2012年9月6日木曜日

仙台から気仙沼へ 国道45号線北上


これはどのあたりだろう?国道を走っていると気仙沼までは海沿いを走るので右側は海があり、そのために津波が入って被害を出している部分だ。
少しづつ気仙沼に近づいている。 この段階で入れなかった市街地は陸前高田で気仙川の大橋が2本とも崩落していたので、この中心街に入ることは難しかったと記憶している。
ここも空地だろうかガレキが流れ着き電柱まで押し流されてきたようだ。


高田付近まで津波が押し寄せてきたらしく斜面の土砂がむき出しになり周囲にはガレキの一部が流されてきたようだ。


ご覧のように鉄筋コンクリートの電柱もたくさんの被害を受け折れ曲がったり、このように完全に折れて切断されガレキとともに押し流されて散乱していた。


この写真では分からないが水田か畑かは分からないが完全に押し流され荒廃したシーンを作り出していた。 原状回復にはどれくらいかかるのだろう?


被災当日のテレビのシーンを思い出す方もおられるでしょう。これは畑の中に押し込んできた津波が温室を嘗め尽くすシーンだ。 黒い津波が白いビニールハウスを襲ってゆくと、最後はこのようにグニャグニャ に折れ曲がった温室の残骸がどこかに取り残されていました。


これが折れ曲がったビニールハウスの残骸です。 国道すぐそばに流され、取り残された津波の傷跡でした。


この近辺にあったビニールハウスはみなこのように津波に押しつぶされ、完全に使えなくなってしまったスクラップです。


ビニールハウスが一瞬にして潰されてしまった横に街路灯が同様に押し曲がって倒れていた。


被災した集落の中、生き残った住宅に地震の震動が原因だろうか、屋根瓦を落とされた家では瓦を乗せているシーンを見た。この時期は大工さんやインテリア、瓦やさん達を見つけるのは至難な業であったようだ。


ここは大きな倉庫か作業場だろうか? 内部にあった被災して品々が外の空き地に山積みになっていた。これらを回収するのにずいぶん期間を必要とするでしょう。


どこでもガレキが散乱し、津波のひどさを見せつけていた。 震災後わずか1か月、復旧は見られませんね。1年半経過した現在、がれき撤去がようやく終息に近づいていますが・・・・


右側から襲ってきた津波は歩道のフェンスか、敷地の垣根か分からないが左側に押しつぶいて行ったシーンが残されていました。 きれいな住宅も遠慮することなく左から1階に侵入した結果を見せています。


ここは気仙沼に近い隣町近辺だろうか、ここにも温室が折れ曲がりスクラップのように取り残されていた。 奥には津波の侵入したガレキが累々と散乱している。


この市街地は、今日の目的地である気仙沼市で、階上の横断歩道橋の前にバスは到着したようだ。


気仙沼の市街地も津波の入った低いところは1階の何メートルまで入り込んだのだろう? ガソリンスタンド同様被災をしていました。


ガソリンスタンドは開口部が大きく流れ込んだガレキは遠慮なく店舗を破壊し、がれきを残して行った。 津波は地下の貯蔵タンクをどうしたのか? 定かではないが、海水が浸入した給油機は完全に使えなくなってしまったようだ

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