2013年3月23日土曜日

南三陸町の特養老人ホームと2011年4月の気仙沼の市街地


このスケッチは南三陸町の少し高台にありその上に志津川高等学校のあるところだ。 結構の高台だがここは、4階の屋上まだ津波が押し寄せてきたのでここでも被害が出たらしい。
この施設は特別養護老人ホームjで、人数の割には職員が少なく全員を避難させるには不可能であっただろう。


この写真は気仙沼の港のすぐ近くにある超低温倉庫で1、2階見えないところでは多分3階までは津波に侵入されただろう。 復旧にはどれくらいコストがかかるのだろう?


津波が押し寄せ海水が入口から侵入し、中で水位がまし、攪拌されその後津波が引くときに入口だけでは足りずに建物の弱いところを破壊して出て行った。 1階の窓は全部破壊され、壁の弱いところが破壊されています。


内部にあったものと海水が引くときに壊していった外壁。 内側から強い力が働き鉄骨の壁を壊しご覧のような結果を残して出て行ったのが分かる。 建物の周囲は地盤沈下で海水が逃げきれない様子だ。


これは港の近くから、山の麓までを撮影した写真だが、こんなガレキの散在したシーンが累々と続いている。目立つ赤い看板はダイハツの営業所だろうか・・・・


大きな漁船の燃料タンクが流れ着いた気仙沼の港地区正常なビルは全く見つけることが出来ない今回の津波の惨状だ。 2階の屋上の手すりも曲がっているのは津波が覆った証拠だ。


何がどうなっているのか全く分からにガレキの集まって場所。  大きな樹木も電柱も数沢山が被災していた。


住宅街で残った家屋もこのあたりでは見ることができるが2m程のヘドロの海水が家財道具を全てよそしてしまった。


港から少し入ったところで、正面のコンクリート製の建物は外観は無事そうに見えるが、再生できたのだろうか? 手前は何も残っていない市街地


U-TUBEで見た気仙沼を襲った津波はリアス式海岸に入り込みまるで大河のように内陸部に向かった押し寄せたのを見て本当に恐怖を感じた。 その結果がこのような破壊された市街地。


地盤沈下がひどくそのため大潮などになるといたるところが水たまりとなり、交通を遮断してしまうので応急処置で1mほどのかさ上げで道路が敷き直された。


手前の建物は火災の被害を受けたのだろうかかなりサビが来ている様子が見える。

2013年3月20日水曜日

震災の津波で流された松ノ木の根っこ。と2011年4月初旬の気仙沼



これは南三陸町に入るまえの吉本町の海岸に流された松ノ木の根っこです。 多分海岸の防風林の松ノ木が巨大津波に根こそぎ引き抜かれ、海岸に流れ着き、それが風雨に晒されて幹と根が残されそれに付いていた土砂は完全に落とされご覧のように細い根がむき出しになっていたのでスケッチしてみました。


これは気仙沼の港の中心街で、港に近いため津波の被害は甚大で同時に火災が発生したため多くは消失しております。 サビが出ているところは火災にあり塩分を含んだ風雨にさらされてサビが出ています。


このビルも火災にあったようで1階の鉄骨が煤けているのも火災が原因をしているようです。 炎が上に上がっているためコンクリートの壁面が剥げ落ちたり炎の上がった形が二階に向かった残っていますね。


まるで川のように水が残っていますが、これも地盤沈下のせいで、海水が逃げ場をなくして溜まっていました。 道路も同様に地盤沈下の影響を受けて、これを最初に嵩上げしていました。


道路にあったガレキも一緒に、道路の脇に押し出したのでこのようなガレキの山が道路に沿って出来上がっています。 左の高い建物が超低温倉庫でした。


道路の左右に山積みされたガレキや破壊されて家屋の残骸です。 これが震災一ヶ月後の気仙沼です。


このような水路のような道は密閉した乗用車などは簡単に運んで来て海水が引くときにひかかってどんなシーンを作っています。 流れる時にガレキにぶつかって自動車の外板や天井は簡単に引っ込んでしまいます。


赤い看板の上がっているところはダイハツの工場かショールームだったようです。 しかし津波に飲み込まれているので、多くのこのようなショールームは被害を受けています。


二年が経過し、現在は三年目に入り、被災地はこれらのガレキを見ることはほとんどできなくなっています。 復興が進んでいなければ住宅のコンクリートの土台が残っているでしょう。


