2011年9月4日日曜日

仙台もあまり知られていないが大きなダメージを受けています。



2011/09/04

仙台の海の近く荒浜から名取までどれくらいの家屋がやられたのだろう?

今日は日曜日
塩竃カトリック教会の日曜日のごミサには仙台の渡辺神父様が来られ、ごミサをささげていただいた。 その後教会委員会が行われボランティアとしてご報告をさせていただいた。その席上、渡辺神父様は規定通りには終わらないだろうし、継続するなら塩竃教会もそのつもりでお助けしてくださいと話された。 カリタスジャパンの一部はお返しするようだが、継続してボランティア活動は継続されるようだと話された。
そのご、以前金原さんと花壇作りのために鉄道の枕木を買いに行った時最初に仙台近くの荒浜地区に近いお店だったので、との途中、車窓に広がる津波の跡に驚き、いずれは視察に行きたいと思っていたので少し時間をかけてみたいと思い荒浜地区に初めて脚を踏み込んだ。 ガレキは撤去され残っているものは土台のコンクリートしか似ることは出来なかった。荒浜の海水浴場に行ったが台風の余波のためか、空が少し曇るほど砂が舞っていたので写真を撮影するのが難しかった。
その後脚を伸ばし、荒浜の隣の村に入ったゴーストタウン状で人はほとんど見られなかった家屋が残るほど、村が集落として残っていたが、ダメージを受けていない家は見つけることが出来なかった。 そんな中で新しい車が一軒家の前で止まっていたのでどなたかおられるかな?と思い車窓から眺めた。 気になるほど若い男性が家の前で雑草と悪戦苦闘するのを見ていたので、勇気を持って声をかけた。『ここはご自宅ですか?』の質問から入り、自分の家であることを話された。 若い方が一人悪戦苦闘するのを見てお手伝いをしなければと感じ、『自分は塩竃でボランティアをやっていること』『お手伝いが出来ますよ』『いかがですか?』、最初は東北独特の遠慮の仕方で、自分よりもっと苦しんでおられる方がいると思うのでそちらを助けてください。と しかし若い、細身の方が雑草と苦闘しているのを見過ごすわけにはゆかず、粘ってみた、若い方にしては珍しく、よくしゃべられる方でいろいろお話が出来た。『この地域はボランティアが入るといろいろ言われるのです』『自分で仕事をせずにボランティアに仕事をさせた』とか『ゴミ運びをさせた』とか言われるらしく、そのことも気になるらしく、いろいろ教えてもらった。自分ではここに残って畑をしたいし、全部は壊したくないともらされた。 この家は築150年ほどになるし、最初の干拓に入ったグループで、そのとき海岸に松ノ木を20万本か30万本植えたそうだが今回の震災で大きなダメージを受けたこと。 遅遅と母は親戚のうちにいてそこでしっかり農業をしているが戻ってくれるか分からないが、そのためにも自分が頑張っている。 畑も作りたい、自分は素人だが、両親は農業で、レタスを作っていた。 レタスを試しに作ってみたら2回目で巻いてくれた。 こんな頑張る若者を一人働かせるのは自分が許せないし、遠く離れているので誰も気が付いてくれないだろう。 たとえ明日お手伝いが出来なくても近々手伝うことは可能だと考えている。





荒浜地区、初めて本格的に入ってみて仙台市の被害の大きさに驚かされた。


何が屋根の上に置き去りにされたのだろう? こんな集落が取り残され仙台市の決定を住民は待っているようだ。


ボランティアが入ったのだろうかこぎれいに整理されていたが津波で打ち抜かれていた。


集落は流されてはいないが多分全部全壊判定を受けそうなダメージが目立つ。


6ヶ月が過ぎる現在雑草の中に取り残された集落の行方はどのようになるのだろうかと心配する


この集落は皆同じように津波で1階を打ち抜かれていた。


いぇね野部分は大きくダメージを受けてはいるが、何か大きな箱がはまり込み、それがあるお陰か倒壊を免れていたようだ。


今兄大きな家でも解体させられそうだ。


ヘドロが入り大きく打ち破られた家屋だが、解体するのは目に見えていそうだ。


おの家はエコ住宅だろうかソーラーパネルを載せた部分が大きなダメージを受けていた。



若者も心配していたが、市の決定が出ていないので、解体するか、リフォームするか迷っていると。


1輪車があることは何か細々と仕事を始めた人がいるようだ。



開拓時代の? 古い家屋だろうか漆喰かどろ壁が大きく壊れてしまった。

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