2011年5月18日水曜日

石巻市 石巻港周辺はケオスだ!

昨日、塩竃カトリック教会から石巻カトリック教会に差し入れをした。 石巻はすでに3回ほどいって入るが、サレジオ会の副管区長を案内したとき、被害の大きさに大ショックだ! 日和山公園から部分的だが一望に見える石巻港周辺はまるで戦争の爆撃後の様相を呈していた。 凄い!の一言。
その後石巻港に行くため被災地を通過し、まず川向こうから入り、港の対岸の防波堤上に載ったままの大きなオイルタンクを目指して移動した。その間に被災地に入り現場を撮影し、住宅街はまだ手付かず状態で、今まで見た大きな都市より遅れているなと感じだ。 昨晩の『分かち合い』で出た話だが、『今残っている住宅はお金持ちの住宅のようだ』おっしゃる通りで、お金があるから耐震構造でしっかりした住宅ができたと自分も以前から感じている。昨日のチームは大きな庭の清掃をやったらしい。 門から家屋まで結構の距離があったと話していた。 石巻の市外地が特に被災した市内より、壊滅的なダメージだ。 80%は倒壊しているのでは?と感じた。まだ重機が入っていない。そんな中で一人の男性が自分お住宅の前の駐車場に水をやっていた。話を聞いた。支援センターからはボランティアがなかなか来てくれなかった。 多分あまりの多さに行政がついていけないのではと推測した。 しかし横浜からの知らないボランティアが直接手伝ってくれた。 『お金いくらですか?』と聞いたそうだ。『お金をもらうと私ども逮捕されますから!』と返事をしたそうだ。 しかしこそ泥や、その他の人が入って金品、自動車を壊して中のものを取って行くそうだ。 報道される規律正しい日本、しかし被災の中ではこのような小さな事件もたくさんあるらしい。 警察はパトロールをしているが被災地があまりに大きすぎる。
水は出始めたが、電気、ガスはまだらしいどうして食べているのですか?と質問した。避難所に行ってもらってくるらしい。 しかしいつも同じ食事で飽きが来る。『おにぎりとパン』らしい。 同感だ。 それなら教会に戻って何かを持ってきますよといった。東北人の気質だろう。強く断れた。今回はよしたが、必要がわかったので支援物資を次回はもって行きたい。
港付近は、強烈な匂いで鼻が曲がりをう。 こんなところでは生活できない!が実情だ。 上空にはかもめの大群が乱舞している。異常なくらいの数だ。理由は倉庫が壊滅し、半壊なら中の冷凍の魚が外に大量に廃棄されて、それを狙えるからだ。 道路にはかもめが降りてきて落ちている小魚をつついている。 強烈な匂いは何だろう、道路一面色の変わったところがある、コンクリートにへばりついている、これも原因のようで魚の油のようだ。 それが解けて周囲の水溜りが変色し、特別な匂いだ。ここでの産業、生活は難しいほどの匂いが充満していた。
工業団地、倉庫群が立ち並ぶ大きな石巻港、すべて巨大津波につぶされ、外壁ははがされ、健全は建物は見ることができない、悲惨な光景だ。 フラッシュメモリーが終わって、肝心な被災の中心には行けなかった。次回改めてご報告をしたいと考えています。


この写真はグーグルアースがらコピーしたものでこれからでも堤防の上に載った石油のタンクを確認することができる。 これを見つけたくて海岸まで探した。結果は下に乗せた。


この写真は日和山公園から一望したシーンで全体を入れることは難しかった。 これら被災地は広い範囲で被災したので一度に画面に入れるのは難しい。下の箱型の建物は黒くすすけた中学か?2日前に見ることができた。


これは日和山公園から見つけた石巻港の対岸の堤防に乗り上げた大型のオイルタンクで、ここを目指して町の中を通過して近づいた。下がって見ると周囲が高く見つけるのは難しかった。


これは整理のためか重機で破壊された家屋を壊していた。地元の人だろうかこの日和山公園の高台から見ている人々がいた。 崩れ去って故郷をどのように見て、感じられているのだろうか?


下に降りて住宅街を抜けると、途中にこのようにつぶれてしまった消防車を見つけることができた。
容赦なくつぶして行った巨大津波の爪あとを見せ付けたられた。


全壊した家屋とそれを支える少し傾いた住宅を市内に見つけた。 周囲は瓦礫の山で、2棟とも助かることは無いだろう。 移動中に私は住宅街で無数の全壊家屋を見つけた。



この建物も移動してもたれかかったようで、この様子では再生がほとんど不可能なようで、取り壊される物件だろう。海面からかなり離れているのに、この住宅街はたくさんの被災物件を出してしまった。津波がいとも簡単に壊し、移動させていまったようだ。
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