2012年6月16日土曜日

江岸寺のお墓とその周辺の除草をしました


20120311に建立した震災の供養塔。 この柱は周囲は三日三晩火災で周囲が焼けその時に焼けた樹木を切り倒し1周年記念で建てた塔です。


この緑の中に黒く残された切り株が前の写真の供養塔になった親木で現在もお墓の敷地の中に残されています。

今朝のボランティアの仕事はいつもの『お茶っこ』と社協から降りてくる仕事で、昨日と同様自分たちのベースの正面のお寺、江岸寺さんのお墓とその参道の雑草取りがが仕事だった。
自分たちカリタスのボランティアが行った時には既に50名ほどのボランティアさんたちが集合していた。 昨日jから気がついていたのは3週間ほど前に入った観光バスがいて、ナンバーが長野県だったので、上田市では?と考えていたら、今朝グループで参加されていたのがやはり上田市の名前の入ったボランティアさん方で一緒に墓の除草をすることになった。
最初にそこの江岸寺の住職の方が挨拶をされ、震災の説明と父親が亡くなりまだ見つかっていないこと、等を説明された。


今朝の最初のボランティアさんがたは供養塔に向かって津波と火災で亡くなられた方々の冥福を祈りました。


この江岸寺の住職の方からの説明とその後の副住職の方の説明で当時の様子を改めて知ることができました。


これは副住職の方の当時の江岸寺の敷地と鐘楼の説明がボランティアの方々に説明をしてくださいました。 5,60人のボランティアの方々が入ったのでたぶん期待以上に仕事が進んだと思います。 前の仕事よりきれいにできていたことも大いに喜ばれました。


できるだけお墓の隅々まで心を入れてボランティアの方々は仕事をしておられました。 私どもカトリックの信徒も修道者も関係なく困っている方々のために奉仕をしております。


お墓の持ち主や檀家の方々は被災地を離れて県外に多くの方がでてしまい、毎年だと檀家さん方が共同で墓地をきれいにしていたのに現在はこれができず、ボランティアの方々にお願いしたそうです。


副住職のかたが率先して草刈り機を操作していらしたのでボランティアの方々も、しっかり働かなければと、頑張っていたようです。


他の団体のボランティアさん方と交流しながら清掃をしていました。 自分の話した若者は昨年1年間宮古市を中心にボランティアをしたのだが、貯金を全部使い果たしたので、今は横浜で働いていますと話していました。 自分の税金と生活費を稼ぐために・・・・・


お墓から見下ろした大槌町の被災地の一部です。 右側の茶色い建物が旧大槌町ふれあいセンターでその前に長崎ベースがあります。


時間が経過するごとに墓地がきれいになった行きました。 人数が多く、志が同じだと何を言われることなく全員が素直な心で仕事をしていたと思います。


個人のお墓の隅から隅まで綺麗にしようと、努力をしていました。


一番上の山の部分も綺麗に草刈機で除草し、その後釜をもったボランティアさんが霧損なったところを切って綺麗にしました。 自分も午前中はこのような仕事を主にしていました。


切り落とした雑草が墓の中に入ってしまったところはその後他の人が中をきれいにするときに移動してくれました。 どんどん仕事もはかどりました。

明日も同じ仕事があるようですが天候が雨気味でどうなることでしょう。

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