2012年6月15日金曜日

今朝は安渡地区の大徳院の除草がボランティアの仕事だった。



自分のブログを読んでいただいている方、大変ありがたく思っております。 ありがとうございます。 塩釜以来記述しており、現在は岩手県の大槌町の被災地の真ん中におります。 周囲は土台しか無く、復興はほとんど見えておりません。 大槌町のYouTubeが出ているようで3Dの映像が見えていますが、アイディアに乏しく、考える人がいないことを痛切に感じています。
この被災地に若者をとどめるための仕事を創出をしなければ、東北地方の沿岸部は高齢者しか残る人はいなくなるのではと心配しています。
今日は社共から仕事がはいり、吉里吉里海岸の清掃かと思っていたらカリタスジャパンは別仕事で安渡地区の大徳院(お寺の斜面の草取り)が入り自分とボランティアスタッフの若者2人が派遣され、10時から別のグループと合流して仕事をする予定だったのが、相手のキャンセルにあい、結局、社共の責任者と自分と中垣君との3名で仕事をする羽目になった。


この安渡の壊滅した被災地の奥にある大徳院のお墓が周囲にたくさんあった。 大徳院自体は高台にあったので被災はしなかった。大徳院は写真の右手にある。


右側に安渡から寺にあがる階段の傾斜の雑草を払い、次は大きな寺の安渡地区に向かった斜面の雑草を払うことが今日のボランティアの仕事だ。


この角度から見ると斜面はそれほど急には見えないが、目測でも45ど位はあるだろう。 斜面はコンクリートのブロックで固められ、その隙間に斜面の崩壊を防ぐ草が植えられてそれが伸びきっているのを手をいれることが目的だ。


ご覧のように長い草で覆われた斜面は立って仕事をするのが難しかった。 それでもなんとか草を握りながらでも鎌で切ってゆくし、今朝はそれほど熱くなかったのだが、日が昇につれ、窯できる作業でもかなり汗ばんだ。


ここの大徳院の管理をやっていた女性は20年ほど面倒を見ていたのだが、高齢化して腰を痛め仕事が思うようにできなくなったのでボランティアに仕事を申し込んだようだ。 お話をすることはできた。 後ろの家屋は仮設住宅で屋根が尖っているのはこの仮設住宅だけのようだ。 社協の方が教えてくださった。


そのだ課題から見下ろした安渡地区の写真だ。 左の斜面はJR山田線の残った線路部分だ。 街を跨いだ高架部は部は津波ですべて流され機能を全く果たすことができなくなっている。


高架部の線路を落としてしまった高台から見下ろした安渡地区とガレキの集積場だ。 右奥の建物は地域ふれあいセンターだ。 大槌町の長崎ベース方面を見たところだ。


大徳院の入口をしたから見上げた写真だ。 あまり見かけない寺社建築のようだ。 被災当日は被害を受けなかったので安渡の住民の避難場所になったようだ。 当時は100名ほどの住民が8月まで共同生活を送られたらしい。


これは最終的に終わっていない斜面の雑草を鎌で切った後だが、最後の仕事が手間取った。問題は熊手が1,2本あると簡単に最後の仕上げができたのだが、社共にないということ自体もんだだろう。 ボランティアが来ていろいろな仕事をする上で必要なものは用意をしてほしいものだ。


ほぼ切り終えた雑草の斜面が見違えるほどyほくなり、この位の大きさでも3人で一生懸命に仕事をすれば、時間内に仕事が完了できるのがわかった。


右側の赤のカッパを着ているのが大槌社協の佐々木さんとカリタスジャパンの中垣君と撮影した自分だ。 これで除草した斜面の大きさもこの写真でおおよその推測ができるだろう。


しいて言えば、除草をするためのエンジン付きの草刈り機が数台あってもよさそうだが。

目がもう限界かな二重に見えて修正ができません。 ミスはお許しを。


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