2011年9月15日木曜日

奥松島鳴瀬地区を考える


これは東名の鳴瀬地区、大きな水溜りがあり、その中央を縦断するかさ上げした道路が貫通している。今日は排水作業をしてその効果が少し見えた。


隣の転倒した家の屋根が庭先に進入して以来、動かしていない地区。


奥松島鳴瀬地区を考える

2011/09/14
被災地を行く 奥松島の鳴瀬地区(駅名 東名とうな)
ここに入り驚くことは目を奪われる海面だ。 これは元陸地のようだが定かではない、松島からは野蒜に行く前の坂を右折しそこから漁港に出られる。 しかしここはすでに重機が入り始め少しづつ家屋を解体し始めておりトラックの出入りも少しはあるようだがまだその先のガレキの撤去が終了していないのでまだ手付かずで、今年の311日の結果を見ることが出来、室内は津波で攪拌され、ヘドロは少ないようだが、どろだらけの家財道具がそのまま放置され、住民はどこに避難しておられることだろう。 学校のそばに仮設住宅らしきものが建ち始めているがまだ数週間はかかりそうで、七ヶ浜より遅く、石巻よりも遅れていそうな感じだった。 ちいさな漁港に向かって進むと左右には倒壊した家屋や一部ぶち抜かれたような家屋、進むと漁船やボートが侵入していたり屋根がひっくり返り敷地内に進入し、誰もいない漁村に沿って進む。 冠水がまだ津、奥に目をやると海が見える左右に海が見え、海抜ゼロメートルを感じる。 穴が開き買い推移が残り、水溜りを形成している。
津波はどこまで来たのだろう?ガラスに残るラインは天井に達している。 しかし一つ先の野蒜駅を訪れて高さを調べてみるとプラットフォームの駅名掲示板の上まで汚水が跡を残していた。地上工3mくらいか?建物には2階の上の窓以上の場所を傷つけている。
したがって海にもっと近い東名、鳴瀬地区はもっと高い津波に襲われた可能性もある。 ここは住む希望が無いようだ。
その海のような部分を左右二つに分けるかさ上げした道路が走っている。今日は引き潮かな?と感じた。 最後にその道路の終点近くに移動した。理由が分かった。3台の大型ポンプを使った排水していた。その結果が出始めているようだが1ヶ月はかかりそうな仕事だ。この水を抜くとまたそこをかさ上げする埋め立てが始まるのかな>と感じた。


よく見かけるシーンがヶ家屋の一部を大きくえぐりとられた家屋が多い。 渦を巻いたのかな?と推測する。


数少ない鉄筋コンクリートの建物で影響は外観から見ることは少ないが、室内があらされていた。


垣根に漁船が折れて曲がりそれが残されその上に赤い屋根の建物が流されてきて、転倒している。


折れ曲がったボートだが近くの漁港から流れ出たものだろうと推測できる。


渦巻いたであろう海水は家の中に浸入し出るときサッシュも多くのものも流れ出たようだ。 同時に地盤沈下で海水が抜けることが出来なくなった。ようにも見える。


近くの山の壁面を見るとかなりの岸壁が崩落したようでそのしたまで津波は家屋を押し流したようだ。

ばらばらになった室内そしてそこから排出される津波の水がガレキと化した家事道具を汚して使えなくしてしまた。


崩れ落ちただろうか、瓦礫の山が建物の下にうず高く集められた。


海岸の周辺にあった松ノ木が津波に流され家屋を破壊して、ガレキの仲間入りか?

冠水か陥没か定かではないが水溜りが家屋の近くに出来てしまい、大潮や台風が心配な現象だ。



大きな侵食を左右に分けるかさ上げした横断道路まるで左右は海で、異様な感じがする。たてに伸びる道も海水と同じ高さになりつつある。


この地区の公共の建物は海水の中にすでに土台を落としていて、今日は引き潮らしく少しぬれた土台が見えていた。


砂とヘドロが一瞬にして入り込んだ津波は内部を攪拌して出て行ったようだ。 窓ガラスに津波の汚れを残していった。

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