2013年4月12日金曜日

雄勝のトリックアート博物館と2011年4月13日 気仙沼鹿折地区


このスケッチは南三陸町と女川の中間点にある雄勝の被災現場だ。ここも被災はひどく、目立ったものではこのトリックアートの博物館のそばのビルの屋上に観光バスが流れ付いて乗っていたことに驚かされた。 しかし、自分が行った昨年10月23日にはちょうどその観光バスが屋上から下ろされて敷地内にまだ止まっていたことだ。


これも気仙沼の火災現場と何も残らない火災の凄まじさを改めて記憶に焼き付けたいものだ。乗用車もトラックも同じがれきの中に埋もれて外形だけが目立っていた。 破砕は受けなかったようだ。


乗用車の塗装が残っていることはここまで火の手が来なかったようだが、その背景の建物はかなり強い火炎に焼かれたためか赤茶けた外壁を残している。


これもひどいシーンで、気仙沼の火災は車のエンジンとそのオイルやガソリンで簡単に完全燃焼して焼き尽くされた車の残骸だ。原型さえ残していない今回の気仙沼の火災あとだ。


中央の背景に大型のタンクが見えるがこれらが火災の最大の原因だと推測出来る。 津波でガレキが押し流されて来て、タンクは流出しなかったようだが、したに巡らせた給油のパイプ類はがれきで破壊され、内部の燃料が流出したのは想像できる。 その右にガスタンクもありどうだったのだろう?


運良く火災は免れた家屋だがどこまで津波に浸水されたことだろう。 気仙沼はヘドロがひどくどの家庭も浸水された家財道具は破棄されていたのを覚えている。


完全に焼け落ちた鉄骨のビルだがこれから元は何だったのかは想像できない。 地元の人しか分からにてこつしか残らない建物だ。


これは面白いシーンだ。先ほどのガスタンクがこのようなかたちで見えるなんて。 中心の球形のタンクが周囲の鉄骨を残して外に出るなんて想像できないシーンだ。 それを想像すると津波で浸水し配管の外れた球形のタンクが浮き上がり周囲の鉄骨以上に海水が球体を持ち上げそとに流出させたとしか想像できない。


道路の通行を可能にするために周囲にうず高く積み上げられたガレキ。そして背景にひときわ目立つ燃料タンクだろうか円筒形が見える。 当時はどうだったのだろうか?


車の被害は甚大でここ宮城県では被災した車が30万台とか40万台と言われている。原型を残さない車がいたるところに散在していた。


このような大きな住宅さえ、土台から引きちぎられ流されて考えられない姿で取り残されてしまった。

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