2011年9月15日木曜日


野蒜駅の津波の高さを探してみたら、プラットフォームにある駅名の看板を越してその少し上にラインを見つけた。


20110914
奥松島の野蒜地区
野蒜地区を見て回る。
ここも解体が進行しているが、まだ家屋として多くのものが今年311日のままに取り残されていて、鳴瀬地区より住める可能性は大きいと見たが、仮設住宅もまだ半分ほどで、どれくらいの方が避難されているかは定かではない。
冠水するところはほとんど見られないが、鳴瀬第二中学校は地盤沈下が大きく、プール脇では深さ3,4mほどの深さ、直径で10mくらいの穴が開き海水が残って池の様相を漂わせていた。
津波の深さはどれくらいだろう、駅を知れべて見ると汚れが残っていてぷラットフォームは1mほど地面から高くその上の柱に2.5mほど合計3mから4mほどの津波の深さを予測でき、その前の住宅ではそれ以上の高さに傷跡が残り、中学校では2階で1mほどのところに津波の跡を見つけた。 もっとも奥松島海水浴場から500mほどしか離れておらず津波の威力も凄かったのではと推測できる。


鳴瀬第二中学校で見つけた実験器具だろうか?顕微鏡があった。


野蒜地区の現在の住宅、放棄されたような住宅が目立つ。


床をはがし綺麗にヘドロを撤去したであろう住宅の骨組みが見える。 住むつもりだろうか政府の決定を待つ奥松島


野蒜駅の構内とプラットフォーム、架線は垂れ下がり、復旧の見通しは全く定かでない


駅舎内は破壊され内部の構築物が散乱した現在の野蒜駅。


駅のぷラットフォームから見える雑草の覆い茂った中に白の乗用車が半年間放置されていた。


津波の跡を探していたら広告汗顔が汚れていた。 ここ以上まで津波の深さがあったのだと筋を見つけた。


国土交通省が設置した国道の看板も倒れて雑草の中に隠れ始めていた。


破壊されたビルの非常階段に軽自動車が放置されて半年間。 いつ撤去されるのだろう?


今回の津波で目立つダメージ。 家の1,2階の一角が大きく抉り取られた家屋。『解体してください』
が痛々しい。


津波の高さはこの辺りまでに達したようだ。


学校の校舎内もガレキで覆われていたものを清掃した跡だが、天井の破壊もすさまじい。


学校、クラブのカップやトロフィーが集められていた教室の一角。 クラブ活動の結果が残されていた。


教室に入って見つけた津波の跡。2階のロッカーの中に爪あとが残っていた。

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