2013年3月2日土曜日

気仙沼の住宅と南三陸町の4月9日


この住宅は3階建てらしい1階は駐車場か?2階、3階が住宅で津波は2階まで押し寄せてきた証拠が残っていた。 3階は無傷で残っているが。海からかなり離れているために、完全な倒壊は免れたようだが、結果的にはこれも解体だろう。
津波によって押し流されてきた、ガレキ類が一緒に住宅やそれらの付属のものを破壊していったようだ。


これは南三陸町の役場だったかな? この街も津波だ完全に破壊された町で、少し小高いところにあった役場でさえご覧のようにガレキの集積場ののうな様子を見せていた。 これは多分4月9日に撮影したもので、まだ整理など出来る心境では無かったようだ。


これらの写真は南三陸町に始めて入った時の写真で被災した場所をただ記録しておこうと、心の余裕さえ全くなく、時間もほとんど無かった思う。


この南三陸町は3階建てのビルの屋上までガレキが乗っていたので、海水が10m以上は押し寄せて来て海に向かって左側から津波が押し寄せ、それが山によってせき止められ、国道を覆い尽くし海水が海に向かって戻り、同時に海から来た津波と合流してこちら側の街を破壊していった。


これは高台にある南三陸高等学校の前にある鉄筋のマンション、あるいはアパートの建物で3回建てだがご覧のように屋上までガレキが残されていた。 周囲には家屋がほとんど残っていなかった。


これは国道に沿って流れる小さな川で南三陸町に流れ込んでいる。 ここも津波の進路で、多分この川と国道は簡単に津波が遡上していった所だ。 ここから800m程のところに市庁舎があった。


ここは大きな建物が残り、スーパーや南三陸町病院、ガソリンスタンド等が津波に耐えて残っていたが、ほとんど解体されたと推測出来る。 正面の6階建ては海のそばで津波避難ビルに指定されていたが、津波は4、5階まで侵入していた。


全てガレキと化していた南三陸町。 中央の平屋の家屋はどこからか津波に押し流されてここに流れ着いたものだと思う。


これは海沿いの国道45号線かな? 奥にゆくとあと1本の川が流れているのだが津波で橋が押し流され、復旧を急いでいた。 4月はこの先でバスはUターンすることになった。


鉄骨コンクリートの大半の建物はご覧のように外壁は全て剥ぎ取られ骨組みしか残らない建築であった。 多分多くの人が鉄筋コンクリートと鉄骨コンクリートの差を知ったと思う。


津波の威力は凄まじく、ご覧の用に自動車もがれきの中に積み重なって手の付けられないシーンとなっていた。


この建物は南三陸町の防災センターで4月はまだ幾分外壁が残っていたが、ガレキが纏わり付いたりしていた。 多くの職員の方がここで尊い人命を落とされた。 放送をしながら殉職された若い女子職員の方を心に刻もうと多くの人々がその後このセンターを訪れる、とととなった。

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