2011年6月28日火曜日

ビルの転倒


女川での驚きはこのビルの転倒が目立つことだ。 多くは土台がいい加減というか、手抜きなのかは定かではないがどこでも見たことの無いシーンに皆、驚いている。このビルは一応土台に杭を打ち込んではいるが、常識的に見て杭が細く短いのか?それとも津波の威力が凄いのか、杭の途中が切れたのか、いずれにしても、問題は杭が細いこと、短いことそして間隔が広すぎることが問題かな? 同時に女川の港近辺は砂地ど埋め立てているので杭も持たないのが原因ではないだろうか? あまりにも多くのビルが横転しているのには驚きだ。
 湾の入り口が狭くそして太平洋から一気に津波が押し寄せ狭くなった湾の入り口で、一気に津波が入り口に密集したので力を増し、内陸部に駆け上がったのが女川ではないだろうか。 そして大きな面を津波に向けていたビルがその力に負けて転倒したのではと推測できる。 しかし方向が一定ではないのが気になり、ひょっとしたら渦を巻いたのかな?とも見える。


2011年6月27日月曜日

石巻のカモメ何万羽?

海岸に来ると数万羽のカモメと握手運穂原因、この原因が分かった。 
問題も山積だ。 2011年3月11日の津波は400kmの長さ、高さ低く見積もって7m 奥行き何メートルまたは何kmだったのだろう この津波が一気に石巻に押し寄せた。今回は倉庫群をターゲットに考えた。港の悪臭の原因はヘドロが作ったものと、津波後に人間が作った悪臭とがある。それは自分の倉庫を守ろうと、中に入っていた海産物魚の冷凍物を外に山積みして自分の会社の倉庫をきれいにしたこと。
その反作用で冷凍の魚は解凍され野積みしたことが原因でその場で日にちが経過し腐り悪臭を放つようになった。をれを解決するために石灰がまかれたが効果はほとんど無く、腐るに負かせ、先日多分従業員だろう突撃隊を組んだように、それらの魚を運んだようだ。 魚の山はすでにに数日前から消えてしまい、結果かカモメの量が激減した。 しかし今日雨が降る中でも変わらない悪臭を放っている。 雨による水溜りに例の魚の液体と石灰の色がミックスしてさらに悪臭を発生している。雨が多くなるとその液体はどこに行くのだろう? 海に戻るだろうし、地盤沈下で下がったところに入り、汚い液体をつくっている。 その水溜りが拡大、また海の中に戻っている。 それに気付かない政治家、学者、何を警告するのだろう。 また海が汚され始めた。 陥没してひびが入った道路から海水に流れ込み、地割れから同じく海水に 手っ取り早い清潔なふりするのは水洗いし、海に汚れを戻すとまた同じミスの繰り返しを始めている。r大変困った現象だ。

