2012年2月27日月曜日


東京にまた大きな名所が出来た。
それは『東京湾ゲートブリッジ』だ。
データーはWikipediaから



東京ゲートブリッジ(とうきょうゲートブリッジ、Tokyo Gate Bridge)は、東京港第三航路(東京東航路)を跨ぎ中央防波堤外側埋立地と江東区若洲を結ぶ橋梁である。東京港港湾計画に位置付けられた港湾施設(幹線臨港道路)・東京港臨海道路のII期事業区間の一部を構成する。
建設時は仮称として東京港臨海大橋と呼ばれていたが、一般公募により「東京ゲートブリッジ」の名称が付けられた[1]。また、恐竜が向かい合っているような特異な形状をしている事から恐竜橋とも呼ばれる[2][3][4]。
事業期間は2002年(平成14年)度 - 2011年(平成23年)度で、2012年(平成24年)2月12日に開通した。東京ゲートブリッジを含む東京港臨海道路II期事業の総事業費は約1,125億円[5]で、国土交通省は開通による経済効果を年間190億円(走行時間短縮で172億円、走行経費減少で18億円)と試算している[4]。

東京都が策定した東京港港湾計画に記された江東区若洲と大田区城南島間約8kmを結ぶ東京港臨海道路の一部で、全長2,618m(陸上部アプローチ橋を含む)のトラス橋である。水面(荒川工事基準面、A.P.)から橋梁最上部の高さが87.8m、海上を跨ぐ区間の長さが1,618m(横浜ベイブリッジやレインボーブリッジの約2倍)で、RC橋脚の上部に鋼3径間連続トラスボックス複合構造の4車線道路が設けられている。
建設地が東京国際空港(羽田空港)に近く航空機の飛行ルート上にあるため、航空法により橋の高さに制限(98.1m以下)が課されている一方[3]、東京東航路を通る大型船舶が航行可能な桁下の高さ54.6mを確保すべく、吊り橋や斜張橋ではなく、三角形に繋いだ鋼材を組み合わせて橋桁の荷重を分散するトラス構造が採用された[6]。また、支間長は440mで、日本国内のトラス橋としては生月大橋(同400m)を上回り、港大橋(同510m)に次ぐ規模である[7]。

今朝少し時間を見つけて歩いてみた。
海上から60mほどの高さの構造物なので風が強く、その上今日は強風が吹いていた。 体感温度はマイナス5度くらい? 大槌町の温度並かな? 下は若洲公園にスタートして対岸の大田区城南島間に出来上がった橋で、眺めは最高だ。
ここから東京を眺めると、凄く発展したなと痛切に感じる。 自分が昔アメリカのニューヨークのマンハッタンに入ったとき、日本は負けているな(高層ビルの数で)と痛切に感じたことを覚えているそのころに日本は高層ビルといえば新宿副都心の淀橋浄水場跡に京王プラザビルや野村ビルが出来始めたころで100mを超えるビルは数えるほどであったが、対岸を見ると高層ビルの数もずいぶん増えたものだ。
平日にもかかわらず、観光客が多いのにも驚かされる。



追加

いまヤフーニュースを見ていたら東京ゲートブリッジについてデーターが出ていたので、紹介させてもらいます。 引用です


2012年2月12日に一般道として開通した「東京ゲートブリッジ」。新しい形式の「トラス」が向かい合うデザインは,大型船や航空機が行き来する環境で,コンパクトに橋を支えるために考案されたという。

■ 軽量化・地震対策のテクノロジー
 大きな橋は,橋自体の重さを支えられるよう,「吊り橋構造」や「トラス構造」をもっている。トラスとは,三角形をつくるように材料を組むことで重さを支えるものをいう。

 2012年2月12日に一般道として開通した「東京ゲートブリッジ」はトラス橋の一種で,東京湾の埋め立て地の南部に架けられている。トラス橋にすることは,「大型船がくぐれるよう一部の橋脚の間隔を大きくとり,橋げたを高くすること」,「羽田空港を離発着する航空機の障害にならないよう橋全体を低くすること」という二つの条件から決まった。瀬戸大橋のように高い柱を立て,ケーブルをはる吊り橋にすると,柱が高度制限をこえてしまうのだ。

