2012年11月8日木曜日

大槌町の現場 今はこの建物と役場、変わらず

皆さん遅くなりました。ようやくパソコンを組立インターネットが繋がるような環境を昨晩つくりブログも立ち上げることができるようになりました。


ボランティアを終了し、その後サレジオ会から辞令が出て、大分県の中津に赴任するように言われ、15日には浜松を出るように言われ、その前に管区長と話した時に、あなたは絵を描かないの?と言われ、実は最後に被災地のスケッチを2週間ほど考えていますと言うと、そうですか、いいですねと同意を頂いたので15日に仕事を終えて、東北にあがり、山田町からはじめ、実際に描いたのはスケッチブックで10冊程度、200枚以上でした。
早い時は朝5時頃から描き夕方見えなくなるまで描きました。
被災地を見せるオブジェクトが残っていないことに驚き、その中で残っている、何かを描いてきました。被災したガレキは集積場で山になり、夏草がお生い茂り、秋になっているので彼初めています。 スケッチした被災地は大型の重機がうなり、整地して、集積場では種分けが進行しています。
これはまだ残る大槌町の『ふれあいセンター』ですが4月に撮影した写真を参考にスケッチしたもので、今後はこれらスケッチを下に絵の具か、水彩、またはアクリル絵の具で絵を描くか迷っています。 写真で残すのはかなり行ってきたのでたくさん資料はありますが、スケッチをしてみて、より深くものを見ることができ、さらに悲惨さを知ることができました。


このスケッチは大槌町の元役場の本館で、周囲にあった図書館、植田病院近隣のビルはなくなり、残すところあと数棟しか残っていません。ムーミンのそばにあった3軒のビルも解体され、変な自称ボランティアのいる、ところもオーナーが立ち退きを望んでいたがこれがまだ残っていました。
この役場の右横の役場の付属施設も重機が入り、本館の解体も時間の問題かと感じていながら簡単なスケッチをしておきました。 今後はこれを絵にするか、イラストにするか迷っています。絵心はありますが、本格的な画家ではありませんので、満足できる仕事ができるか定かではありません。上に行った時は、朝から対処物件を探し、椅子を出してて早くスケッチをして移動を繰り返しました。 天候も不順となり、寒くなり風も強い時があり、雨も降り、そんな時でも車の中からスケッチをして、ページを増やしました。
色はつけず、帰ってから時間があると少し水彩をいれています。
がれきの整理が多くの場所で進行しているため、見つけるのに苦労をしました。
今後は少し描いたものをお見せしたいと考えています。

まず遅れたことをお詫びいたします。
住所は右側に書いてあります。

0 件のコメント:

コメントを投稿