2011年6月26日日曜日

今回の東日本大震災で学んで欲しいこと

先日、サレジオ会の管区長館の神父様方(5名)を石巻に連れて行ったとき、すでに書いたが、当日は快晴で石巻に入ったとき霧が出ていた、濃霧ではないが、海に近いから出ても当たり前と感じていた。しかし結果は違っていた。
先日は台風崩れで数日雨が降った。 その後いつもの通り被災した住宅街に入った。そのヘドロ周辺から何か蒸気みたいなものが上がっている。 住宅の周りのヘドロで色の変わった場所から湯気が出ている。何かおかしい。 異臭が鼻を突く、たまらない匂いだ。あわてて全員にマスクを配る。それでもたまらない。(20分と耐えられない) 周囲を見るとあらゆるところから蒸気が出ている。 
石巻に来るたびに巨大なクレーンが気になっていた。 それが霧でかすんでいる。おまけに少し色がついているようだ。 初めてそれはヘドロからあがる蒸気が集まって今朝見えた霧の原因が分かった。同時にその霧は港や大きな工場の敷地からも当然上がってクレーンを隠し始め、一時はクレーンが見えなくなった。 この現象に気がついてくれる人がいるだろうか? メディアはいかがだろう。
その後石巻に行くたびにこの現象は見ていない。風が強かったり、乾燥しすぎていたりだ。 住民のか方々気がついただろうか。心配だ。 
以前にも書いたがこの石巻のヘドロは石巻が作ったものだと自分は考える。まずは石巻の住民が今まで出した生活排水が海を汚し、沈殿し、漁業が出した排出物、市場の毎日の水流し、魚の解体、、漁船の洗浄。 石巻で巨大な高炉を見た。最初は発電所と見ていた施設、電線が見当たらない。 ひょっとしたら日本製紙の工場のもの? チップにした木片を煮て?製紙にする。その間にヘドロを出し海に見えなく流し、近海の堆積物を増やし、その他の工場も排水で海を汚しあらゆるところで。すべて自分たちで汚したものがこの津波で、一気に攪拌されテレビで見た最初の津波は皆真っ黒だったの覚えているだろう。 製紙工場は自分の記憶だと静岡でも問題を昔起こしていると思う。名前は定かではないが静岡の海にヘドロが堆積したと思うその原因は製紙会社ではなかったかな? いずれにしても人間の都合のために作ったものの副産物がヘドロである。
このような前置きをしたのは、先日浦戸諸島の寒風沢島に入ったとき、漁師さんの定置網に付いたヒトデをはずす手伝いを経験した。 ヒトデは網を傷めるので網にかかり、船にあがったヒトデは熱湯をかけられ殺され、網からはずしやすくされる。網にかかったヒトデは邪魔で仕事の邪魔をするし漁場を荒らすので漁師の天敵だ。 その後陸地で網からはずされ処分される。これまでは同情できるが・・・・・ 定置網1つにヒラメ20枚くらいらしい。 ヒトデはどれくらいだろう?1枚に100匹か? 硬さをなくした、臭いタコのように柔らかなヒトデはまとめられ、最後はどこに行った? 再びきれいなサブサワの海に漁師さん考えず『海にドボーン』 また堆積物が始まるのだ。

せっかく仲良くなった漁師さんに忠告するのも難しい。メディアが頑張ってj欲しい分野だ。

 『人々よ海を汚すな!』




この主婦の漁師さん網をきれいにしていた。前のプラスティックには? 簡単な処理は海に捨てること。原因を追究しないと解決できない・・・・・・

2011年6月25日土曜日

女川の異常

女川町で驚かされることは、今まで被災地で見たことの無いシーンだ。
それはビルがいくつも横転していることだ。これも完全に縦横が逆になり横転していることに驚く。
津波の勢いもさることながら、ビルの工事の手抜きもあるのでは?と疑問を持つ。 多分女川は海岸で砂地にビルを作るときは少なくともそれが横転しない杭を打ち込んで仕事をするのではと疑問を持つのだが、これら多くの横転ビルは土台ごと横転しているので土台の浅さが目立つし、果たしてこんな工法が許されているのにも疑問を持つ。 横転して、その欠陥をさらけ出しているのではと単純な疑問を持った。 ここではビルの4階以上まで津波が覆いかぶさり、現在もいたるところのビルの屋上にガレキが取り残されているのにも驚かされる。
地元の方の話によると、メディアでは取り上げられないが、多分この東日本大震災の津波の高さでは日本で一番高かったのではと指摘された。
理由はリアス式海岸の地形による津波の力が倍増したことによるのではと推測も出来る。 横転したビルの一つは短い(コンクリートの杭)杭が抜けその後横転したシーンもあった。折れて抜けたのか?短い杭のせいか定かではないが、そのようなシーンも見つけた。



