2011年6月23日木曜日

浦戸諸島の桂島

明日桂島に入るといわれ平日はボランティアが少ないので、ニーズ調査をかねて初めて入ってみた。
浦戸諸島にNPO法人を作るとかで、今までお仕事の関係でその立ち上げに協力するために、今回は入り、自分はその事務所を見た瞬間何か出来るな?と考え、材料はあるのですか?とたずねたら、足りない部分は手伝うことが出来るな?でいわれずとも残りの材料の計算と設計にかかり、1時間ほどで終了、その後島の視察とニーズ調査に入る。炎天下の移動はかなりきつい。 それでも被災地の方と何か意見交換がしたい。丁度、突き当りの家からでて来られた主婦に声をかけた。
このあたりはどれくらい海水が入ったのですか?実は自宅はたいした被害はありませんでした。
津波はそれでもあの坂を越えて自宅は50cmくらいですかね。 実は家が壊れたほうがよかった。修理代は400から500万円くらいで出来るだろうが、実は自分の作業場の被害が大きく、大変困っていると語られた。そして船に向かわれたのでそれ以上聞くことは無かった。(理由は分からず)。 調査に入る。その直後、老人がたたみにブラシをかけていた『助けましょうか?』
その人は助けを必要とはしていなかったが、あろ一、二回会うと何か頼むのではと見た。 すぐにお願いしますとは誰も、自分でも言わないと思う。 話すと一人暮らし、畳はもらったもので、重ねておいたのでカビが出てしまい、ブラシでカビを取っていたのです。 観察してみると瓦屋根も危なく、周囲もかなり困っているような気配でした。
その後移動を始めると、周囲に民宿が目立ち、大工さんも入って修理が始まっていたので、希望を持っている家族もいるな。 しかしその坂の頂点に立つと、寒風沢と同じ光景が目に飛び込んできた。
しかしここは寒風沢以上に遅れているな。お金を払って地元住民を雇っていないのかな? と感じ、3月11日のそのままが見て取れた。 凄い!に尽きる。倒壊家屋は沢山取り残されていた。3ヶ月が過ぎるのに助けが無い。何とかならないだろうか。 その中に青い金属の大きな塊を見つけて。何だろう? それでも何カットかを撮影した。 今日3人目の電気屋さんに話かけた。その間にふぉの機械が何か2500万円もする海苔の乾燥機だと分かった。自分はそれが1つと思っていたら、電気屋さんは5つ流されたと教えてくれた。5機合計1億円 その被害者いかがするのだろう? 自分では助けられないと感じた。

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