2011年11月10日木曜日

11月現在一番遅れている場所は 陸前階上駅周辺のようだ


グーグルアースでも見られる 陸前階上駅周辺



現在一番取り残されている場所は気仙沼の少し手前の湾の先端のように感じた。
地図で示すなら駅で陸前階上駅近辺で、3月11日の当日を思い出させるシーンだろう。 海に近い部分はガレキも撤去が済んだようだが、その前の高校の校庭と校舎は実にひどいもので、全く手が入っていいないのはなぜだろう? 写真の上の地図は気仙沼港を示す位置で、この陸前階上から気仙沼までの町は壊滅状態で、被災の凄さがわかり、重機や働く人の少なさを感じる。


これはこの高等学校の前の校庭とその周辺が10月中旬でもこのようにガレキの山で本当に可哀そうだ。 なぜここだけ手が入らないのだろうか.



この校庭にはどこから押し流されたのだろうか?海側に向かって住宅の底部を完全にひっくり返した家が残されていたのにもびっくり。


ご覧のように校舎の3階まで津波が押し寄せ、その威力が完全に残されていた。 もっとも海から500m位しか離れていない不運さがこのような破壊をもたらしたのもうかがえる。


校舎のベランダを見ていただければお分かりのように、コンクリートさえ破壊する津波の威力の凄さに改めて驚かされ、今後はやはり高台にすべての家屋は作るべきだろうと痛感させられた。



ありとあらゆるガレキが押し流されてきて校舎にぶつかり、引き波に残された、現状だがこのような鉄の塊や鉄骨まで流されてきていたのにも驚きだ。


校庭に取り残されたガレキは今も撤去を望んでいるのだが、周囲はかなり整理され、ガレキもほとんど残っていないので、近々整理ができるのではと感じている。


このように巨大な岩石まで押し流されて来た現場は、一番遅れているのではと感じた。

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