2011年6月24日金曜日

今日は何を書こう?石巻から女川

塩竃は雨模様。多賀城カッターさんの仕事場兼ご自宅の整理をはじめ3日目、最初の2日で1階部をきれいにし、今日は雨の予報で急遽、室内で働ける場所を選択。 最初の2日間はひどく、3月11日のヘドロがそのまま残り、その上家の開口部全部を締め切っていたのが悪く、当日さながらのシーンで、全員息を呑むほどのショックであった。ヘドロの悪臭はひどく、たまっている水は腐り、最悪の状態でした。 その中に入り、ボランティアの方々、勇気があり、やる気も十分で、男女区別無く活躍しています。今回は高齢者も加わり、頑張っています。この高齢者は一番長く5日目で明日最後の日で、お疲れのようですが最高の努力をされています。大変助かっています。

今日からは2階の整理に入りまず下見と段取りを決め、サブリーダーに仕事は任せ3人は別行動で世界に正しい情報を流すために参加しているショーン君に託するためにまず石巻を案内。最初のショックは無縁墓地が変わり始めたのにびっくりしている。 ダンプが数台入り何かを始めていた。 そして開いていた元グラウンド部に事務所風の建物が数軒入り何かをしていた。 ダンプは墓地の入り口のアスファルトや土石を移動していたのに少し驚いた。
今まで写真は撮影しなかったが、この墓地がなくなるのも時間の問題のようだ。 同時に土葬されていた番号をふった板がかなり減っていたこと。これは家族や親族がそれを認め引き取った証拠のようだた。石巻では死者、行方不明者が6000人超で最大だと思う。その理由も自分なりに理解し始めた。いずれ記述したいと考えている。

女川に至る、途中の町も石巻同様に津波に流されている。しかし多分忘れられているようだ。  石巻の避難所は100箇所にのぼり、多分最大だろう。 この国道?398号沿いは、女川町に入る前まで津波にやられているのだ。

女川町に入ると異様なシーンだ。坂を上り小さなガレキから、元町らしいシーンが目に入るが、グレーの土台とその向こうにコンクリートだけの建物が海岸沿いに立ち並ぶ異様なシーンだ。
すぐに高台にある女川町立病院の駐車場に車で上がる。 異様なシーンはどこか、南三陸町に似ている。 しかし高台から見るとほぼすべてが見える。右に細く駆け上がった土地のトップに向かって襲い掛かった津波はこの高台の病院の一階を浸水させた。しかし津波の勢いは異常で、何棟もの鉄筋コンクリートのビルを土台からひっくり返したのには、驚くだけだ。ショオーン君は何を感じただろう? 港の周りはほとんどが鉄筋コンクリートでそのほとんどか窓のサッシュやガラスが無く、その中にごろりと横転した鉄筋のビルには皆『これは何だ!』・・・・

ガレキは鉄筋コンクリートのビルの4階真で運び、ガレキやボート、車さえ残していった。 ここも整理され、見渡しのよい更地になり始め、コンクリートの建物はどんどん重機で撤去し始めた。



2011年6月23日木曜日

20110623 塩竃は雨が降っています

久しぶりの雨に洗われ、少しヘドロの匂いがしますが、昨日よりは快適にすごしています。でも、湿度はかなり高めです。
グループは2班に別れ、力のあるグループは床をはがした家のヘドロだし、その後移動した様子ですが、私のほうには詳細は分かりません。 

別の班は朝、ガス体育館に行き、その後仮設住宅に移動して搬入のお手伝い。その後移動して個人の住宅の改築のため古いものを階下に移動してお手伝い。 再度仮設住宅に戻り午後からも朝の仕分けのお手伝いをしたようです。 雨が降っていること、距離が比較的遠いので車で移動しています。そのたび間違った情報がナビから流され少し困っています。

今朝早くから金原さんが2ヶ月ぶりに塩竃ベースに戻られ、多くのボランティアには初体験で2,3名は知っておられたようです。 その後皆さんと作業に出られ、様子は夜の分かち合いに出ると思います。
今日は27度の予測通り今は雨も上がり少し空も明るく、気温も涼しいようです。 
今日は地元のボランティアさんが多賀城に行ったようでしたが雨のために社共センターがお休みで、それならと塩竃のベースを3人で訪れてくれました。 元気そうな若者たちで、こちらのボランティアが浦戸で撮影した写真が欲しいと訪れてくれ、食事もしていってくれました。

