2012年3月28日水曜日

唐丹町の昨日


世界で第二番目に大きな防波堤(ギネスに登録されていた防波堤)現在世界一は普代村の防波堤だそうだ。

今朝は『大槌町でのお茶っこ』と干物の販売を大槌仮設住宅の三番と五番で実施。
雨が降るかな?と考え傘を用意し、あるだけをハイエースに積んで仮設住宅に移動。 時間の経過とともに雨に時々見舞われる。 計画通りに魚の販売は進行した。11時ごろには第三仮設住宅に移動して販売ができた。 第三仮設は住民も少なく、残りは第五に戻って販売した。
ほぼ完了し、ぐるっとおおつちのキチンカーが困っていたので麺を買いに行ってあげた。今日は新メニューでうどんを出したようだ。 今日のボランティアの学生さんにその『うどん』を御馳走した。 すべて完売で要望にこたえられなかった。
きょうの高校生たちいろいろ経験してくれたようだ。 昨夜の地震には参ったようだが・・・・・


唐丹町の漁港の作業場は二つとも津波に破壊され1年経った現在も手つかずの、復旧を見ていない。


世界一の堤防として登録された唐丹町の堤防だが繋いだ鉄筋も引きちぎれごらんのように積み木倒しの状態だ。 守られていたはずの集落は全滅した。


漁港に面した防波堤の壁面はご覧のように巨大にそびえている。


堤防の内部ままるで現代の神殿のようだ。 車2台が通過できそうな大きさだ。


津波に引きちぎられ、倒された巨大な防波堤はどう処理されるのだろう。 この大きさだから重量も相当ありそうで、地面に乗せるだけで津波を防御できると見て作られたものが基礎の作りに見られる。



唐丹町の瑞巖寺の集会所 内部 被災後手を付けていない現在の写真


庭から見た集会所の現状


津波で足を攫われ、しかし運良く屋根の被害を最小限に免れた鐘楼が復元されていた。


同様入口の屋根も津波にさらわれたが同じく屋根が無事で、つい先だって柱を新しく入れて復元された。 彫刻が少し破損したらしく、これも丁寧に復元されていた。


昭和八年の三陸沖地震の津波の記念碑で、この面に詳しく様子が記載されていた。 当時は三月三日の深夜2時頃で会ったようだ。 今回も津波が深夜に押しっていたらどれくらいの人々が犠牲になっただろうと考えた。


先日住職の方に読んでいただいただいたがじっくり読まないと難しい。

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