2012年5月31日木曜日

ジャガイモの成長と、サツマイモの植え付け


最初に入った真心ネットのボランティアさんたちと『ぐるっとおおつち』家族でジャガイモの種を植えつけたのが2012/04/21,日でした。

遠野の真心ネットさんがボランティアではいられうちのスタッフと家族そして『ぐるっとおおつち』のスタッフほぼ全員とで初めてのジャガイモを植えたのが4月21日でそれからほぼ40日が経過した畑ほどのようになっているかというジャガイモも芽を出し1つの種から数本の幹が出ているので数日前から草取りをする傍らジャガイモの芽摘みをと言うか、幹を少なくし、栄養を一つにするような間引きをしています。背丈は既に20cmは通過しただろうか、あと2週間もすると多分花を開くのではと期待しています。 その後値に新ジャガイモが付き大きくなるにつけ夏の乾燥と共に地割れがし始めるとジャガイモが出来始めているなと感じると思います。 現在ジャガイモはかなり成長しはじめ、市場に出せるものは春先に植えた、チンゲンサイが大きくなっているのが目立ちます。 苗から植えた15位の白菜はかなり大きくなり、内部に巻き込んで、製品になりつつあります。 キャベツの葉も大きくなり内部に向かった内葉が巻き始める動きを見せています。 ネギは白い部分を大きくするために土をあげ、緑の部分をかぶせています。
昨日は急遽畝を作ってもらいサツマイモの『紅あずま』を350本植えましたが、大きな畑の中には本の3つの畝しか処理できず、まだまだ苗を必要としています。


4月の21日は曇りで少し日が差し込む程度で、畑日よりだった記憶しています。 注意を受け皆で畑に出て清々しい気持ちでお手伝いをしました。家族の子供たちも大はしゃぎで楽しかったです。


一人一畝担当し、ジャガイモを30cm間隔で上はじめるスタートに着いた写真です。 実に広く終が遠くに見えています。 土はふかふかで気持ちがよかったです。


前日に作った30cmのスケールを当ててジャガイモの種を植えて行きました。 子供たちも大人に混じってじゃがいもの植え付けを始めていました。


あの4月21日に植えたジャガイモはこのように成長しています。この畑の一番の厄介な雑草はムラサキツユクサですごい量が繁殖します。 それを数日かけてスタッフが除草(手で取る)しました。



その数日前に(4月2週目)に植えたキャベツはこのように大きく成長し始めて、今は葉自体が巻き込むことをまっていますが、大きく成長しています。


右側の白菜は日増しに大きくなりかなり内部に向かって巻き込んでいる玉も拡大して、成長を楽しみに、訪れた日には目を楽しませてくれます。


本日は地元で入手した『紅あずま』のサツマイモの苗を植えるために、ご主人に畝を作ってもらい、その前に大型のトラクターで地面を柔らかくし、小型の耕運機で畝を作っている写真です。


畝を作った後に不足部分を手で修正してサツマイモを植える準備をしています。 地元の農家の方でさすがベテラン、すぐに綺麗な畝ができてゆきました。


ここの若い従業員の泉さんでベテランに教えられたように畝を作って行きました。 ゆっくりですがしっかりサツマイモを植える準備が出来てゆきます。


ウネの長さはご覧のように結構長く、、やしがいがあります。 土が柔らかすぎる位にホクホクで、軍手を使わなくても気持ちが良いくらい土の感覚を楽しめました。


値の伸びたサツマイモは中部地区とは段違いに成長し、茎からしっかりした根がたくさん出て、少し寒い東北でもしっかりした芋ができそうで、期待しています。どれくらい収穫出来そうか楽しみにしています。


ほぼサツマイモを350本植えてまだまだ隙間があり、浜松にお願いしている茎を期待しています。
東北での初めてのサツマイモ、しかし苗を売っていたことは東北でも生産ができることを意味しています。