今3時半ですが気持ち湿度が下がり始め、快適な風が吹き始めています。


桂島の坂を上り詰めると、突然現れる2011年3月11日ご変わらない、ガレキの堆積で、それは人為的に行ったものではなく、当時の津波が襲い、そして残していったガレキでした。 ショック!まだ手が入れられていない生の現場でした。 今後どうするか、思案の求められる行動です。

浦戸諸島の桂島

明日桂島に入るといわれ平日はボランティアが少ないので、ニーズ調査をかねて初めて入ってみた。
浦戸諸島にNPO法人を作るとかで、今までお仕事の関係でその立ち上げに協力するために、今回は入り、自分はその事務所を見た瞬間何か出来るな?と考え、材料はあるのですか?とたずねたら、足りない部分は手伝うことが出来るな?でいわれずとも残りの材料の計算と設計にかかり、1時間ほどで終了、その後島の視察とニーズ調査に入る。炎天下の移動はかなりきつい。 それでも被災地の方と何か意見交換がしたい。丁度、突き当りの家からでて来られた主婦に声をかけた。
このあたりはどれくらい海水が入ったのですか?実は自宅はたいした被害はありませんでした。
津波はそれでもあの坂を越えて自宅は50cmくらいですかね。 実は家が壊れたほうがよかった。修理代は400から500万円くらいで出来るだろうが、実は自分の作業場の被害が大きく、大変困っていると語られた。そして船に向かわれたのでそれ以上聞くことは無かった。(理由は分からず)。 調査に入る。その直後、老人がたたみにブラシをかけていた『助けましょうか?』
その人は助けを必要とはしていなかったが、あろ一、二回会うと何か頼むのではと見た。 すぐにお願いしますとは誰も、自分でも言わないと思う。 話すと一人暮らし、畳はもらったもので、重ねておいたのでカビが出てしまい、ブラシでカビを取っていたのです。 観察してみると瓦屋根も危なく、周囲もかなり困っているような気配でした。
その後移動を始めると、周囲に民宿が目立ち、大工さんも入って修理が始まっていたので、希望を持っている家族もいるな。 しかしその坂の頂点に立つと、寒風沢と同じ光景が目に飛び込んできた。
しかしここは寒風沢以上に遅れているな。お金を払って地元住民を雇っていないのかな? と感じ、3月11日のそのままが見て取れた。 凄い!に尽きる。倒壊家屋は沢山取り残されていた。3ヶ月が過ぎるのに助けが無い。何とかならないだろうか。 その中に青い金属の大きな塊を見つけて。何だろう? それでも何カットかを撮影した。 今日3人目の電気屋さんに話かけた。その間にふぉの機械が何か2500万円もする海苔の乾燥機だと分かった。自分はそれが1つと思っていたら、電気屋さんは5つ流されたと教えてくれた。5機合計1億円 その被害者いかがするのだろう? 自分では助けられないと感じた。

石巻港周辺の被災


 港の巨大空間に石巻港周辺で倒壊したガレキの山がこの場所に運ばれ、少しずつだがうず高く堆積して、これと反比例しながら、町がきれいになり始めているのを見ています。


ご覧のように瓦礫の山の中腹に黄色い重機が入り山をうず高く積み上げ始めていた。後ろに見える大きなクレーンは石巻港のドックのものらしく、この瓦礫の山には関係なし。


面白いコントラストが撮れた。このように広大な被災地の中でできた小さな水溜りにも鴨の夫婦がつがいで泳いでいる、和やかな風景を石巻で見た。1羽は潜って何かを探しているようだ。


ここも石巻の周辺で水溜りが出来た住宅街の被災地でまだまだガレキが撤去されていないところで気になる部分だ、踏み込んだら先に行けるか心配のあったところで撮影した1シーン


