2013年7月8日月曜日

塩竈から名取市に続く街道沿いは仙台湾から襲って来た津波に飲み込まれた。


このスケッチは石巻で仙台よりの住宅地、被災した住宅は数件しか残っておらず、重機が入って解体の最中で見られなくなるのは時間の問題で、今日(7月8日)は末になくなっているだろうと推測出来る。


この写真は多分仙台の多賀城市の仙台港付近で、ジャスコの看板が見えるところで、被災した自動車やその他の金属の解体屋さんが仕事場を設けており、仕事を始めていた。


このあたりも多賀城の仕事場多く仙台湾に沿って津波の被害を受けているところだ。 場所によっては高圧電線の鉄塔がいくつか津波の被害を受けて倒壊していた。


被災した仕事場だろうかそれとも被災後に設置された飯場だろうか?定かではない。 塩釜で仕事をしていた割には仙台湾に沿って、荒浜とか筒井とか名取市には中々行けなかった。


被災した乗用車は最初の頃はオーナーを探すためかあまり集積場に移動することはなかったので、道路やその近くで多くの被害を見ること出来た。


名取市に移動する途中で目撃した高圧鉄塔をリペアーするシーンはあまり見ることが出来ない、珍しい写真です。


大型トラックも被災して1年以上放置されていた。仙台市内は高層道路が津波を遮ったんらしく、道路のうちがわはほとんど被災を見ることは出来なかった。


これは仙台湾と国道45号線を繋ぐ縦の道で名取市まで仙台平野は大きく津波の被害を受けていた。


このあたりの平野部は津波が入り被害を大きく受けたところだ。


がれき置き場か、被災した現場か定かではないが、このあたりには、周囲で被災したガレキがっ集積場として集められ、また仕事の出来る企業はガレキの中から鉄くずの整理をし始めていた。


このようなビルも被災して1階は大きく津波にやられ、仙台港の周辺には乗用車の集積場があり、震災当日は新品の乗用車が多く津波に流されたようだ。


乗用車もご覧のようにスクラップになり道路の周辺に放置されていた。道路の突き当りには、仙台港から積み降ろしたり、積み込んだりするトラックターミナルや大型の倉庫がたくさんあり、多くは被災してしまった。


震災後はこのようなシーンが多く、全国から集められた重機が被災地に送られてきたが、あまりにも被災地が大きく、重機は全く足りない状態が続いた。

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