下さるのだろうと期待してお別れしました。


中央がフィリッピンの司教様と横浜教区の小笠原神父様


このベースでは全く予想はしていませんでしたが、昼食時でしたのでお食事にご招待したら快く受けてくださったのでボランティアの皆さんと会食しました。 近頃は近場で仕事をしているので昼食は帰ってくることもあります。


イエスカリタス会の修道女がお二人助けてくださっているので大変助かっています。制服でお願いしたのはこれが4ベースとも初めてだと思います。


支援団体とのお話会いを持ち、意見の交換を行い有意義に過ごされたようでした。


永澤さんと私で対応し、1時間以上の話し合いを持ちました。


支援団体(横浜教区の6教会の参加者達)今回は現地視察と交流として現地に少しでもお金を落とすことが目的だそうです。

2011年9月25日日曜日

自分の住所を公開します。 ご連絡ください



今日がコンパクトにまとまった最後の飛騨と思います。 皆様本当に長いことご支援いただきありがとうございました。 神様の祝福をいつもお祈りいたしております。 メールはいつも開いております。何かお聞かせください。 また東北に働きに出かける可能性もあります。


すみませんブログはいつも夜中に立ち上げていますので、目が疲れながら打ち込み、ミスが多いと感じていますが、 チェックをしないためお許しください。

まだ今日まではボランティアの方がいらっしゃいますが、明日からどんどん減り、30日ごろは私とシスターくらいかな?
自分も撤退準備を始めます。
ブログはその間、今まで集めて写真等の東北の報告を載せたいと考えtいます。 すぐにはとめません。ご安心ください。

まだ写真はアップしますよ。 ご心配なく。! 深川

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
深川博暉(ふかがわ ひろあき)
〒432-8002
静岡県浜松市中区富塚町2666
浜松カトリック教会 司牧センター
携帯:090-4597-4180
E.mail: francky.fukagawa1941@gmail.com


仮住所
〒985-8022
宮城県塩竃市新富町15-1
Tel.022-362-3975
カリタスジャパン塩竃ベース
塩竃でブログ作っています。

浜松に移動すると思います。 少し充電します。 畑でもやるか!! の心境です。

塩竃新富町付近のの外観は回復しました。


塩竃の新富町付近の今朝はこのように、住宅やスナック、その他の被災者から出された家財道具が道路沿いに出てきましたが、行政の対応は早く、夕方にはほとんど撤去されました。 外観は元に戻っていますが、しかしフォームした床下に水がたまり抜けていません。 残念ですが、9月で1時期終わりと宣言され、ボランティア募集をストップされた塩竃、明日からほとんど入らず、助けを必要とする人に手を差し伸べられず、大変困っていますが、これに耐えるしか仕方がないと考えています。


2011/09/24

塩竃の現在と筒井(とい)

今朝から塩竃市の行政は行動が早く45号線に吐き出された鍛冶道具の撤去は早く、国際日にもかかわらずゴミと撤去作業車がでて回収して回り大方、夕方には撤去が終了したようです。 ボランティアも大活躍で、市民を助けています。 いろいろなところで需要がまだ沢山ありますが、本部の決定で一時ベースを閉めるため、ボランティアを止めているので、人数が減る一方でどうすることも出来ず、悶々としています。 今日は『市民の方とのお付き合いで』ボランティアの方に経験してもらうため、高齢の方にお話し相手を送り、『傾聴を経験』していただきました。 皆さん大変お喜びで、同時に地元の方も大いに喜ばれ、簡単なお食事まで用意していただき、皆食べてくださいといわれ、最終的にはそれも完了し残りはお土産までいただきました。 感謝しています。
次は2週間ほど前にお手伝いした、筒井(とい?)の被災住宅を気にしていたので訪問しました。 途中主要道路は閉鎖され、ガードマンがいたので、別の道を通って移動し、別の道からなら入れるかもといわれ、蒲生経由で道を探し、途中から主要道路に入り、仙台ナンバーの軽トラックだったので簡単に許され、昔の現場に行くことが出来ました。 誰もいないことを期待しながら着いたら、周囲は一変し住宅がなくなって行っています。 前のおうちも瓦が無くなり。今日明日にでも解体されてしまうかな? この家も危ない!と感じています。 まず気が付いたことは台風の雨がかなり多かったようで、周囲は水田以上に冠水し、以前自分達が耕したところ、花を植えて少し高い畑、そしてキャベツと白菜、そしてブラッセルスプラウトを気にしてみたらやはり水が入り流れた後がいたるところに残っていました。 マリーゴールドも水に覆われたようだが、生きており、下に植えた区や別類も水を被り畝が小さくなっていましたが、全部生きていたのにはびっくりしました。 ヒマワリも頭を地面に落としてしまっていたので全部切り落とし、種で使えるように家の中に入れました。 びっくりしたことはフィットが来て男の人が降りて、キャベツに近ずき、見ているしぐさを見てすでに来られているな!と感じ、この家のご主人ですか?とたずねたらそうだ。それでいきさつを説明し、勝手にやったことを誤りました。 しかしすでに野菜を多分心配してこられたようで、安心し、お話も出来、任せました。影の中に植えたのが心配だともらしておられたが、左の住宅が解体されるとその心配もないかな?と感じていますが、 出来れはあと一回おせっかいで日当たりの良いところを少し開墾し、旬の野菜を植えたいなと感じています。 いろいろご先祖の話、古文書もあったのだが全部津波に流されたこと。そしてここでは畑が出来ないと嘆いていらっしゃった。 理由はガラスが沢山畑に入ったことだそうです。