 また,東京港は地盤が弱いため,橋自体が軽いほどよい。東京ゲートブリッジの橋げたは,コンクリートよりも軽い金属製だ。さらに,トラスをボルトでとめるかわりに溶接してとめることや,床板と道路を一体化することなどにより,全体を約10パーセント軽量化した。また,トラスの一部を道路の下に置く「上路構造」にすることで,コンクリート製の重い主橋脚が小さくなり,橋の安定化・軽量化につながった。

 大地震対策にも先端技術が取り入れられた。主橋脚とトラスの間には,2種類の特殊なゴムからなる免震機構がそなえられ,耐震性が向上した。また,橋の各部にはセンサーがそなえられており,橋にどんな力が加わっているかを監視している。これにより,内部で小さなひびが生じた可能性がある場所の安全性を調べることができるという。

■ 東京ゲートブリッジの主要データ
 区間 ……… 中央防波堤外側埋立地~江東区若洲間
 橋の全長 …………………………………… 2.6km
 橋の重量 ………………………… 約3万6000トン
 主橋梁部の全長 …………………………… 760m
 主橋梁部の重量 ………………………… 約2万トン
 高さ ………………… 87.8m(25階建てビル相当)
 主橋梁部の形式 …… 連続ボックストラス複合構造
 通行料 ………………………………………… 無料




2012年2月26日日曜日


この写真は、大きなボタン雪が降った日の夕方、霧が出たので帰りに大槌川の上流で撮影した写真です。 これは何か定かではないが、道祖神?見たいな意思がこのようにおいてあるところがいくつかあります。


今日(日曜日)、現在東京に出ています。 目的は少し休むこと。そして仮設住宅の住民の方々のための野菜を仕入れることです。 これが目的で。明後日、浜松に向かいます。 ここでは冬でも隣の農家が精力的に野菜を生産しているので多分手に入れることが出来ると思います。 
前回は午前中で仕入れた野菜が全部さばけてしまったので、それ以上に仕入れたいと計画しています。帰ってからの仕事は多分その野菜の販売の手伝いと、その後、地元のご婦人の写真の展覧会の手伝い、そしてNPO法人のパソコンのお手伝い等が残っています。 同時にベースの仕事も日曜日にはあります。 したがって自分の仕事は休みがなく結構疲れます。 前回帰ったときもほとんど休めず、帰るのも疲れてしまいますが、ベースを離れて一時気分転換をすることも必要だと思います。

今日の午後は久しぶりに東急ハンズに材料を探しに行きました。 このお店は実に凄い、東京だからこんなに品物があっても、捌けるのでしょうね。いつも感心させられます。 
今回はNPO法人で『トラ舞』の小さなモデルを作ろうと地元の素人が頑張っているので、その必要な材料を探したのです。
注型用シリコンとその剥離剤、油土、とその工具類を探してトラの面を作るお手伝いをする羽目になるかも知れません。

土曜日は雪に悩まされました。 大槌町で地元の人は今年は雪が多い。 例年はあまり降らないが、2月3月に重い雪が降ることはあるといわれていました。 この土曜日は朝から実に小さな雪が沢山降り始めました。小さいことは、多分外気温がかなり低いことだと感じています。 
借りた車は持って行かないほうが良いと地元の人に忠告されました。 一瞬気になりましたが代わるものがなく、無理も言えないので慎重に運転すれば、先月も同じ車で雪の中は走破していましたから、それでもこの車4WDだよといわれていたので(外観は何の表示もなく)自分もRDだと思っていたが、運転席を見たら小さなスイッチがSnowとあったので、こいつが4WDに切り替えスイッチだ。安心して雪道をドライブしました。 しかし2日前は雪が内陸部は凄く、特に大槌から花巻までが凄吹雪の雪道で、日中は運転しにくいでした。 周囲が真っ白で車の区分帯が分からず、その上チェーンを使う車の轍のあとがショックを作り、二中の運転はいやですね。 花巻に着いたら今度は東北道が全面通行止め、4号線は渋滞の連続で、朝10時に出て、高速道に乗れたのが築舘からで、午後4時でした、その後事故渋滞にはまり10km我慢で、東京にたどり着いたのが夜11時半でした。
やはり疲れましたね。