 
この農家は大型の耕作機械があるので4人で仕事をしてもかなり進行します。草むしり、石出しもありますが、浜松に比べてもすごく楽に仕事ができます。

2012年5月28日月曜日

吉里吉里で野菜の販売


昨日、波板観光ホテルのお手伝いをした後、ベースに戻り野菜販売を行なった。 この長崎のベースは、九州やその他の支援の方々からお野菜や、魚を送っていただき、それを原価以下で仮設住宅の方々に時々販売させていただいています。 東北地方は冬が長く周囲では新鮮な野菜の生産はできず、それが原因で冬の間は野菜が大変高く、どこの方が野菜を持って行っても大歓迎です。野菜の販売車も回りますがそれは市価と変わらず、自分たちや公益法人が回るとかなり安くお分けしているので大歓迎です。
今回もメロンやキャベツ大根、玉ねぎ、ジャガイモねピーマン等をのかなりもってゆきましたが、小さな仮設住宅でしたが15分程で、争いもなく完売できました。 皆さん笑顔で、楽しく買っていただきました。販売の条件は仮設住宅の人々がやはりやる気を自分たちで起こし街作りをしていただくためには、無料で提供することは役場から頼まれていますので、ほぼ100円くらいで売っています。

生利さん何の写真撮っているの? 販売に来たの忘れていませんか? おかまいなし でした。


えり取りみどりで、品定めをする仮設住宅の被災された方々で、特に車の便を持たない高齢者が多く参加されます。 手に持ち切らない野菜は地面に直においておられました。


このメロン『美味しい?』 もちろん美味しいですよ、先ほど味見えをしてきたので、確かです『大根よりましだったかな!』 皆さん大笑い、『それなら買うよ!


元幼稚園の先生、ボランティアこれで大槌町は2回目、お客の呼び込みをしてもらい、『チンドン屋』ふうにやってもらいました。 明るさが売り物で、『若いことが宝だ!』でした。 またすぐ来るよと言い残し横浜に帰りました。


カボチャも100円、自分たちも市場で値段を多少知っているので、カボチャの高さを知っています。オバチャンたち大きな声で、2つ3つ買って逝かれました。


自分が買う予定の戦利品は地面に直においてお金の準備をしています。 楽しそうに野菜を買ってくださったのが嬉しかったですね。

子供たち、時間が3時ごろだったので学校や幼稚園から帰っていて、お兄さんやお姉さんがいたので大いに楽しんでいました。


このお姉さん、山口から来た頑張り屋で、お茶っ子の責任者、大の子供好きで、野菜販売に来たこと忘れて子供と遊んでいました。(生利さん 隣は福岡からのスタッフで中垣くん)

波板観光ホテルの再開に向けてのお手伝いをしました


このホテルは大槌町の少し奥にある、国道沿いのホテルで、海のすぐそばにある風光明媚な場所に建っているが今回の津波では海のそばが災いして1,2階を打ち抜かれ現在に至るまで復興はしていない。 
今回はその波板観光ホテルの復興を決意されたオーナーが全国からこられたボランティア方の後押しを受け、県と国の援助が決まったらしく来年の3月の再開に向かって動き出すことを総支配人の口をかりてお話しされた。 土曜日で福井県から一晩かけてこられたボランティアさん方20名とその他地元や自分たちカリタスのグループを含めて50人ほどでお手伝いをした。 NHKのテレビも取材をして朝10時から午後2時まで撮影をしていた。 思った以上に仕事が進み計画通りに当日は終了した。 特に屋上にある元従業員の仕事場らしく、そこの整理そしてそれに付随している倉庫等のいらない物の廃棄処分をお手伝いした。 それが終わると内部の仕事に入ることを発表された。
思った以上に大きなホテルで、以前からこの海は変わった波ができるなーと見ていたところで、 実はこの海岸はサーフィンのメッカだそうだ。


今回お手伝いをした廃棄処分の品々、屋上やキチンから運ぶのは結構きついのだが、皆さんボランティアする事に専念しておられたので仕事がはかどった。


2階のロビーに当たる部分は完全に打ち抜かれ、以前はガレキが飛散して、再開は諦めておられたと昨日のお話で伺うほど、ダメージが大きいホテルだった。


ロビーの外のベランダは小さな庭園があり黄色の珍しいサルビアが満開だった。景色は最高で、お手伝いをしなければこのような景色は見ることができなかっただろう。


海側を見た景色で、下では防波堤の修理が行われていた。 津波の威力は凄まじくベランダやロビーの鉄筋部分も完全になくなっていた。



この写真はベランダから眺めてメインの宿泊棟で内部も綺麗なホテルで、仮に設置されたプラスティックの入った窓は完全に津波で壊された部分だ。


ゲランダしたの建物は多分んホテルの厨房や倉庫になっていたようだが、津波に完全に破壊された姿を晒していた。 話だと津波の高さは20mを越していたと伺った。


被害を受けなかった 客室は健在で、綺麗な状態で保たれていたので、できればボランティアが止まりながらお手伝いができるともっと早く進むだろうと感じている。


風雨と潮風に晒された仮設の建物の痛みは激しくほとんどが廃棄処分となった。


屋上からの眺めは最高で、元お客さんたちも再開されることを心から望んでいることだろう
ここにも砂浜があったらしく、写真でも海面の下に砂浜らしきものが写っているのだが、地盤沈下が激しく、ご覧のように海面下だ。