住宅から排出された廃棄処分の家財道具、 中には新品の畳が数沢山含まれています。


このような家財道具の後ろの住宅で床をはがしたり、水をボランティアは抜いています。 ご苦労様です。 それを知らない人は塩竃は肉体系などと失礼な表現をします。 労働を通してコミュニケーションを図り、仲良くなる準備をしてきています。 それが理解できない人がいるのは残念です。


この後ろで仕事をしながらお話をするチャンスを待っていますが、仕事を進めないと、ご家族の生活に支障が出るからあえて、住民の方とお話をすること遠慮しているのですが、肉体労働をして楽しんでいると思われるのは心外ですね。 上の人の心が変わって欲しいと思っています。 つらいことをしない限りそれは実現しませんがね。


仙台の海沿い、荒浜から名取まで地盤の低い部分はこのように台風の影響を上k手いると思います。これは筒井付近の元水田? は満々と入っています。


まるで大きな池のようです。 このような池がいくつもあり、雑草の生えているところも沼のようです。


3月11日の津波で横転した車がまだ雑草の中に取り残されています。


ここは蒲生(がもう)地区で大きな屋根の先端にシャチホコの乗った屋敷が目立ち、しっかり立ってはいますがこのように1階は打ち抜かれた家が目立ちます。


どうしてこのような光景を多く見るのでしょう? 家の一角が大きくえぐられています。建築的にも何か原因の追究が必要かも? 津波が渦を巻いているとか・・・


電柱の住所では南蒲生地区だそうです


こんなにひどく剥ぎ取られた家もめだちます。 ここは住むことが許されるでしょうか?


まるでお寺のような造りで屋根の先端にシャチホコが乗っています。


この家もコーナーがやられています。 ひょっとすると窓から入りこんだ津波が出るところを探し次の窓から逃げるときに大きな口を作ったのかも・・・しれない


道路の左右にこんな光景が見えます。 晴天で雲がきれいに反射していました。


ショックは自分がお手伝いした家の隣で、お嫁さんと娘さんを亡くされた家がすでに解体されブロックしか残っていなかったこと。


筒井の周辺の住宅。 多分この家も書いたされるでしょう。 海抜0m地帯と言われています。


台風jと冠水にまけずに生きていた2週間ほど前に植えたキャベツとブラッセルスプラウトと白菜が生きていた。 この土地のご主人も来られて板らしく始めてお会いできたのがよかった。 面倒をみていただけそうだ。


ご自宅は多分解体だろう。この周辺で生きてゆくには問題が山積していて、水の供給も無く、電気はほんの1ぶの家庭だけ。


たくさんあったヒマワリの種を2つもらった。 全部は使えない用だので、今後増やしたい。


この野菜はこの水害がよいほうに転びそうだ。 塩害の入った土地だが、2週間生きたこと。そして塩分を多分少し希釈してくれたと思う。


岩陰に植えたマリーゴールドも生きていた。 海水だったら死んだであろうが今回は雨の真水がよいほうに転んだ。


立派なおうちだったが、すでに屋根瓦は剥がされ、買いたい直前の写真を撮ることができた。 次にくるときは多分無くなっているだろう。


半壊した家屋の7本の梁を使いたい。 お寺の柱に使いたいとご主人は話された。