復興の進歩が見られるところは土台がなくなり、土の更地が大きく展開しています。 大船渡、南三陸町等が進んでいる感じを受けました。


黒く煤けているのは火災にあったコンクリートのビルでガラスや窓枠さえ残っていません。 火災のひどかった気仙沼の鹿折地区です


水の少し残っているこのような場所は大潮で海面が高くなって来るとまた海水が地盤の沈下したところに海水が戻ってきます。


大型の倉庫や建造物は津波で外壁が壊され津波が中にはり引き落とし波の時にされに外壁を壊して出て行きました。 凄いがれきの山でしたね。

2013年3月18日月曜日

南三陸町のまえの吉本海岸に一軒取り残された宿泊施設のようだ


このスケッチは海岸に取り残された一見の海の家? ホテルかな土台は砂が全て流されコンクリートの土台がむき出しになり毎日波に洗われています。 全く見捨てられた建造物です。 巨大津波は2階まで浸水し、となりにあった建造物は完全になくなり土台しか残っていません。
場所は南三陸町に入るまえの吉本海岸だと記憶しています。 この入江の内側も壊滅的な被災をしたところです。水田住宅全て流されたひどいところでした。


この写真は気仙沼の港町の中心街だと思う。 そのような住宅、水産加工工場、倉庫そして事務所等が密集していた場所を津波が直撃した。 これは多分漁船の燃料を貯蔵していたタンクが津波で配管を断ち切られ市内に流されその間に油が海面に流れ火災の原因となった。


これは多分水産加工工場や作業場に津波が破壊した家屋等の残骸を巻き込んで市街地に流れ込んだ。 その中には当然自動車、トラック等を多数含んでいた。


けれも多分水産加工場の屋根だろうか?下部を引きちぎって屋根だけ流れたのだろうか? 流れ着いたところはガレキの集積場のようだ。 多くにも大型の建物が倒壊したり半倒壊で残されていた。


あらゆるがれきの中には長距離の定期便のトラックも数多く含まれていた。 ここでもトラック全体が住宅や店舗と一緒にガレキになってしまった。


この写真は被災直後は足の踏み場のなかった被災地だが、緊急車両や救助車両をスムーズに通過させるため急ピッチでがれき撤去か行われ、1ヶ月後hかなりスムーズに被災地に入ることができた。


地盤沈下で海水のもどるところがなくなり、被災地のいたるところにこのような水溜りが目立っていた。 このために50cmとか1mの道路のかさ上げが急ピッチで行われた。


津波に押し流された障害物が次々と弱い建造物を破壊しガレキを無数に作っていった。その後行き場のなくなった津波は多くの陸上のガレキを海に引きずり込んだが、陸地に残されたものも無数であった。


地盤沈下と何かのはいかんだろう地面の高さまで出てきてしまったようだ。残りは地盤沈下の鹿折地区と奥は火災のひどかった場所だ。


作りたての真新しい、先端の冷蔵庫も区別なく破壊だれ、当日撮影していた時にこの倉庫のオーナーだろう、部長クラスの方と復旧の計画を立てておられた。


津波のパワーは特に、気仙沼はひどくご覧のように燃料タンクやトラックも跡形のないほど大きなダメージを受けていた。 誰もこんなに強い津波を予測出来なかっただろう。


鉄骨コンクリートの建物もご覧のような凄まじい姿で取り残された。 右側は嵩上げされた道路だ。


かなり高い工場のようだが津波は屋根まで破壊していった。
この気仙沼は日本有数の魚の水揚げ量を誇っていたので、そのヘドロの被害もすごく、奥の住宅街も津波の浸水が、ヘドロと一緒だったので、津波に浸かった家財道具はほぼ全部廃棄処分にされたようだ。



2013年3月17日日曜日

気仙沼の港近くの水産加工場と陸前高田の気仙地区の被災


気仙沼の港の近くの大型施設(海産物加工工場か?)1、2階は完全に破壊され残っているのは鉄骨とわずかの外壁だけで解体をまつだけか

今日インターネットで見つけた記事だが被災地の生活空間内の暴力が問題になっているのが心配だ。 以前吉里吉里の仮設住宅でご婦人方に聞いたが狭い空間内ではストレスが溜まり、生活が難しいと聞いたことが思い出され、暴力がないことを祈っている。
下記はその記事だ(掲載させていただく)


