2012年3月31日土曜日

被災地 気仙沼を訪問



この写真は先日、ベースの方を案内して気仙沼まで足を延ばしたものです。
御存じの方は仙台在住の菅原さん、塩釜に何度もボランティアの食事を準備に来ていただきました。 次は浦神父様、東チモールのゆく予定のイエズス会の神父。神戸からの長期滞在の予定の若者。そして自分

長いことボランティアをやっていると、思わぬハップニングが起こります。 先日良いことをするために小さな市をして長崎産の干物を販売したのですが、保存状態や管理がまずかったらしく、販売日よりすでに異臭を放っていたのを売ってしまい、クレームが出てしまい、今日は朝から販売した仮設住宅を回り、お詫びと製品の回収に努め、午後2時ごろにはほぼ終わることができたのですが、不在者も多く、今後は電話の対策をして、個別にお詫びをしなければいけません。 今後はもっと製品の管理をしっかりして安全と健康にも配慮して行かねばと痛切に感じております。 疲れました!



沖縄からのグループが何かイベントを始めようとしていた時の写真
当日は土曜日で県外からの観光客も大勢見えていたようです。

2012年3月30日金曜日

大槌漁港から上がった巨大な建造物


つい1週間ほど前に大槌町の大槌漁港から引き揚げられた得体のしれない巨大な構築物。すべて鉄骨のものでその上に下には巨大なコンクリートの土台がありこれがたぶん昨年の3月11日に海中に引き込まれたものであろう。 この構築物を引き上げるために大きなクレーン船が入り引き揚げたようだ。今回の震災でいろいろなものが(家屋や自動車そして沈没した船舶等)が数多く漁港に沈み、漁師の活動を妨げているし、漁のじゃまをしているようだ。


この島は大槌湾のの中にある蓬莱島で『ヒョッコリひょうたん島』のモデルだ。
上の写真はこの前の漁港の中から出てきた被災当日の巨大なガレキだ。


このガレキは2つに折れ曲がった構築物で、たぶん港の作業場か倉庫等の建造物の一部のようだ


巨大な建造物の一部


大槌町を守っていた堤防もごらんのように動かされたり、打ち破られたり、無残な姿を見せている


東京大学海洋研究所も堤防のすぐそばで、甚大な被害を出した。


研究所前の堤防は無残にもなくなり津波を直に受けてしまったようだ。


昨日帰った神戸地区から来たカトリック学校のボランティアさんたち。

2012年3月28日水曜日

唐丹町の昨日


世界で第二番目に大きな防波堤(ギネスに登録されていた防波堤)現在世界一は普代村の防波堤だそうだ。

今朝は『大槌町でのお茶っこ』と干物の販売を大槌仮設住宅の三番と五番で実施。
雨が降るかな?と考え傘を用意し、あるだけをハイエースに積んで仮設住宅に移動。 時間の経過とともに雨に時々見舞われる。 計画通りに魚の販売は進行した。11時ごろには第三仮設住宅に移動して販売ができた。 第三仮設は住民も少なく、残りは第五に戻って販売した。
ほぼ完了し、ぐるっとおおつちのキチンカーが困っていたので麺を買いに行ってあげた。今日は新メニューでうどんを出したようだ。 今日のボランティアの学生さんにその『うどん』を御馳走した。 すべて完売で要望にこたえられなかった。
きょうの高校生たちいろいろ経験してくれたようだ。 昨夜の地震には参ったようだが・・・・・


唐丹町の漁港の作業場は二つとも津波に破壊され1年経った現在も手つかずの、復旧を見ていない。


世界一の堤防として登録された唐丹町の堤防だが繋いだ鉄筋も引きちぎれごらんのように積み木倒しの状態だ。 守られていたはずの集落は全滅した。


漁港に面した防波堤の壁面はご覧のように巨大にそびえている。


堤防の内部ままるで現代の神殿のようだ。 車2台が通過できそうな大きさだ。


津波に引きちぎられ、倒された巨大な防波堤はどう処理されるのだろう。 この大きさだから重量も相当ありそうで、地面に乗せるだけで津波を防御できると見て作られたものが基礎の作りに見られる。



唐丹町の瑞巖寺の集会所 内部 被災後手を付けていない現在の写真


庭から見た集会所の現状


津波で足を攫われ、しかし運良く屋根の被害を最小限に免れた鐘楼が復元されていた。


同様入口の屋根も津波にさらわれたが同じく屋根が無事で、つい先だって柱を新しく入れて復元された。 彫刻が少し破損したらしく、これも丁寧に復元されていた。


昭和八年の三陸沖地震の津波の記念碑で、この面に詳しく様子が記載されていた。 当時は三月三日の深夜2時頃で会ったようだ。 今回も津波が深夜に押しっていたらどれくらいの人々が犠牲になっただろうと考えた。


先日住職の方に読んでいただいただいたがじっくり読まないと難しい。

2012年3月27日火曜日

またまた大きな地震に見舞われ、城山公園の高台に避難する



ここは陸前高田の現状で、この雇用促進住宅は4階まで津波に洗われ、周囲は前回より周囲が少し奇麗に掃除された。 しかし現状はまだまだ。



政府援助の建物だから解体が遅れているのだろうか?

