2013年8月25日日曜日

20110524  石巻港付近の住宅街被災1


クレーンの見えるところは石巻港だろう。 その前の住宅街はほぼ全滅だった運良く津波に耐えたおおきに住宅はこのように残ってはいるが、このあたりはたぶん海抜2、3mだろう。 太平洋から一気に押し寄せた津波は簡単に石巻市街地を飲み込んだ。クレーンのある方向が海側だ。


残されたたてものはたぶん鉄骨コンクリートの学校の体育館のようだ。 周囲の住宅は全て波に流されてしまった実に被害のひどい、稲佐山から見た右側の平地だ。


ご覧のように住宅街はほとんど何も残っていない全滅した地区だ。道路も通行はできるようになったが地盤沈下や排水出来ていないところでストップするところも目立っていた。松並木は川沿いか海沿いか定かではない。


ガレキもあまり残らない、壊された住宅は津波によって土台から外され内陸部に流されたのが多い。 その後引き波で海に引きずり込まれたものも多かったようだ。


大きな安定した住宅はそのような津波の中でも耐え抜いた。 ここでは破壊されている位置が津波の高さと推定するのが妥当だろう、1階の屋根を通り越し、2階の窓が少し壊れているところまで津波とがれきの高さだと推定できる。


この石巻は津波とヘドロが一体となり襲っているので家財道具はほとんど使うことが出来なかったと推測出来る。


自分達が入った5月ごろには快晴の日はヘドロが乾燥し、梅雨時はそれが水分を含み、悪臭とハエの発生源になっていた。 ヘドロは大日本製紙をはじめ、港周りの水産業その他の、肥料、飼料等が排出するものと、市民の生活排水が海水を汚し、その仕返しを受けたと、自分では考えている。


襲い春だが、海水に浸かった植物は、雑草を除いて多くの木々がダメージを受け、冬から春に向かっての目覚めが無かったと思う。


破壊された住宅街の中の空き地は雑草に覆われていたところが枯れてご覧のように変わっていた。手前の真っ黒な傾斜面は海から上がったヘドロだ。 これらが街中、20cmから30cmほど堆積していた。


奥は大型の漁船が丘に打ち上げられていたと思う。 手前は漁船や人々が使っていた乗用車が破壊され変形して取り残されていた。津波に耐えて残った住宅も海抜が低いため、再度生活する許可は出ないのではないだろうか。


港の手前はご覧のように津波で持ち上げられて大型の漁船や貨物船まで沢山陸の上に運ばれていた。自分が当時見た一番大きな船は5000tonほどの貨物船が岸壁に落ち上げられ、巨大クレーンがないと海に戻れないほどのモノを見た。

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