2013年4月14日日曜日

女川の横転したビル。 2011年4月13日気仙沼の鹿折地区


このスケッチは南三陸町から半島を経由して雄勝それから女川に入りました。 被災のとし11年にも女川を最初に訪れた時はショックでした。 今まで見たことのないビルが数軒横転しており最初はどうなっているのかな?と理解に苦しみました。ビルの側面にある非常階段が変な格好でついていたから、横転しているなどとは夢にも考えなかったためでした。 これも3階建のビルが横転し横向きになっています。 左側が屋上で屋上に施してある防水シートもめくれ上がっています。2階の室内にある什器類がひっくり返っているので描くのも苦労しました。

原因は何だろう? 津波のパワーのすごさもあるが、ビルを立てた時の基礎の工事が甘かったのではと推測した。 海岸だから砂地であることパイルを深く打ち込む必要があったのでは? そして横転したビルはパイルが細かったし浅かったようだ。 考えられないベタ基礎までありこれは横転しても致し方ない。 今後の震災に何か学んだだろうか?


これは気仙沼の火災の現場です。がれきの上に流れ着いた作業場か大きな骨組みの建物が斜めに止まっていました。 このあたりの火災も激しかったようです。


屋根は津波でなくなったのかそれとも火災かは定かではありませんがまえの柱の部分を見ると火災に会ったような気配ですね。 周囲が焼けているようで・・・・・


住宅地から流されて来たのだろうかがれきの斜面に止まってしまった住宅だろう。 新築後それほど経過していないような家屋だと見ています。手前の自動車も鉄骨も原型をとどめていません。


クレーンを積んだトラックも火災で丸焼けでした。 神戸淡路大震災の時は道路の整理が遅れたようで被災地に入るのにずいぶん時間がかかったと記憶していますが、今回の大震災では1ヶ月後にはほぼ被災地のどこにでも入るには時間がそれほどかからなかったことが良かったです。



大火の中心だろうか見る限り周囲も焼け焦がれていました。 火災でサビの出た鉄類がどこにでも転がっています。


ビルの階下が燃えその火炎で外壁に跡を残しその後2階3階と火災が広がったようです。 鉄筋の建物のためか運良く2階の右側の部屋は燃えなかったようです。


これらはその周辺にあった乗用車で内部のガソリンやエンジンオイル内装をもやしその後外装のペンキまでも引火して燃えたようだ。 燃えるモノは全て焼き尽くしていった。


2つ前の写真のビルの反対側で一階の住器は全部燃え何も残していない。 震災で火災になると自動車は類焼する原因となることは分かっていたのだがどうすることも出来ない現実だ。


神戸の大震災の時も長田町だったけ大きな火災に見舞われこんなシーンを見せていたと記憶しています。見渡す限り焼け野原でした。 気仙沼鹿折地区(ししおり)

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