2012年2月22日水曜日



この写真は大槌町駅周辺で後ろがプラットフォームです。 山の上の白い建物は城山公園で、その左下が大槌町学校と役場方面で
津波後の現在の写真です。


この写真はNPOで見つけてコピーをさせていただいた、旧大槌町駅の写真で現在は跡形もなくなっています。

今晩は!
今朝からコタツに入って写真を整理していました。

NPOにお手伝いに出たら、前の晩からベース長の古木神父様に、NPOからパソコンの出来る人を派遣して欲しいといわれていたのは食事中の話を聞いていたので知っていた。
出る前に誰か一緒に行くのか確認を取ったら、今日は出来ないと言われた。
それなら自分がお手伝いしようと、申し出たら、地元の方が近々地元で写真の展示会をしたいので手伝って欲しいといわれた。 パソコンはほとんど出来ないので、助けて欲しいといわれそんなことはお手の物でお手伝いをすることにした。 写真なら毎日やっていることで、お安い御用で今朝から家庭に入ってパソコンと向き合っていました。
この叔母さん地元の方で、カメラマンではないのですが、震災当日から現在まで沢山の大槌町の記録を収録して、地元の人しか撮れない貴重な写真を持っておられ、びっくりしています。

自分の家も流されてしまい、現在は弟さんの家で生活しておられます。
いま大槌町で開店したMastというスーパーマーケットの空きスペースで3月の初旬に写真展を開き、ついでに自費出版で大槌町の写真を発表しようと、寝食を惜しんでその計画の成功にかけているようで、素人にしては凄いなと感心しています。 この人を助けようと動き出しています。
本人は商売する気はなく、発表する気も無かったようですが、大槌町の人さえあまり知らない写真を見せたいという気持ちに駆られ動き始めたのです。
写真そのものはプロの機材ではないですが小さなコンパクトカメラやビデオ、携帯で撮影しています。、しかしデジタルなのでパソコンも知らずに、デジタルをするにはパソコンがないと出来ないと知りパソコンを2週間ほど前に買ったようです。 しかしずぶの素人がここまでやれるとは・・・・感心です。
そこで今日は画像の解像力を上げ、大きくしA-3で発表するらしくそれに耐えられるサイズと色見に変更して選択された200枚弱の写真を120枚と50枚に選択して印刷出来るようにしました。 あと数日お手伝いしなければいけないかな?と考え明日からもお手伝いと覚悟しています。
その前にまた変な出会いに遭遇し、朝の出勤前に川で鳥の写真を撮って帰りに、バス待ちの女性に声をかけられ、どこに行くのですか? NPO法人にお手伝いに。 自分は釜石に行きたいのだが、バスがあと1時間ほどこないので、釜石まで釣れて行って欲しいということがすぐにわかり(普通ならありえないリクエストが平気で行われるのかな?)しかし自分がボランティアをしていると、助けたい人が毎日周囲にいて、車を運転していると乗せてあげたいと心を動かすことが多いいのです。 今日はそんなことで、出勤時間だが、往復40分1時間の遅れは覚悟し、その場で『それなら連れて行くよ!』とOKで引き受けました。 この人も困っているらしく、車の中で30分は話せ、いろいろ知ることが出来ました。子供もいるらしく、それなら自分jのところにストックしている物資があるのでそれらもお分けしてあげようと約束し、目的地までお連れしました。 あすこの方も自分達のベースを訪問してくれると思います。 これらの支援物資はこのベースでは邪魔者で、早く処分してくれといわれ困っていますが、すこしずつさばけるのかな?と喜んでいます。 住民の方とこのような出会いが出来、喜んでいます。
一日中パソコンに向かっていたので目の調子は最悪で、チャックするのさえ、きついですが、一応見直し修正しましたが、ミスはお許しください。


