2011年11月16日水曜日

日曜日の南三陸町での仕事 これらの写真は以前に撮影したものです


日曜日の仕事はこの建物の前の被災地の整理でした。 前に見える建物は相変わらず屋根にガレキを乗せています。 ボランティアが建物の内部に入り整理もしていたようです。

南三陸町での日曜日の仕事は、他の地方と違い、被災地の現場をきれいにする仕事がかなり残っており、社共に行くと仕事はあるようだ。 
ベースを出て朝9時ごろにサポートセンターに集まり登録を済ませ待つこと3,40分10時には自分たちが持ってきた車で現場に入り、仕事をし始めた。 個人参加の人はたぶん南三陸町の車で同じ現場で仕事をした。 当日はたぶん200名以上のボランティアが参加し。大きなグループは観光バスで参加し、終了と同時に帰って行ったようです。 土曜日曜日はこのようなグループが沢山参加しています。 ただし平日はボランティアも激減していると感じています。
仕事の内容は重機できれいにされた住宅地に入り、コンクリートの土台の残った場所の整理と清掃、ガレキの撤去とその分別でした。5,6人グループで一軒の間取りが与えられそれをきれいにしました。工具が少ないのが難点だがそのあたりにあるものを利用してきれいしにしてゆきます。多くは軍手で、がれきを集め、ガラスや瀬戸物、金属の小さな物を拾い、地面を平らにして、コンクリートが打ってある土台は砂や土を除去して、完全にきれいにして完成です。2、3時間かかります。与えられる道具はスコップと1輪車くらいで、熊手も数えるほどしかありません。
しかし2,300人ほど入っているのでかなり仕事は進みます。 自分たちは4軒ほど仕上げました。『カリタスさん早くてきれいにしてくださいます』と喜ばれました。 今までのボランティアの方々の実績がものを言ってくれていました。 場所的には三陸町の海から2.300mの地点で、3軒のアパートのある近く、被災地に仮のコンビニのあるところでした。 まだまだこのような仕事をするのならいくらでも人手のいる場所です。
土を移動する仕事ですから結構力を使います。 以前に痛めた両腕はまだ治りきれない状態でまた力仕事をしたためにまた、悪化したようですが、仕方がありませんね。


残されたアパートの内部の現状です。


ひっきりなしに訪問者が訪れる南三陸町防災センターあとです。


解体の進んだ地区の地面はコンクリートの土台さえ見えなくなっていました。


中心部に残されたビル群ですが、すべて撤去されるのではと推測できます。奥に県立志津川病院が見えます。

ひどい破棄のパワーを感じるもので、強く作られたはずの鉄筋コンクリートも、津波の一瞬の力に破壊されてしまっています。


有名な南三陸町の防災センターの跡です。 訪問者が多く、みなさん何を感じておられるのでしょう?

土台を崩したところは完全に更地になり始めていずれは津波さえ忘れ去られるのかと考えると複雑です。

このアパートは海辺から100mほどのところですから完全に屋根まで水没し、ガレキが取り残されて現在もそのままですが、いずれはこの建物も解体だと考えられます。


この高さのビルの屋上ですから、ここは完全に水没したところです。


鉄筋コンクリートの建物の屋上に、取り残された乗用車はまだそのままです。


整理もされないままに集められたガレキの山で、これも重機が少しずつ整理をしてゆきます。


まだ解体の終わっていない鉄筋コンクリートの建物も津波で押し流されてきたものにより破壊されたコンクリートの壁面です。

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