2012年4月4日水曜日

2011年11月9日の気仙沼の高等学校 今はがれきはすべて撤去されていた


今日はカメラを持参しなかったので以前の気仙沼の海洋関係の高校のグラウンドのひどさをお見せしたい。 これは昨年11月9日に撮影したもので、6か月過ぎた今日はグラウンドのがれきは全て撤去され校舎を残して奇麗にかたずいていたので安心した。なぜこんなに遅かったのだろうと不思議に思うことだった。

今日は久しぶりにNPOか漁業の棚つくりに行こうかと考えていたが、天候が最悪で昨日から強風が吹き荒れ、朝には雪交じりの天候で交通機関も乱れていた。 それが原因で大槌ベースの山口からのボランティアが時間通りに仙台に行けなくなっているようで、急きょ相談して大槌から仙台まで国道45号線を使い、車で送ることにした。 出発は9時を予定していたのだが、安全のために8時半出発に変更し、一応時間通りに出発できた。 雪が交じっており強風で場所によっては今朝の事故はトラックが横転して通行不可となっていると聞いた。
仙台出発は午後1時半頃らしいので4時間と見て運転を予定した。場所によってはトラック、特に空のトラックが慎重運転をし始め、追い越しが不可能なところが大船渡まで続いた。 しかし一部高速で追い越すことに成功し、陸前高田、気仙沼まで順調に進んだ陸前高田の町並みはほとんどが更地になり、町があったことを思い返すのが難しくなっている。 気仙沼は内部に入らなかった。先週の印象はかなりガレキは整理され土台の解体も進行し始めていた。 歌津町は建物がほとんどなくなり、本吉町は更地が増えたようだ。 カメラを持参しなかったのが手落ちで、
気仙沼の中で気にしていた気仙沼の海に近い高等学校とそのグラウンドだ。大槌町に入る前に見て実に驚いたことは震災直後のシーンだった。 しかし今日、仙台から帰るときにちょっと道を外れ見に行った。 学校の校舎を残し周囲はきれいに片付いていたので少し安心した。

12月ごろから南三陸町は少し変わり始めていた。被災した町は変化していないが周囲の山が変わり始めていた。 山の木が切り倒されているのが目立ちだしていた。山に高台を探し始めたのかな?と推測している。
それから三陸道を通り仙台に入る。自分の予測では12時前後かな?それなら昼食をとる時間につける予定だ。 仙台の印象は変わらない。 被災を全く感じない、都会だ。
仙台には計画通りに12時15分に到着。 安心した。

このようなシーンが二度と起こらないよう高台に学校を作ってもらいたいものだ。 行政は考えてほしい!


昨年2011年11月9日の写真だ。対比する写真がなくごめんなさい。この学校は海洋関係の高等学校らしく、海から800mほどしか離れておらず、津波の被災も甚大なものであった。



普通では考えられないシーンだ。 まるでごみ箱をひっくり返したような悲惨な状態だった。

これは定かではないが、鉄製の構築物でじてんしゃおきばかな? がれきがたくさんついて推測することさえ難しかった。


建物が邪魔をし、そこにがれきが集積してしまったようだ。


これは敷地内にあった1階建ての建物は完全に水没した跡が残されていた。


これもすさまじく校庭の自転車行き場だろうか何か鉄骨の構築物に大きな住宅が床下を見せながら流れていていたのに驚かされた。 今日はこれらのがれきは全く見えなかった。自動車もたくさん転がっていた。


2011年11月9日 このように校舎と校舎の間にどこから流れ着いたのだろう住宅が横たわっていた。


すごい津波のパワーを感じさせる校舎の写真で一気に3階まで津波が押し寄せ、生活を一瞬で変えてしまった。


いたるところに自動車が無数に散乱していた。

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