2012年2月20日月曜日


この写真は今朝撮影したもので、撮影ポイントは元大槌町駅跡から現在の町役場付近右側はカリタスジャパン大槌町ベース付近の合成写真です。 3枚接合して作った写真です。正面の山の中腹より少し上にあるビルの周辺が城山公園です。

今晩わ!ですね。 今朝はNPOでお手伝いでした。

普段ですと若い男性が料理と車の運転をするのですが、男性が病気で欠席。 インフルエンザから回復した女性が出勤。 まだ咳をして、感染するのではと心配でしたが、現在は異常なく3時にベースに戻りました。 
今朝の仕事の内容は、野菜の仕込みは豚汁で、ヒッツミはありませんでした。 キチンカーの運転をする羽目になるとは予想外でした。 車も運転し、仮設住宅を回りましたよ。 
お昼そのお汁を飲んだとき何か少ないなと感じてはいましたが、ごぼうが入っていなかったかもしれません。 しかし美味しかったです。
車の中でお昼の食事をしたとき津波のことも話してくださいました。 このお母さんも、祖父母3名なくされたそうです。 それでも元気で、話してもらう前は全くそんなことを感じさせませんでした。
そのとき若い郵便配達の人を同じ仮設住宅で見つけ『あの人もっとひどいのですよ』。 自分の高等学校のときの1つ上の先輩です。
ご両親、彼の妻、そして2人の子供達祖父母全員で7名なくしたのです。 残されたのは本人一人です。このことを聞かされて本当にショックでした。 それでもその人、小さな郵便局のバイクを運転して仮設住宅を回っていました。 必死で働いて悪夢を取り払おうとしとられるのかもしれませんでした。 聞いて初めてこんな被災の惨めさを聞かされました。
今回の焼そばを作っていたお母さん、4人の子供を持っているようです。三人の男の子が小さく元気で大変なようですが、頑張っていました。一番上が長女で家事を手伝って働いてくれるので助かっているそうです。
少しでもこのような人が元気に働いてくれたらいいなと考えながら応援をしています。
明日はどんなお手伝いがあるのだろうか? 出会いはいかがなものだろうか? 今日は大変暖かく春を感じさせる太陽と無風で、逆に商売は少し難しかったかな?
明日も頑張ろう!


2012年2月19日日曜日



昨日は疲れてブログを立ち上げませんでした。 すみません。
大槌のベースは現在料理をする人が2人とも帰っていて、苦労しています。 自分も作ることは出来るのですが、遠慮しています。 『うまくないと言われると迷惑をかけますから』

この写真は仮設住宅の一つで、このときは地元の『お団子』を販売しています。お団子は人気で午前中くらいで毎回完売です。

現在は岩手県ではインフルエンザが流行しているので、キチンカーの女性がインフルエンザにかかり、休んでいるので、応援のために、別のキッチンカーに乗って販売しています。 仕込みのため野菜切りや、什器の洗い、かたずけ、作成のお手伝いそしています。そして地元産の『ヒッツミ汁』(他県では団子汁)というお汁を作って、焼そばと一緒に販売しています。 すべて100円です。ヒッツミとは『引きつまむ』という言葉がなまって、出来たと説明されています。
お昼前の昼食用や、夕方のご飯のために売れています。 特に土曜日は結構売れます。 平日は若い人が出勤しているために少なく、高齢者が買ってくださいます。
このキッチンカーは、車が古く、力が無いのでドライバーも運転に苦労しています。

仮設住宅はこのような簡易の建物で、結構寒そうで皆さん苦労されています。 天気が悪く、太陽が出ないと、お客も少なく、販売のときに苦労します。


これはキッチンカーで左側で焼そばを作ります。 お汁はNPOのベースで作り、焼そばは車の中で作ります。朝8時ごろから作り出発は10時半ごろから時には11時になります。