来ました。また大きな地震!
今晩(28日)2011分大きな地震に襲われた。
ベースで地震が来るときは何かがガサガサ言うような音とともに地鳴りがして音は次第に大きくなり、寸胴の鍋と冷蔵庫が揺れだしかなりの音が出始め、建物の鉄骨の音がして危険を感じるほどの揺れになり、前回より大きな地震と感じる。推定では避難勧告が出そうな雰囲気で、ミーティングを止めて避難することを、暗黙の了承のもとに移動を始める。20名程のボランティアがいるので安全確保が一番の目標で、車3台で避難することに決定し、前回同様前の城山に避難、行動は早く、初めての若者にはショックだったと思う。
しかし避難は正確で速かったと感じる。 これらの行動は良い訓練になっているようだ。幸運に津波警報はなく非難もすぐ解除された。
明日の予定は『お茶っ子』と産地の販売を予定しています。自分は軽自動車に乗って産地の魚の干物を販売予定です。




昨年はたぶん階下はつぶれていなかったと記憶しているが、今回見ると重さに耐えかねて階下がつぶれていた。


校舎前の自転車置き場だろうか?震災の瓦礫が集まっていて、遅れていることの証だろう。


これは甲子園に出場したことのある、陸前高田高等学校。 津波は3階以上に押し寄せたようだ。


3階の窓まで打ち壊した津波の痕跡が痛々しく残っている。


甲子園出場記念の碑が校舎の前に残されていた。

2012年3月26日月曜日

気仙沼の1年後


気仙沼の市街地にまだ横たわる漁船? 観光スポットとなってひっきりなしに観光客が訪れていた。


そばを歩く女性と比べるとそのスクリューの大きさが推測できる。

月曜日、 昨日気仙沼に行った。
変わったことは? ガレキが少なくなったこと。 そして倒壊しかけの家屋が少なくなってゆくことに気がついたこと。

今朝は28日29日と行う『お茶っこ』と長崎の産物の小さな販売のチラシを仮設住宅に配りに行ったこと。 一番大きな250世帯ほどが住む第五仮設住宅で10人ほどの八戸から来られた聖ウルスラ高等学校の男女の学生さんの活躍で早々と終了できた。 途中に猛吹雪にあいあわてて仮設住宅から退散してきた。 午後からは天候も回復して別の仮設住宅にイベントのビラ配りをした。

その後の気仙沼の写真を紹介したい。


ここは気仙沼の鹿折地区で火災の激しかったとこだが、ガレキもかなり撤去され整理することに関してはかなり進歩しているようだ。

家屋のベースは残っており、今後はこれらの撤去が主要な仕事のようだ。


鹿折地区の中心部はほとんど残っておらず遠くに見えるビルも多くは被災していると予測できる。


土台の残った市街地の今は・・・・


以前は観光船が入っていたところに、震災後は漁船がともに停泊しているシーンが増えたようだ


観光市場にも少しずつ客が戻り始めたようで、威勢の良い漁師の声が響いていた。


『戻りガツオのたたきは、いかが?』と声をかけていた。


気仙沼の居酒屋街が小さな復興市場や食堂を始めていた。ちょうど日曜日だったので、観光客があふれて、食事をするためにかなり待たされた。

2012年3月25日日曜日


上は大槌中学校の体育館に残された、未洗浄のアルバム類

昨日は(土曜日)初めて写真洗浄に行きました。
かなりまだ残っていると聞いていたのだが、かなり少なくなっている印象を受けています。
写真洗浄とあったのですが、実際は洗浄ではなくアルコールで拭くことがメインで、それでもかなり綺麗に汚れを取り除いていたのには驚くし、1年以上写真の洗浄に掛ける、望月さんの忍耐にも感服した

津波で体育館の床が波打つ状態で残された驚くべき、津波の結果



左コーナーも床面が波打つ体育館

今日は(日曜日)久しぶりのお休みで、イエズス会の神父様と、仙台の菅原さん、そして長期滞在の若者を連れて被災地の現状を見せるために、
陸前高田、気仙沼、そして唐丹町と案内しました。


1年経過した被災地、気仙沼の鹿折地区に残された大型漁船


陸前高田体育館のフロアーにはまだひっくり返った乗用車が残されていた


押し寄せた津波の威力にさすがの鉄筋コンクリートの体育館の壁が耐えきれずに落下した。


日本百景の高田松原の希望の松も、塩水に耐え切れず、枯れてしまったようだ。今日は日曜日多くの見学者がおとずれていた。


気仙沼私見だが、一番経済的に被災した地域だと感じる。 しかし予想以上にがれきの撤去と建物の取り壊しは進歩していた。


気仙沼の屋台村で『漁師丼』1300円をおいしく頂いた。 『うまかった!』


昭和8年の三陸沖の地震の言い伝えが唐丹町の高台にのこっていたが、結果はそれでもかなりの被害をだしてしまった。」

目が疲れている! タイプミスはお許しを!

2012年3月24日土曜日

春以降の野菜作りの計画


畑の候補地、NPOと考えている野菜作り。

昨晩はかなり暖かったのですが、予報は雪、これも岩手独特の重い雪で朝起きたら、実際に雪が積もっていました。 昨夜から言われていたのは、釜石のお手伝いで『お茶っこ』と『写真洗浄』が課題でした。 人数は四名と言われていましたが、結果的には6名もいたので写真洗浄は合計で10名はいて、結果的には10冊ぐらいの写真の洗浄ができました。
先日は『ぐるっとおおつち』のキッチンカーで焼きそばを売るかたわら、春以降に畑を作ることを頭に少し動き始めました。 仮設住宅の目的の見えない生活からできれは脱却できるように、畑でも作ることができれば、気分転換もでき、苦しみを少しくらい解くことができるかな?と考えています。

この土地での問題はクマ、シカ、サルの存在だそうで、NPOで予算が取れると柵が作れる可能性があるかもしれない。


上の畑の予定地


土壌に放射能が入っているかのチャック


対比の中のセシュームのチェック