2013年5月30日木曜日

石巻南浜町の民家の被災と 20110413金華山付近の被災


このスケッチも石巻 南浜町の民家の被災です。 数軒残された民家ですが、スケッチをした2013-10-24頃はそれらの民家もどんどん解体されて残すのは数軒でした。 この民家も建物のコーナーの柱が津波で取り去られる現象をいろいろなところで見ました。 ここでは津波は2階の中頃まで押し寄せてきたようです。


この赤い屋根の建物は何でしょう海の近くにあり窓の少ない建物、倉庫でしょうか?この建物まで津波は入ったのでしょうか? 手前のガレキはひどいです。電柱も倒れいろいろなものがガレキとなって散在しています。


この写真は国道を挟んで少し高台の下にガレキが散在していることは、津波が押し寄せ高台まで津波が侵入した様子です。


このあたりは宮城県の金華山付近の津波被災地です。 津波の高さは斜面を見ていただくとおおよその推測は可能だろう。右上の3本の木の根元まで斜面が剥がれているのでその近辺を洗ったようだ。


この写真は海のすぐそばにある宿泊施設か道の駅のような建物で、あまり正確には覚えていない。 それは津波の直撃を受けた建物で周囲は刳られ、危険な建物らしく、近づくことを拒んでいたと思う。


ここは海のそばで小さな川が流れていたらしい、三陸鉄道だろう、レールは洗われガレキに覆われて、津波の引き波で海まで引き込まれたようだ。


この写真はまえの建物を逆方向から見た被災地です。海側は数本の樹木が残っていますがその木は枯れているようで、海からのガレキも引っかかっているようです。


鉄筋の大きな建物は津波に耐えたようですが、付近はほとんど破壊し尽くされたようです。 その中には骨組みが残ったものも少しみえます。なにでしょう?


これもひどい惨状です。津波のパワーの凄まじさを感じます。 津波が押し寄せ外壁は全て剥奪されてしまったようで内部には何も残っていません。


土地は津波が落下し押し流していったので、表面は全て剥離し土がむき出しです。建物があったのかそれとも畑だったのかは推測するのも難しいです。


対岸の松林を見るとあいだが少し抜けているようです。 津波のひどいところはこの松林がなかったり沿岸の防風林は大きな被害を受けました。


対岸の小さな漁港は震災の被害いかがだったでしょうか? 多くの漁港は津波が押し寄せ、その前の地震の揺れで地盤沈下や液状化現象で防波堤で動きその後強烈な津波で大きなコンクリートの堤防でも押し動かされたのが無数にありました。


これは三陸鉄道の線路ですが、小さな鉄橋は跡形もなく破壊されていました。盛土から鉄道は流れ落ち、復旧は難しいと鉄道を見ると思い出されます。


反対側の鉄橋の橋脚ですがこの写真の右下はコンクリートのブロックが流されています。 ここでも津波のパワーの凄さを見せつけられました。


小さな漁港の見える三陸鉄道の破壊、完全に何も残っていませんでした。川の流れているところは大きさの違いはなく津波が必ず入り込んできます。 今後の対策が必要でしょう。

2013年5月24日金曜日

仙台近くの石巻の南浜町、20110413金華山付近の被災地

今日の中津大変熱いです。30度近くで、先週から雨がなく、せっかく植えたキュウリの苗、サツマイモ、その他葉野菜がいたんで、心配です。来週月曜日に雨が降ると予測が出ているので期待しています。 今日は庭木の中のビワが無数に小さな果実をつけているので摘果して大きくしようとがんばっています。 明日はその中の可能性のある実に袋を掛けたいと計画しています。


このスケッチは夕方石巻に入り、南浜町に残っていた3軒の中の一つで2階には近頃設置されたのだろうかソーラーパネルが入っていた。津波は2階まで入っていたかな?
この日は夕立が少しあったので虹を見ることができたと記入した。


この写真は何でしょう? 電話工事の車両が津波で流されトラックがドロドロになってしまったのでしょうか?それとも災害復旧に出るトラックでしょうか。 様子から推測するとテールランプや荷台も泥を被っているようで被災のトラックのように見えます。