焼そば全体を蒸すために途中で水を加えます。 そうすると周囲が寒いため、立ち上る水蒸気も半端ではなく料理をする人が見えなくなるほどです。

2012年2月17日金曜日

一昨日は暖かく、しかし昨日の午後は風が強く5時ごろは肌をさすような寒風が吹きすさんだ。
ベースの2人が休暇を取り、今朝帰ったので、ベースは現在古木神父以下4名だ。
今朝目を覚ますと昨晩の寒さが雪になったようで、大槌町一面うっすらと雪景色になっていた。 寒い、 その後10時からは販売者に乗りお団子やお赤飯を販売した。 結構寒風が寒く、こちらのNPOの宣伝の用紙を掲示板につける作業は骨が折れた。寒さプラスの強風で掲示板に止める用紙とピンの工夫が必要だ。 一番良いのは画鋲でプッシュピンは風に弱く吹き飛ばされている掲示物がおおかった。


この写真は今朝の雪の景色で、粉雪が夜明けに少し降ったようで一面が白くなった。


寒さは半端ではなく、屋上タンクのわずかの漏水がご覧のような巨大なツララを作っている。


 そのツララを逆光で撮影するとごらんの洋に見える。早朝はマイナス5度からマイナス7度くらいまでは落ちる環境だ。



奥に見える白い建物は、津波でやられた県立大槌病院で、現在は使われておらず、病院は少し上の道沿いに仮設の病院を建てて、開業している。


うっすらと雪に覆われた今朝の大槌町で、後ろは小鎚川の大きな水門だが、震災の津波には何も役に立たなかったようだ。


この島は蓬莱島だ。 ご存知だろうか? 昔NHKが放送したヒョッコリヒョウタン島のモデルとなった吉里吉里の沖にある島だ。
津波に飲み込まれたようだが残るものが残った。

2012年2月16日木曜日

大槌町の植田医院の解体

1週間ほど前から始まった大槌町で目立った白いビルも今日ではほとんど解体が終了し残った部分は1階のみで、すでに重機が入り、朝から仕事が始まっている。 この写真は解体以前のもので津波に打ち抜かれた1,2階の什器の流れ出した出口がわかる。


これは植田医院の在りし日の写真である。この辺りは津波が2階の天井ほどの高さで浸水してきたようで、現在私達が使っているビジネスホテル寿も同様な被害を受けた。


この被害のひどい部分は建物の弱いところだろう。 海水が一気に入り建物の中の什器を持ち上げ、海水の威力が強いので、押し出す部分が見つからず、ついにはこの壁面の部分が破壊されて、屋外に流れ出た様子を想像することはよういである。


今朝(2012年2月16日)の周囲のシーンだが、白い植田医院は残っていない。


ユンボが黙々と唸りを上げて周囲のガレキをダンプカーに載せている。


この写真は3日前に入ってくださった横浜サレジオ高等学校の生徒さん達。 大学の入学の決まった生徒さんで、写真洗浄やベースの周囲の清掃をしていただいた。
ビブスはカリタスジャパン大槌ベースオリジナル。 撮影者は自分
左下古木神父、右端片岡さん(ベースの責任者) 左端引率の先生

2012年2月14日火曜日

岩手県の大槌町、中心から10kmほど入った山の砂防ダムがあります。 
今日はそれほど寒くないのですが、ご覧のように場所によってはこんなシーンが見られます。
今朝のニュースだと下から雨模様となってきているようです。 大槌川も凍結の範囲を広げ、寒さを感じさせています。
最終仮設住宅はこれからもっと奥の16kmのところに最終点があります。 寒く、以前に降った雪が残っています。
今日は販売するものが結構あったので出かけて行きました。 16km先の小学校の校庭まで出かけたのですが、運悪く住民の方が出てこなく、仕方なく引き上げてきました。
今朝はお団子や赤飯、漬物類が結構沢山残っていたので完売するか少し心配でした。