石巻の郊外で畑の中に流れ込んだ、普通では海の上にある航路灯。赤とブルーのセットで海上で見られるもの。津波が残した変わった風景のひとつ。


ガレキの集積所を探している自治体は港の空き地を探しここを1時集積所に決めたようで、少しずつ集まり始め今後1ヶ月で小山が出来るだろうと推測される始めの部分。


遠目にみた石巻の工場地帯それほど被害は見えないのだが下は津波に洗われ、どこもかなりひどい被害を受けているのはこの辺りを運転すると分かる。


これは石巻港にある多分日本でも有数のサルベージのクレーンが目立つ。 物をぶら下げるロープの数は数えることが出来ないほどの数で驚きだ。多分これで巨大なものをぶら下げることだろう。 地上に打ち上げられた大型の船とか・・・・


このフェリーは石巻港に止まっていた最新のフェリーのようで小笠原と名前が読めた。 石巻から小笠原に行くのだろうか、それとも避難しているのだろうか。

2011年6月19日日曜日

震災のヘドロ

昨日のボランティアの方々が仕事に出た後、塩竃をたち東京に出てきています。 それはサレジオ会の方々が集まるのでその中で、震災について話してくれといわれ、人数が沢山集まり、その草の根が広がればと350kmくらいならば頑張って話しに行きます。震災後3ヶ月、被災地はようやくガレキの撤去が幾分まとまり、整理が付きはじめたなと感じているこのごろです。
そんな中で数日前に再度女川につれて行き、その津波の力のすごさに改めて『ためいき!』でした。
なぜこんな強い力で日本の三陸地方が破壊されたのだろう?と感じます。
木造の住宅は粉々に粉砕されガレキとなり、『この震災のシーンは皆同じだね』と現場を知らない人は簡単に言いますが・・・・
先日、寒風沢島(サブサワ)で現実に遭遇しました。 定置網にかかったごみやヒトデを網からはずし、かなりの量になりますが、漁師さんなにも考えず、昔のままにやはり自分の一番近い桟橋に行き、そのごみを海に投棄してしまうのです。 ヘドロの原因をもっと追求し、それが2度と起きない対策を立てるべきだと思うのに、現実は同じことの繰り返しをやるのかと、悲しい思いです。 石巻のヘドロの凄さ、今後人々に与える苦痛、これらの住民の方々、自分でこの原因を作ったことわかるだろうか?
『自業自得』と自分は今も同じ館がです。 汚い海にした、日本人に海が返球したのです。『わかってもらえるかな?』

塩竃港周辺


これは現在塩竃港に接岸している浚渫船らしく、大きな手で海底からガレキの浚渫をしていた。量はそれほど多くないが、台船にガレキが乗せられていたのでそれを確認できた。


このあたりは6月1日が漁の解禁で、帰りの船から漁船を見ることができた。明日のための網いれでも行くのだろうか全速力で飛ばしていた。十分な漁ができることを願いながら


奥は多賀城港か?汽船が出てき始めていた。船の喫水が沈んでいるのは倉庫が重いのかもしれない。何かを積んで出港のようだ。震災以来少しずつだが、港やその他の施設も稼動し始めているようだ。



汚い錆びだらけの漁船だろうか岸壁に接岸していた。後ろが開いていることはまき網漁船の母船か?後ろの工場も老朽化し、強い津波や震災には対処できないように見えるが・・・・


遠目に赤いマストを持った珍しい船を見つけたが、『何だろう?どんな仕事をする船かな?』で疑問に持った。港の中にいる水路監視の船?それともタグボート?消防艇?それなら全体赤いはず


前の巻き網漁船を少しアップで捕らえた。後ろの工場?飼料の倉庫かもしれない? それはサイロがあることは何かを保管する倉庫のようで、石巻もこれらの倉庫は大きなダメージを受けていた。


多賀城港から出てきた船が自分たちの観光船の横をする抜けた。赤い塗装は珍しい。何をつんでどこに行くのだろうと想像をめぐらす。 被災地を考えなければのどかな風景だが・・・・現実はきびしい。


荷物を降ろした貨物船が喫水線をあげて軽そうに塩竃港に停泊中だ。 何を運ぶための船だろう?単純な疑問を持つ。快晴な空にブルーの船体と海の色すべてがきれいだ。 後ろは塩竃の魚市場だ。 細々と水揚げも始まっているようだ。