ひどい惨状です住宅ごと土台から切り離され流れ着いた場所は他人の敷地または畑の中、周囲のガレキは破壊された建造物が周囲に散乱し、奥には赤く立派な鳥居が破壊を免れて立っている。


ガレキを見るとトラックや海が近いので漁船、漁具その他破壊された無数のガレキが散在しています。周囲は畑のように見えます。


推測は間違っていたようですね。いち早く電話を復旧するために派遣された電話工事のトラックのようで、動いていますね。 汚れは地盤沈下や排水できずにできた、水たまり、雨が降るとひどいぬかるみになる為に、被災地の当時の自動車は全て汚れていましたね。


これは何でしょう?ミサイルのランチャーのように見えますダンプトラックが流され傾斜地に止まって凄い格好をしています。津波で流される途中に荷台が跳ね上がったのかな?


クローズアップで見ると様子がわかります。これほど大きく重いダンプでもいとも簡単に流された津波のパワーはいたるところで凄さを感じさせました。


これは金華山付近の海の近くのドライブインでした。 海から打ち付けた津波がドライブインを襲い屋根を粉々にしたようです。内部はひどいものでガレキがきっしりでした。


これは右側のはまなすステーションと言われたドライブインでした。鉄筋コンクリートだったので外観は破壊を免れたのですが入口や窓は弱いのでそこから一気に津波が入り内部を攪拌して出て行ったようです。


このはまなすステーションも現在は解体されてないのだろうと、推測できます。


奥の赤い建物までかなりの距離がありますが、全て破壊サレガレキしか見ることができません。左側に寝ているものは?多分道路に表示されていた、道路標識ではないかと推測できます。


庭木か暴風林の木が根こそぎ引き抜かれここまで津波に流されて来たようだ。中央には電柱がひっくり返っていますがトランスが載っていましたね。 内容物が流れ出ていなければ良いですが。以前はPCBが入っていると聞いていました。

2013年5月22日水曜日

石巻市南浜地区と南三陸金華山付近の被害


このスケッチは最も津波の被害の大きかった石巻市南浜町でわずかに残っていた被災した住宅だ。 石巻は左右に広く奥に小高い山が遠く、一気に襲って来た津波が住宅地に侵入し破壊していった。生命も一番失われた町だ。津波は1階の屋根を破壊したことはここが到達点だ。この建物も右側の家のコーナーをえぐり取られていました。


この写真は南三陸の金華山付近の国道のようだ。自分の記憶は定かではないが、海がすぐそこに迫り海抜0m地帯のようだ。見渡す限り畑のような赤土が現れ、周囲で破壊された物のガレキが国道沿いに積み上げられていた。


皆さんまだ覚えておられると思いますが最初のヘリコプターからの映像で津波が畑に入り海から侵入し、畑にあったビニールハウスを飲み込み次々と津波が押して行った映像を記憶されていると思う。 これが津波で壊され置き去りにされたビニールハウスの残骸だ。


潰されたビニールハウスが畑の中にあるいは道路の脇にご覧のように放置されていたのをたくさん見ることができた。ここには街路灯も折れて流されて来たようだ。


津波の押し込んで来た海のそばは、何も残すことなく、すべてを破壊してただ、土の面を顕に見せていた。北は北海道から下は東京近郊まで津波が押し寄せ、400km以上の距離で一斉に日本本土を襲ってきたのだ。


右側の防風林まだ津波は押し上がって来たのだろうか定かではないが、雰囲気と色からは津波が洗って行ったような雰囲気だ。


同じ道路から山側を見ると、丘の麓まで津波が侵入し周囲の建造物を破壊しがれきを残して去っていったのが2011年3月だ。


小高い丘の上にさえ建造してさえいたら、今回の災難を回避できただろうと、今は感じるのだが、この教訓を活かして今後の町造りができるだろうか?また同じことの繰り返しで便利なところに建築されるのでは心配をしています。