和野仮設住宅に行きました。 高齢者のイベントをしていたので、そこに持ち込むことが許されました。 お陰で残ったものはほぼ完売で、午前中の仕事は終了でした。


これは砂防ダムの半分で、あと半分はもっと大きなツララが氷壁のように出来上がって、壮観です。 水は綺麗で夏ならこの水の貯まった部分でお


上の写真の右側から上の貯まった水を排水する部分で氷の塊の中心は解けてそこに水が勢いよく流れ落ちています。


毎晩の冷え込みと上からの水の落下が氷柱を作り上げ、毎日落ちる水で少しづつ氷壁が拡大しています。


氷壁の荒々しいシーンは人間では作れず、自然の造形力に感心しています。


これが左半分に出来た大きな氷壁で、今後も寒さが増すたびに少しづつ拡大して行くと予測できます。あだ青氷には見えませんが、寒さが増すと青くなって行きそうです。


下に出来た氷の上に1摘づつ落下して表面がこのように荒々しく造形されてゆくのでしょう。


氷壁の表面です。毎日水の落下で作られる自然の造形。 決して高くは無いが自然の造形力に感心です。


この川の体言は、先日降った雪がまだ沢山残り、太平洋の沿岸部も今年はこのように雪景色を見ることが出来、自分にとってはラッキーです。

2012年2月13日月曜日


お寒うございます。 
全国的にインフルエンザが流行しているようです。 岩手県も真っ赤になっているようですが、大槌町の皆、元気に仕事をしております。 なぜか解りませんが、多分流行をもたらす生徒さんや子供達と会うチャンスがあまり無いこと。 そして寒くてインフルエンザの菌が流行しにくいのかな?なんて勝手に考えています。
今日は久しぶりにNPO法人『ぐるっと大槌』にお手伝いに行きました。 ここではペンダントを作るための少し効率の良いやり方や、ポリエチレンの成型方法を教えたり、パソコンで下絵を作ってあげたり、パッケージのお手伝いをしたりしています。
現地の人が(ご婦人がた)が下のO-チャン人形を作って生活の足しにしています。 興味のあるお方はご一報ください。 イベントで売っていただくことも出来ます。 売り上げは仮設住宅で作られた方の生活の足しになっています。 このNPO法人も被災された現地の若い方等がお手伝いをしています。


人形の大きさはLMSがあり1個700円、600円、500円となっているようです。


上の写真は大きいので700円だと思います。


これはMサイズで600円かな? イベント等で裁いていただくと助かると思います。


これは一番小さな人形で携帯ストラップ等に良いと思います。
私に連絡は上のメールアドレスが使えます。

下にも書きましょう。 ご連絡ください。 NPO法人の連絡を取り次ぎます。
 francky.fukagawa1941@gmail.com

2012年2月12日日曜日

皆さん今晩わ!お元気でしょうか。 
こちらは外は強風が吹いて、風が唸っています。一日寒かったです。 雪もぱらつきました。

今日は2月12日 日曜日、 本来は日曜でお休みですが、先週から働いています。 
これは 『NPOのぐるっと大槌』が月曜日は仕事で、大槌町の社共が月曜日がお休みで、このベースは日曜日に仕事をするため、私は連続仕事になってしまう可能性があります。 仕方が無いです。まじめにしっかり働いて来月は少し休みたいと考えています。
今日の仕事はベース内の仕事を3,4日ほど継続していて、 水周りの修理をしています。
今朝は5時45分に起床で釜石にミサに預かり、その後仕事をしました。
このビル自体が何年経過したのかわかりませんが3,40年は経過しているようで、今回の震災とあわせ、いろいろな部分に緩みが出て特に水周りでは苦労しています。 今回はユニットバスの修理でユニットが小さいので、修理が大変でした。 特にジョイント部のネジが緩んでそこからの漏水が問題で、その止水に挑戦でした。 水を止めるためにシールドテープを巻いてスパナーで締めるのですが頭一つしか入らないスペースで大変苦労しました。 締まっても他の部分から漏水が始まり、ネジをあけてみると水道のパッキンが劣化して役目を果たさず、これらの交換で一部の漏水は何とか止めることが出来ました。 しかし配水管の漏水が止まらず、そこを締めていると次のところが緩んだり、何度かギブアップ寸前になりましたが、一つ一つ解決することで、12時間ほどかけ、2部屋の漏水を何とか解決できました。 こんなことをボランティア以外にも内部の仕事でやっています。