 東日本大震災の被災地で、配偶者間暴力(DV)が深刻化している。狭い仮設住宅に妻たちの逃げ場はなく暴力は激化。先が見えない避難生活が続く中、夫婦関係が悪化するなどし、福島県では2012年、警察へのDV相談件数が過去最多になった。DVは子どもの成育にも悪影響を及ぼし、児童虐待を誘発する懸念もある。国は震災後、相談窓口を設置したが、支援者は「DV被害はこれからさらに増える」と警戒する。
 福島県警には12年、前年比64%増の840件、宮城県警にも同33%増の1856件のDV相談があり、いずれも過去最高を更新した。一方で、岩手県警への相談は同2%減の298件。全国の警察が把握した件数(1218月)の伸び率は25%だった。
 支援団体「ハーティ仙台」(仙台市)は「震災による失業などで加害男性が自宅にいる時間が長くなり、DVの機会が増えた」とみる。これまでの広い家から狭い仮設住宅に移ったことで、被害女性らが隠れにくくなり、より粗暴な事例が増えているという。
 福島県では東京電力福島第1原発事故の影響で、夫と妻子が離れて住むケースが増え、すれ違いから夫が暴力に訴えることも。「ウィメンズスペースふくしま」(同県郡山市)によると、失業した夫が東電の賠償金を浪費してしまう経済的な暴力も目立つ。
 岩手県では相談件数は減ったが、支援者は「被害者が孤立しているだけ」と分析。震災後、相談の半数以上は内陸の盛岡市内の窓口に寄せられており、「参画プランニング・いわて」(同市)は「被災した沿岸部は支援体制が不十分」と指摘する。
 一方、12年の児童虐待取扱数は、福島県警で前年比76%増の109件、宮城県警も同34%増の254件と過去最高を記録。岩手県警は同11%増の144件となった。親のDVなどを見て心が傷つく心理的な虐待は、宮城県警で同42%増の155件に上った。
 19951月に起きた阪神大震災の後もDVの相談件数は急増。兵庫県では、94年度の39件から95年度は74件、97年度には138件と3年で35倍になった。当時、支援に当たった「ウィメンズネット・こうべ」(神戸市)は「災害後の大変な時期は、家庭の問題だからと遠慮する人もいるが、我慢せずに相談して」と呼び掛ける。
 内閣府は115月以降、岩手、宮城、福島3県で、女性の悩みに答える専門相談を開始。現在も月400件以上の相談があり、うち約4割がDV関係という。ハーティ仙台の八幡悦子代表は「被災3県でも支援員を養成し、相談体制の底上げを図りたい」と話している。


この写真は陸前高田の気仙地区で川のこちら側で高台はこの後ろだがその前にあった気仙地区は壊滅した。 国道45号線にかかっていた橋も落ち陸前高田中心街に入るのは大きく廻り入るのは結構難しい。 津波はすごいですね.無茶苦茶です。


このビルも完全に水没したようで屋上に沢山のガレキが残されていた。 ご覧のように津波に耐えた建物はやはり鉄筋コンクリート建物が多かったと思います。


津波が押上上にある家屋の窓は壊れ、ガレキの散乱は手のつけようがないように見えます。
中心には沢山の車が被災して残されていました。


被災した車のダメージも凄まじくよくここまでよく潰されたものだと感心させられます。


ガレキが積み重なり視界を遮ります。 建物の屋上にもお構いなしで取り残していました。


これはほとんど壊れることなく流されたお寺の住居でした。 その後これを建てた宮大工さんとお友達になることが出来ました。 100年は持つだろうと新築の建物は凄まじい津波で土台からはがされ、流されたのは自宅から200mくらいのところだった。


完全に破壊された陸前高田の気仙地区、見渡す限り破壊尽くされたガレキが所狭しと散乱していました。


奥は高等学校か、中学校か確認はしませんでしたが、体育館が2階まで津波に押し込まれ、大きく破壊されていました。


綺麗な土台を残して完全になくなってしまった住宅跡


これもすごいですね。 建物かコンテナーか分からにほどガレキが絡まってしまったものです。


車もトラックか乗用車か全く分からにほど破壊されたあとです。


これが先ほど説明した体育館の被災状況です。2階まで完全に水没したようで、屋根のスレートも全てはがされていました。