すでに2011年5月頃はこのように道路は綺麗になり流通は比較的円滑に動けるようになっていた。 しかし直線で400km位、岬や湾の周囲ありとあらゆるところが被害を受けていた。 まだ知らないところ見たこともない場所がたくさんあります。


当日の津波で建物のコーナーをえぐり取られた住宅はいたるところで見ることができた。巨大な津波のパワーとガレキを集めて押し寄せてきた津波が建造物を破壊していった。


これは堤防の近くにある鉄骨コンクリートの建物は一気におしよせてきた津波が海岸で衝突し。一層のパワーをまして飛び上がったことだろう。鉄骨の骨組みを残し震災後海岸に立っていた。ガレキや色々なものが建物の骨組みに絡みついていた。


運良く無効の住宅までは壊さなかったようだが様子からはのきさきほどまでは津波が侵入したのではないか?手前の畑か水田はご覧のように壊れたガレキが散在していました。 自動車も原型をとどめることなくタイヤがあることだけで自動車だと推測は出来る。


串の歯が抜け落ちるように津波が一気に襲い、海岸の防風林を壊していったのが福島、宮城、岩手で目立った。


ここも暴風林があったところか、津波が破壊してしまった海岸の松林、そして何か想像することも出来ない粉々になったガレキが散在していた。

2013年5月17日金曜日

石巻南浜町の住宅と相馬港の被害


南三陸町をあとにして仙台に近づいた石巻の南浜町、スケッチした12年10月24日で残った住宅らしき建造物が3軒しか残されていなかった。 かなり新しい住宅でソーラパネルを屋根に設置したばかりのようだが浸水が1階を襲ったようで被災地に取り残されていた。



これも相馬港の倉庫や仕事場の建物は残っているのだが被災はひどく海から一気に津波が押し込んで来た最初の防波堤のようなもので、これらの建物も使われることは少ないと推察した。


倉庫のような建造物を津波が左から押し入り中で攪拌され、それでも水量が増し満杯になると出口を探し右側の壁面を海水とガレキと化した内部のものを押し出すところを探し一気に右側の壁面を破壊して押し出して行った。 パワーに抵抗した柱だがその鉄骨を押し曲げる力を見せている。


『県営3号上屋』とあるので宮城県の所有の建造物で相馬港に入ってくる荷物の保管場所だったようだ。 津波が侵入し内部の荷物を攪拌し津波が薄い外壁を一気に破壊して海水が隙間から吹き出して行ったようだ。


これだけ長い建造物だが津波の海水の体積の多さで薄い外壁は一気に海水が滝のように建物の外に噴出したことが想像できる。


被災の酷かったところのUPの写真だが多くは倉庫の中にあった荷物や壊された建造物の残骸が海に引き込まれる前にここでとどまってしまったようだ。


長い倉庫のような建物は窓を含んだ部分の外壁をメインに破壊されてしまったようだ。


写真を見ると屋根の光取りの窓も破壊されている様子だ。 津波は多分これらの建物の屋根まで浸水させて破壊したようだ。


この建造物は柱も太く全造物自体歪んでいなかったので内部を整理し、外壁を貼ると、以前同様に倉庫のような機能は取り戻せるような機がするがいかがなものか?


この白い建物も港湾関係の建造物で津波に耐えて残った一つで自動車が集まっていることはこれらの関係者が先ず内部のチェックと整理のための仕事に入っているようだ。


すでに整理のための仕事が少しづつ始まっているようだ。 理由や1ton入れる土のう袋に何か詰められ大型のクレーンで集められているのが証だ。


どこから持ち込まれて重機だか定かではないが、これらの重機が一つでもあると整理の仕方が違ってくる。多分内陸の被災をしなかった大型クレーンを見つけることは当時は至難の技では無かったかと推測出来る。


相馬港運送株式会社の倉庫のようで周囲全部が被災のガレキでおおわれ、復興のための動きは何も見えない。


壊れたコンクリートの上に成り上げた日本運輸の大型トラック。港湾整備のために集めたコンクリート塊、そこに襲った津波が大型トラックを押し流して来た最終終着点がコンクリートの上だった。