観光船から見た塩竃港周辺の遠景だが、被害はこの遠さからだと見えにくい。このあたりでも市街地は水深2mほどになったと聞いている。 これらの空き地にガレキガ集積され始めていた。

2011年6月18日土曜日

寒風沢(サブサワ)の現状


片道およそ1時間半の船旅、緊張することなく癒される時間だ。カモメも餌を待ちながらついてくる。カッパエビセンでもやり、なれはじめると、手の上からでも餌を取る。しかし鋭い口ばしは、素手なら結構痛い。そこで軍手をはめてやることにする。


渡しの航路は日本三景の一つ、松島国立公園で、その観光船が毎日塩竃から出航する。そのコースに近い航路を通って島にわたるので、ボランティアは毎回観光気分になれる。 砂岩でできた上に根を張った松ノ木は自然で美しい。


しかし地元の人によると、毎回の地震で島の形が変わるそうだ。美しくなったり、汚くなったり。上に生えていたであろう松ノ木がなくなっている小さな島も見ることができる。 果たして植わっていたのだろうか?それとも津波でなくなったのだろうか?定かではない。


この島は地震の影響で崩落したようだ。 右の島は松ノ木がまったくない。どうしたのだろう? しかしこれは厳しい自然の現象で、松島にとっては景観が変わるのも変化のひとつ。


左側の岸壁はかなり崩落し様相が変わっている。今回の地震の影響のように見える。 しかし緑の多い左側の斜面にできた岸壁の崩落はまた美しいコントラストを出したようだ。


観光船が作る航跡と船の先端が切る海面で美しい水しぶきがブルーの海面とコントラストを作った。
帰りの退屈な時間をカメラで探ってみた。この航路は七ヶ浜の前を通るので、見覚えのある地点を海上から確認でき楽しむことができる。


地震と津波によって被害を受けた浦戸諸島のひとつ岸壁が傷つき浸水していた。今後は台風や高潮も怖い存在だ。 島自体は太平洋の裏側で津波の被害は少なかったようだ。



当日、寒風沢(サブサワ)に渡ったとき東京大司教区の幸田補佐司教さまと、カリタスジャパンの稲
江さんが同行し、寒風沢(サブサワ)を視察された。少しお話をすることができ、不満も言えた。


当日はいろいろハプニングがあり、多くのボランティアの弁当の入ったクーラーボックスを忘れたおかげで、寒風沢(サブサワ)組は全員、昼ごはんが食べられなかった。司教様もひもじい思いをされただろう。お忍びでこられたことがよかった。今後少しその影響があるのかな?


これも今回の地震で崩落したようなシーンだ。島の頂点が多分向こう側に落下したのだろうか?島の様相が変わっているようだ。 青空、青い海に砂岩の島がコントラストを作ってくれた。


これは餌を探して飛翔するウミネコを捕らえて、飛ぶ姿の美しい羽を狙って撮影した。滑空するよりやはり鳥は羽をスイングしてほしいものだ。 ボランティアの誰かが下で餌を投げている。

PS 
弁当を忘れた話を船内で話していると、急に後ろの乗客から、急にパンの差し入れがあった。びっくりしたがご好意に甘えていただくことにした。後でまたその家族に会うことができた『ありがとうございましたと挨拶ができてよかった』東北の人の心の暖かさを感じることのできた1日だった。
『本当にありがとうございました。』 これも全部昼飯は全部働くグループにあげてしまった。

2011年6月17日金曜日

寒風沢(サブサワ)


寒風沢(サブサワ)のカモメ? 結構近くまで接近してきます。 かなり怖い顔しています。 これが船からえさを与えると手のひらからホバーリングをして捕って行き、仕事の疲れを癒します。怖い顔、鋭いくちばしでカッパエビセン?を好物としています。


