2013年7月3日水曜日

2012年10月24日の石巻南浜町 と0110414 塩竈市内


このスケッチは石巻の南浜町、数少なくなった被災した民家が昨年10月にはほんの数軒取り残され、周囲では重機が活躍し解体を進めていた。新興住宅では今回の津波で津波が家を洗うとコーナーに当たると隅の柱を引きちぎられる家が目立った。



写真は震災の2011年4月14日の塩釜で撮影した、被災直後の市内で、津波は入り込んでいるが倒壊した建物は比較的少なかったと記憶している。 自分が塩釜のベースに入ったのは5月5日で、この時点では全くそのような予定は無かった。 多分気仙沼から引き上げるとき撮影したものだと記憶している。 上の高架はJRの仙石線の高架で仙台から松島まで電車は動いていた。
この場所は塩釜の市内で津波はこのあたりで1階の鴨居くらいが海水に浸かっていた。


1階は津波が押し寄せており、港はここから200m程のところで津波の侵入は比較的穏やかだったようで、市内はそれほど倒壊した建物を見ることは無かった。 松島湾の島々が津波を弱くしたとその後の情報で知った。


コンクリートの建物はブルーシートがかけられているのは津波とヘドロが入って家財道具を汚したのが、放棄する原因。 そして港が大きいほどヘドロの量が変わって来ると、その後知った。 しかし、ボランティアを始めた頃は、民家や商店、小さな企業のお手伝いをしたが、多くはヘドロの掻き出し、ヘドロの洗浄が多かった。


塩釜の港近くは地盤沈下や、液状化現象だろうか?ビルのあいだにギャップができたり、曲がったり、道路の凹凸が目立っていた。


商店街はご覧の用に被災し、多くの住民の方々は学校や自治体の避難所で生活されていた。時々戻って来て家財の整理をされたり、大変な時期だった。 ボランティアがあることをあまり知らない人が多かった。


これは街の中のレストランで、その後お手伝いをしましょうか?と声かけした一軒であるが、自分のいる11月まではお手伝いすることは無かった。


震災以前に塩釜まできたことがあり、ここから遊覧船で仙台湾を遊覧したことを覚えている。 これは塩釜港で遊覧船の船着場。 まだ定期便は再開されていないと思う。 アスファルトを敷いた歩道や駐車場だがご覧のように舗装はめくれ、津波が押し寄せ多分逆巻いたことが原因のようだ。


まえの建物はマリンゲートでここも1階までは津波の被害を受けたが6月頃は再開して、遊覧船も動き始めていた。


右側に大きなスパーマーケットのマックスヴァリューが再開したのは住民の方々にかなり貢献していたようだ。 ボランティアの人々も買い物によく行った。


四月の頭はこのような港の状態で、ガレキの移動に追われて、多くの人が何から手をつけて良いのか途方に暮れていたと思う。

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