屋上から見た新館だろうか、綺麗な宿泊棟が準備されている。


最後に総支配人が感謝の言葉を述べてくださった。 カリタスも近くなので今後共何か力が必要なときはお手伝いをしますと伝えてきました。


NHKが最初から最後まで入りその再開の仕事を取材していました。 小さなことだが復興に向けて動き出したひとつのプロジェクトです。

2012年5月26日土曜日

ホタテの耳付け



昨日は2か月ぶりに『ホタテの耳付け』と言う仕事を 安渡漁港でお手伝いした。
私は以前にこの漁港でお手伝いの仕事をして、漁師さんとのお付き合いが始まった。 仕事自身はそれほど難しくはないのですが、何しろホタテの貝殻に小さな穴をあけてフックを刻んだテグスに通してホタテ貝をぶら下げる仕事です。 この漁港の漁師さんがた3月以降から北海道のホタテを待っていたのに五月も最後の週にようやく到着して久し振りテントがにぎやかないなっていた。
この佐々木さん一家は親戚や兄弟が手伝ったこの漁師さんを盛り上げているのです。女性は妹さんでいつも御婆ちゃんと働いています。
ボランティアさんはスタッフのなんにんかは以前にホタテのお手伝いをした人は知っています。
今回は45ケース買われたようで、ほぼ4家族が同じくらいの数を買ったようで、ボランティアを含めた仕事が多く、一生懸命にお手伝いしました。 
来年までは同じ仕事はないようですが、今年の秋にはそのホタテの出荷が予定されています。

お手伝いしたボランティアさん、中の女性陣に勧められて沖のホタテの土俵まで見学に連れて行ってもらいました。


コンテナーに詰められた耳付けしたホタテをいち早く、養殖場まで移動しなければいけません。 当日はホタテ日和といわれる位で曇りで暑く快適に仕事ができました。 コモの下にホタテが入っていた、乾燥しないように保護してあります。


沖で必要ないろいろな道具やその他をもらい、早く海水に漬けることを目標に動いています。 沖の仕事は彼一人だがんばっています。

2012年5月21日月曜日

大槌町で撮影した金環日食



太陽を全部通過することはできなかったこれくらいまでは撮影することができた。 どうしてこのように何もない普通のデジタル一眼レフで撮影できたか分からないが結構良く撮影できたと自負した。

今日は5月21日 全国で金環日食が見られる日
全く準備をしないでカメラだけで撮影しようと試みた。 カメラを覗くなと警告されてはいるが、ピントを合わせるためにはファインダーを覗かなければいけないので、仕方なく太陽と合いたいして、撮影した。 しかしこれは時々実行しているので目を痛めることはないと確信して撮影しています。
最初は一番撮影条件の良い東京に休みをもらって帰ろうかと考えたができず、大槌町にとどまって岩手県ではどれくらい撮影できるか試してみた。
朝7時頃からちょっと撮影し、その後ミサを終えて7時半頃撮影、少し考え場所を選びいくつか撮影してみた。 最後はトヨタハイエースの窓越しに撮影した。 それはスクリーンの入ったようなガラスで、これが撮影できた手段だった。
ホントはグレーか黒のフィルターを準備すると何の問題もなく撮影できたと思うが、何もなしで撮影できた金環日食も悪くない。 岩手県は地理的条件が悪く金環になることは無かったそこそこに撮影できた。 理想的な金環日食をWebで見つけたが、2つの環でしかない金環日食だ。 周囲はかなり暗くなっただろうが。
追伸
昨日写真返却展のお手伝いをしていた時午後4時ドラだろうか、かなり大きな余震があった。震度3、Mg6.2だったそうだ。 結構長い地震でまだこのような地震に見舞われ被災地は気をもんでいる。
避難勧告は出なかったが。


Webからコピーさせてもらった、条件の整った金環日食の理想的な写真。 これに太陽のフレアでも入るともっと良いのだが。

日本ではトカラ列島、屋久島、種子島、九州中部から南部、四国の大部分、近畿地方南部、中部地方南部、東海地方の大部分、関東地方の大部分、東北地方南部で中心食が見られる他、全国で深い部分食。東京では、7時32分頃、太陽高度35度で継続時間5分4秒の金環食となる(東京で金環食が観測出来るのは、江戸時代の1839年以来173年ぶり)。アメリカ西海岸からアメリカ南部中央の地域でも観測できる。詳細:2012年5月21日の日食。(ウィキペディアから)