寒風沢(サブサワ)の廃棄物処理はあまりにも沢山あり重機がはいれず、地震当日以来あまり進歩していない浦戸諸島のガレキ処理は、国立公園内だが島内で焼却処理をしています。オープンスペースで焚き火を作るとかなり1日で処理が出来ている。


寒風沢(サブサワ)での運搬はこのような台船を使って石巻から運搬しているようです。 上に載ったショベルカーにロープを張って乗せたりおろしたりすることで可能なようです。 これは建築資材の運搬の様子。


島の特産物カキ工場は現在使用されていません。 今年は多分使われないと感じているのだが、ボランティアでお手伝いしてきれいにすると、生活の予測と活気が出るのではと、清掃の計画中だ。


先日台船を使って仮設住宅だろうか建築資材が送り込まれたときの光景。建築会社の若者たちが立会いで資材の搬入を始めた。多分島内にはこれくらいの若者はほとんどいないだろう。 今後カキの養殖はどうするのだろう? 心配だ


すでに漁を始めた漁船が数隻接岸しているが、漁をしているか否かは定かではない。そのような中、実際に漁師夫妻や数人が港で網の手入れをしていたので、聞いてみると、定置網で漁をしているらしく魚も上がり始めたようだ。カレイやヒラメが1網に20匹ほど捕れているとの話してくれた。


軽トラックの多い島内で少し大きめのトラックが来ていた。建築資材を仮設住宅まで運ぶ手段のようだ。若い職人たちも来て、久しぶりの賑わいかな?


島の上にはよくトンビが輪を描いている。時にはからすとじゃれ合ったり遊んでいる。今日は久しぶりに桟橋のモウソウダケの先端で休んでいた。 思い切り接近して撮影、


しかし警戒範囲に入ったらしく飛び去ってしまった。勇壮な撮影は出来なかったが、猛禽類の飛び方を始めた。 こn東日本大震災さえなければ本当に穏やかの島内だろう。 反面そのおかげで浦戸諸島なる島名と場所を知ることが出来住民の方とお友達になるきっかけが出来た。

浦戸諸島 寒風沢


今朝、久しぶりに仕事をする体制で寒風沢(さぶさわ)に入り仕事をはじめました。 快晴で海風もあり快適に仕事が出来たほうです。 これは前のときの写真で、はしけで資材を持ってきたときの様子です。 先日仙台サポートセンターで借りた軽自動車をどのように運ぶか考えているときの参考になり、塩竃から運ぶ手段、値段も分かりました。 後は電話して実行するかです。


ここは寒風沢(さぶさわ)のカキの仕事場で、この施設の清掃も考えています。 この施設がきれいになり仕事の意欲が出ると島に活気が戻り、仕事の意欲もわくと期待している場所です。 しかし地盤沈下で潮が満ちるとこのように海水があがってくるのも心配です。


これは潮のあがった時で周囲を回りこまないと移動が出来ない状態が起きています。 今朝は潮が引いていたので桟橋を歩いて移動できました。 しかし今後はいつも冠水を予想した生活があるのでそれをどのように解決するかが問題でもあるのだ。


このカキの仕事場はご覧のように機材やモーターも海水につかり、これらは新品と交換する必要がありそうだが、それ以前にここがきれいなり、使える状態を作る必要がある。備品はその後だろう。


次の仕事は移動したガレキの焼却だろう。 これもいたって簡単なことで安全管理と、海水の準備、そして順番の燃やして行き、ガレキを少なくするかだが、今朝はかなり順調に進み1軒分の廃材を処理することが出来て効率もよかったようだ。


ここもよく考えて雨の日のために残しておき、きれいにしたい。公共トイレも同様で天気の日に周囲をきれいにし、雨の日に内部を清掃すると仕事の手順としてよいだろう。 てんきの日は焼却や、排水溝は曇りの日が最適か?


このように火で焼却が出来るので意外とガレキの減少は早いのではと予測が出来る。 うまく焼却を考え木材を組み立てるとその他のものも火勢のよいときに処分できるのがよい。ドラム缶は安全だが効率が悪い。焼却はただし2人で行いたい。