2011年11月29日火曜日

20110311 の陸前高田を襲った津波の様子だ


陸前高田市を覆い尽くし始める津波が映像に残っていた。すでに川向こうの幼稚園も津波に襲われ、川は氾濫し、川を挟んだ両方の町は浸水し始めている様子だ。


このシーンはどれくらいの水深だろう、手前の川の防波堤を乗り越えた津波が市内を襲い始めている。まだ家屋は残っているのだが。その後手前も対岸の陸前高田市も壊滅してしまった。


手前の家屋は壊れる前の状態を残しているのだが、現在は土台の鉄筋コンクリートしか見ることができない。ガレキはすでに集積場に移動されている。


この写真では対岸の町の幼稚園の三角帽子の屋根の先端だけが残り、すでに1階は水没してしまっている。橋の欄干は流され、対岸の中心街はすでに水没し、津波の巻き上げる波や飛沫が町全体にたちこめている。 手前の町の中にも激流が流れ込んできた。
背景の7万本の松の木も現在は1本しか残っていないが、すでに枯れてしまっていたのは残念だ。


手前の気仙町に流れ込んできた津波が小さなガレキも押し流し町の中に侵入し始めたシーンも残されていた。


これは何時間後の写真だろう すでに3階の屋上にはガレキが残り白いビルの汚れから推測すると3階の窓の高さに津波の水が来たことを明快に物語っている。 左のビルのガレキは煙を出し始め火災の始まりか?


津波が引きはじめ川の中、海の中にガレキを引きずり込んでいるのが見える。 町の中の家屋が津波にもまれて粉々に破壊されガレキと化したものが町全体をカバーしている。


ガレキがまだ海水の上に散乱し、引き波で流れ始めているシーンだ。 山の入り江になったところにまずガレキが集まり始めている。


完全に破壊された陸前高田市の気仙地区で、海水はまだ1mほど残っているようだ。 鉄筋のビルは3階建てでその屋上までガレキが覆いかぶさっているのは完全に水没した証拠だ。
左の家は、現在自分がお付き合いしている陸前高田の宮大工さんの建てたばかりに家屋も流され、ここに流れ着いていた。 すでにこの家屋も解体されて現在は見ることさえできない。

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