影が太陽を侵食し始め最初の写真にゆくまでかなりの時間がかかるものである。


撮影した時点ではもう少し明るく、それを見やすく修正したのが最著の撮影である。 自動的にただ太陽にカメラを向けて撮影するとほとんどがハレーションを起こし見える状態には撮影できない


これも対y法に最初の影が当たり始めた時の映像で、これくらいの撮影することが比較的難しい、どうしてこのように撮れたか定かではない。


 2番目のように太陽に影がよく重なった状態で撮影できるのは地の利が大いに影響している


次ぎの金環日食はもう生きていることができない100年後のようだ。 日食はいくつか見られそうだ。

太陽が50%以上陰に浸食された状態は少し薄暗くなり、気をつけないとあまり感じることはできないが、太陽光が半分ほど減っていいるので撮影もしやすくなるようだ。 明るすぎるとハレーションを起こし明るく見えすぎるきらいがある。

2012年5月20日日曜日

大槌町の切里切里海岸の清掃でした


ボランティアの始まる前の諸注意を海岸で受けた。

昨日は切里切里海岸の清掃をボランティアで行った。
以前自分たちは塩釜で桂島の海岸を清掃したことがあるが、周囲の被害の割には海岸は奇麗ですぐにでも海開きができそうだが、奇麗な砂の中にまだガラスやその他の不純物があるのでそれをきれいに除去するためのボランティアを行った。
桂島では大型のコンテナーや漁船、そしてクルーザー、魚網や漁具そして瓦礫ありとあらゆるものが散在しそして砂の中にうずもれていた。 今回の清掃は奇麗な砂をよりきれいにする作業であった。しかし量は半端でなく100人ほど入ったボランティアが1日中仕事をして1/20終了したか定かではない。がそれなりに土曜日でああったので、長野県の上田市から20名ほど参加されその他4,50名、合計80名程だろうか?良いお天気に目ぐまら、海瀬の吹く肌寒いひに仕事ができたのもラッキーだったかな?


一斉にボランティアが砂浜に入り、ABC班に分かれて、3つの砂山をふるいにかけて、砂からしいさなガラスや金属の不純物を除去する作業に入った。


コンテナーに入れられた砂をふるいにかけて除去する作業を延々と午後3時半まで継続した。


このプラスティックのコンテナーは想像以上に奇麗に砂を選別することができた。


上の横棒は震災のがれきの中から探してきたようなプラスティックの間でああったり細井金属のチューブ等を使ってそれなりに作業をした。


分別だれた新しい砂はこれらのパイプの下に少しずつきれいな砂の山が出来上がってきた。


誰一人不平うを言うことなく温和にしかし一生懸命にこんてなーを揺すって砂を選別していた。 ちなみに自分は朝から終わりまでスコップを使って砂をコンテナーに入れたり山を移動したり休むことなく働いた。 おかげで久しぶりに手に豆ができた。


一列に並んで男女の区別なく細い人も太い人も一生懸命に働いたのが印象的だった。


一時の休みにみんな防波堤の日陰で休息をとった。 誰一人津波のことを考えることなく?仕事に打ち込んだ。


若草色のビブスを着ているのがカリタスジャパンで5人だけ参加した。 目立っています。


2世のボランティアだ10日ほどボランティアをやってくれています。


腰を痛めないようにいろいろ各自が工夫をして砂をふるいにかけています。 青天の大変良いお天気でした。 遠足か散歩日和ですが、誰も考えていなかったでしょう。


きゅうけいちゅうの仕事場です。オオ級の道具で、こんなものでこれだけの広大な砂浜を奇麗にしようとするボランティア精神がすごい。


休憩時間に上田市から来られたボランティアの年配の方が真田雪村について話をしているところです。


その話に聞き入るボランティアの方々です。 佐久実はそれでもたぶん上空に寒気がはいいていたので海上には切れが朝から発生して肌寒く、仕事は大変やり易かったです。


死後の午後の仕事の一こまです。 みんな真剣に仕事に打ち込んでいた『休憩しましょう!』の号令がかかるまで一生懸命にコンテナーを前後に動かしています。
あー!昨日は本当に疲れた! でした。