これがユニットバスの洗面台でその下のスペースは頭一つ入り、体は入れません。 上を向いての仕事で大変でした。


赤いバルブは右が水で、左のバルブは温水ですが、今回の震災で温水は使えなくなりました。 ボイラーが海水に浸かったの原因です。


これは匂いが逆流しないための止水コックで、ここからも水が漏り、苦労した部分です。 少々締めすぎても、どこか他の場所からの漏水があり、なかなかとめることが出来なかった部分です。 内部のゴムのパッキンも交換して何とか止水できました。


洗面器を止めるネジで、これも締めなおし、なんとか止水できた部分です。スパナーが入らず苦労した場所です。


左右の小さなボルトの下は漏水がなく、上に問題がありここから漏水していたので、ひっくり返り天井を見ながらの苦労した部分です。 何回、ギブアップ寸前まで行ったところ。


ここは2箇所のパッキンが劣化し交換しないと漏水は止まられなかった場所です。


水道管の中のパッキングを換え、漏水は止まったのですが、後一箇所上の部分からの漏水がひどく、もう一つのパッキンがあることを知り、こいつを交換することで、ほぼ修理は完成でした。 水道屋を呼ぶ必要がなくなったことが今日の仕事でした。

あと一つの残った大きな仕事は4階の屋上にある水ンクの内部のグラスファイバーを張って、完全に止水することが、少し暖かくなってからの仕事です。

外は相変わらず強風が唸っています。 家も揺れそうです。

2012年2月11日土曜日

今日は2月11日、東日本大震災から11ヶ月目。 午後、この町の町長さんのメッセージがあり、その後震災の時間に合わせて1分間の黙祷が行われた。
すでに11ヶ月が経過し、大槌町ではビルの取り壊しが毎日行われ、隣町の釜石よりは町の整理の進行が結構早いようだ。
釜石に行くチャンスはかなりあり、町並みを見ているのだが、釜石では道路の整備や修理が多く、ビルにはほとんど手が入っていないように感じ、遅れているのが目立っている。

自分はこの数日ベース内の仕事がいろいろあり、今日は昨日からの椅子の修理、本来は粗大ゴミで消滅する予定だった、すわり心地の良い木製の椅子を修理して3脚、救出できた。 
昨日は寒い中、車を2台洗濯し、今日は換気扇や冷凍庫の清掃、実際に動くかの調整や、その後は写真の洗浄をしたり、その写真の展示会のための提案をしたりしています。 周囲は寒いので、太陽が出ていないと、車を洗った水がその場で凍りだす寒さです。
先日壊し始めた白いビルは今日ほとんど解体が終わったようだ。
昨日は塩竃ベースで使っていたものが現在は使っていないので、必要なものを上げるからといわれて、片道200km以上運転してもらいに行きました。 長靴を処分するといわれ、仙台教区に保管されていたものを20足ほどもらってきています。 インソールの入った先端の硬い安全靴を頂、春からまだまだ整理や即効の掃除等が残っているので、活躍の場はあると考えています。


これは9日の写真で、朝日が雲の間から光を地上に投げかけていたので、美しい光景をかもし出していた。 上は大槌湾です。


1週間ほど前に始まった解体作業、白いビルも左側が少し残り、残りは2階のフロアーのみで後は今日くらいで終了だろう。 明日は日曜日。

皆様、大槌町のボランティアにもどうぞ。 ここは仙台から独立していますので、申し込みは下記のアドレスにどうぞ。 片岡という男性が受け取っています。

otsuchibase.@gmail.com

で申し込むことができます。3月は学生さんが少し多く来ますので、日にちをずらしていただくと、簡単です。 東京からは池袋発大槌町行きが直通で出ています。
皆様大歓迎です。 どうぞ。


