2013年1月22日火曜日

大船渡の被災ヨットと震災1ヶ月後の気仙沼港


大船渡で津波により被害を受けたヨットが港のすぐそばの空き地に保管されていた。 ヨットは船底に大きなバランサーを持っているのでそれを壊さないためか。高い台の上で固定して陸上で保管するようだが、震災後はこれらヨットを使う雰囲気がまだないために、あるいはオーナーがどのようになられたか判断もできず、保管されていた。

これらの写真は2011年4月5日ごらから東北特に気仙沼に最初のボランティアで入った時、ボランテイアの仕事が始まらない早朝の6時頃気仙沼港に行ショックを受けながら、撮影した写真です。



平常ならば観光船が発着する港の一部だが、特に遠洋漁業の大型の船が、3月11日当日に3日間ほど火災に見舞われ、洋上に停泊していたこれらの漁船を含め多くの物が焼け出され、ここの港には焼けた漁船が係留されていた。


 対岸は小さな船のドックだろうかクレーンや船台に入っていた船が横転したりしているのを目の当たりに見てショックを受けた。


港のコンクリートの打ち上げられていた大型の遠洋漁船で、其処にいた船乗りさんに聞いたら、これは燃えていないし、損傷が少ないので海に戻され、使えるだろうと話してくれた。 船底には4000L程の重油が入っているので、これも売れるだろうと話していたのが印象的だった。


最新のプリウスもご覧のように地震と津波で倒壊した家の屋根の下敷になってしまい、哀れな姿を見せていた。 話だと宮城県の車の被災は30~40万台が使えなくなった伺った。


この漁船も先端が焼けてしまい、使えるかどうかは定かではない。 話してくれた乗組員は、機関室を焼いてしまった船は使えないから、スクラップか魚の魚醤として海底に沈めることになるだろうと話してくれた。


船着場のコンクリートはめくれ上がり、周囲はまだガレキが山と散乱していた。 特にこの漁港んぽ前にあったガソリンスタンドはがれきの山がスペースに集まっていた。


真っ黒焦げになった漁船が何台も係留されていて、気仙沼の火災の凄まじさを見せつけられた。
昨年10月に寄ったときは観光船も就航していたようだ。


打ち上げられた大型漁船は余震で横転しないように支えがつけられ、自分たちも十分に接近することができた。 舵とスクリューだけだ2m程の高さがあったと思う。


津波が来た時に戦隊の左後ろに何かがぶつかって、損傷したのだろうか、それとも自分でぶつかった、壊れたのだろうか、これだけの船体の鉄板が曲がる力の凄さを感じたものだ。


コンクリートの岸壁や道路も津波でめくれ上がり、ようやく自動車が通行できる状態が出来上がっていた。 先の魚市場も地盤沈下が激しく、周囲は水が溜まっているところが多かったと記憶している。


地元の写真家だろうか、早朝から三脚持参で写真をとっていた。このあたりはほとんどが火災にあった大型漁船が係留されており、 市場の近くは震災後に寄港した漁船が綺麗な状態で係留されていたのに、そのギャップを感じさせられた。

ちなみに今日中津は久しぶりに雨が降り、外での仕事はほとんで出来なかった。

0 件のコメント:

コメントを投稿