2013年4月22日月曜日

松崎地区の被災と 2011年4月15日気仙沼松崎地区

近頃ブログが中々アップできずご迷惑をかけています。
理由は忙しいこと。 大きな畑を動かしているので種から発芽させ、それを苗まで育て、ポットに移し替え大きく育て、その間環境になれさせ次に畑に移植するのを一人やっているので実に忙しいです。 その間庭の芝を乗用の芝刈り機で刈り、草を集めて腐葉土を作り庭の手入れ、樹木の手入れと面倒もやり選定や枝落とし等色々忙しい仕事をこなしています。 天気と雨の間をぬって、直に種を畑に植えたり、作った苗を畑に移植しています。 結果としてかなりの率で新しく今年から作り直した畑を消化しています。 ようやくジャガイモやゴボウその他の野菜も元気よく成長し始めています。 


これは南三陸町に入るまえの本吉町の海辺で、津波さえなければ海に一番近い宿泊施設だったようだ。 しかし2011年3月11日は最悪の日だったようだ。 この建物の傍にあった建物は土台を残して跡形もなく消えてしまい、この鉄筋コンクリートは3階まで津波に洗われ1階は壁が打ち抜かれ現在は土台を洗われ、毎日厳しい波に1階まで洗われている。 倒壊は時間の問題だろう。 自治体で解体をしてくれるだろうか?



この写真は気仙沼の松崎地区でガレキしか残っていないほど徹底的に潰されたようだ。 このあたりの津波のパワーはすごかった様子がこれらのシーンで理解できる。


小さな川面津波が楽に入り込みその川幅を軽くこす津波は左右に氾濫し街を壊滅させてしまった。引く波で川に氾濫した家屋やガレキが海に戻っていったが途中を一軒の家屋が塞ぎ流れを止めたようだ。


原型を全くとどめないタイアのサイズから軽自動車だとはすぐにわかるが、どこの会社のどの種類かは全くわからないほど、原型をとどめていない車が川で止まっていた。


がれきにはありとあらゆる生活用品の残骸がぶら下がっていた。 よくここまで粉々に破壊できたと感心するばかりだ。 奥まで何も残っていない街の跡だ。


これはJRの三陸鉄道でこの小さな川に架かった鉄橋だ水面から平常でもそれほど高くないので、津波が引くときにガレキはこの鉄道の鉄橋でストップしたようだ。


これも珍しいシーンで、この川幅一杯を一軒の家屋がすっぽりとはまり込み川の流れをせき止めてしまっていた。この家から山側は見渡す限りガレキに覆われ、川の中も瓦礫だらけだった。 反面家でせき止められた海側は川の中にほとんどガレキを見つけないほど、平常の川のように見えたのは不思議だった。

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