2012年2月7日火曜日

先週から解体が継続しているビルだが、昨日はご覧のように1/5ほどに縮小し、このコンクリートの4階部分が折れ曲がり、残すはあと少しとなりつつある。 お天気は昨日は快晴で、仕事もかなり進行していた。
今日は雨模様の少し温かい朝を迎え地面が濡れ、雪もほとんど解けてしまった。



カニの爪のような先端は鉄骨をくわえ、電流を流すかして、切断し解体している現場だ。


視野の中に入るビルはこの解体しているものを除くと、以前アパートだった背景の茶色のビル1つが残ることになった。


屋上部分が折れて曲がり3階に倒れこんだ。残すはあと1階の整理で、最後に2階のフロアーから仕上げるとほぼ解体は終了となるようだ。


これも昨日の午後のシーンだ。 ユンボも沢山集まり解体が盛況に入り、いろいろな機械がうなりを上げて働いている。


20120207小雨 これは今朝の仕事のシーンで残りの部分の整理をし、雨の降る中で仕事が進行し始めた。 雨が降ることはほこりの立たない作業が確保されている。


上の白いものは左側の壁面だろうこれらを引き剥がし、処分して最後の2階のフロアーの整理が今日の仕事だろう。


今日はご覧のように大槌町を囲む周囲の山は霧に煙り、外気温は2度から4度くらいで普段よりは暖かい一日のようだ。

自分達の長崎ベースの仕事は今朝は釜石に『お茶だしの体験』に行っています。自分はすでに米川で経験しているので、長崎ベースで本格的に始まると、お手伝いが出来ると考えています。
長崎ベースは立ち上がってまだあまり時間が経っていないので、ボランティアさんが知らないようで、少ないです。 まだ本格的ではないですが仕事はいろいろありそうで、ベースの責任者が長崎とこの大槌町を両方仕切っておられるので大変なようで、春になると仕事も本格的に動くのではないかと期待しています。 私は今日もぐるっと大槌のNPO事務所でお手伝いをしていますが、今日は移動販売がなく、パソコンに向かっています。 自分のパソコンとNPOのパソコンを見ています。

2012年2月4日土曜日


今朝はNPO法人の販売の手伝いに行ったが、注文の品がとどかずに販売はお休みとなる。
しかし今月行われる法人のイベントのポスターが出来たので仮設住宅の掲示板にそれを貼って回る。 人気の『おだんご屋さん』に寄り、昨日の販売の売り上げを渡す。 話のついでに、美味しい『赤飯』注文をする。
運転して仮設住宅を回る間に、NPOのあり方に注文をつけた。 出来るだけ地元の人々に利益を還元するためのアイディアをと説いた。 出来れはもう少し大きなもので利益を上がるものを作ったらどうでしょうと。
帰り道、少し変わった鳥がいたので、ドライバーも気が付き車を止めてくれた。トンビとは少し飛び方や色が違うので、興味を引いた。 その鳥は電柱の先端に止まり、縄張りに進入した鳥に、トンビが急接近した。 あわてた下の鳥が電柱からジャンプした瞬間だ。 猛禽類はわかるが、まだ鳥の名前は定かではない。 何だろう? 知っている方、教えてください。


トンビに急接近され驚いた鳥がジャンプしてそれを回避した。 そこから飛び去り次の止まり木に移動した。 それも電柱でそれほどの距離がなく、歩いて接近し撮影できた。


トンビとは明らかに違う猛禽類の一種だ。結構大きく、トンビとそん色ない。 特徴は両足に羽がしっかりつき、独特の容姿だ。 目も鋭く、くちばしも曲がっている。


上は今大槌町に沢山のトンビが飛来してサケの死骸を食べている。 近頃はその数もサケの減少と比例して少なくなっている。


光の関係とレンズの限界で、あまりうまく撮影できなかったが、下から見る羽の色は明るく大型の猛禽類だ。 このような鳥が東北に見られるラッキーなひと時だ。


最初は何か変わった鳥が飛んでいる。『トンビじゃないな』で同意した。 運よく自動車の前を飛び電柱に止まった。 車を止めてくれたので、カメラで捕らえたのが今日の写真だ。