2013年3月7日木曜日

陸前高田の希望の一本松が帰って来た。 そして11年4月12日の陸前高田


上のスケッチは昨年10月に描いたものだが、それ以降、この『希望の一本松』は切断され、記念としてモニュメント化するために手を入れるために撤去されていたが、昨日インターネットのニュースで復元され、陸前高田の松葉レに帰って来て元の位置に戻す作業が進行していたようだ。


これはインターネットのニュースで配信されていた小さな写真を少し大きく見やすく加工させていただいた。 クレームが来なければ良いが。 陸前高田の気仙川、水門の近くをご存知の方は、このように一本松が戻ってきたことを知ってください。 そろそろ2年となりますね。
しっかりしたコンセプトで若者が働ける新しい街を作って欲しいが、そんなセンスのある人があるだろうか? 大変心配だ。 東北の太平洋側が生まれ変わる絶好のチャンスなのに・・・・・

4月頃の陸前高田の写真があるかな?調べてみよう。
見つけました。 これらの写真は11年4月12日に撮影したら陸前高田市街です。


これはわかりますか体育館のフロアーです。 ひどいものでこの写真の後ろから、津波が押し込み
中を攪拌し中の資材等をミックスして、津波は威力をまし後ろのステージと壁を打ち壊し外側に出て行ったようだ。


これは壁を打ち抜かれた壁は前に押し流され現在のように散乱している。 体育館の天井は壊れ全ての配線が垂れ下がり、全く再生が出来るような雰囲気ではなく、現在は全て解体されてしまったようだ。


この建物は図書館の一部かこの付近にあった建物だと記憶しています。


これは高田松原の近くにあるアパートか、何かの施設か定かではないが屋根まで津波が押し寄せていました。


陸前高田の中心に近い、高田高等学校の近くの体育館で、壁が完全に打ち抜かれ、一気に津波が入り威力をまし、一気に壁を壊して行ったようだ。


考えられないがご覧のように乗用車が体育館のフロアーの中心に横転して取り残されていた。


これは壊れた外壁の一部で一気に壊れたようだ。 白い線は普通に使われていると体育館を取り囲む敷地の駐車場のようだ。


これが11年の4月12日の希望の一本松です。 この時はまだ緑の葉が残っていたのだが、何しろこの松の根元が陥没し海水が長期間に溜まっていたと思われる。 早めに排水できれば、生き残ったかも知れないが、その当時はこの松のために配慮出来る人は一人もいなかったと思われる。


これは高田松原のユースホステルの建物でご覧のように左側が地震で地盤沈下を起し上の建物の重さで建物が折れたようだ。


これもひどい結果で、陸前高田高等学校の体育館で屋根まで完全に海水、津波に覆われたようだ。 後ろの白い校舎も3階まで津波が押し込み破壊してしまった。


これは陸前高田の川のこちら側で気仙地区に残った鉄筋のビルだがここも壊滅的でほとんど残った建物は無かった。


その完全に破壊された気仙地区のガレキの中にオレンジのトラクターが目立っていた。

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