2012年1月24日火曜日

陸前高田市、大船渡に近い町

先日訪れた陸前高田市1

太平洋に面した町で防波堤や岬が少なく比較的太平洋に向かって大きく口を開いた町で危険を今だから感じる場所。
被災地の片付けは比較的進行している地区だろう。
コンクリートの土台がかなり消え始め、更地が広がっている。
海に面した部分は地盤沈下が激しく、市民球場は今も海に沈み、観客席が残って周囲の照明塔が球技場跡を見せている。 
太平洋に面してはコンクリートの建物が目立つが取り壊しが残り、ガレキの山の整理、コンクリートのリサイクルに力を出しているようだ。
千昌男が投資した海に面したホテルは下が津波に壊滅され、いずれは取り壊しのようだ。
被災した高校の体育館もその後の重さに耐えかねて1階の鉄筋がつぶれたようだ。




川を挟んだ気仙町の対岸、陸前高田市瓦礫の山がいたるところに出来、さらに土台が無くなり、更地が広がり始めた印象だ。


ガレキの集まったところには作業用の自動車が集中していた。 これは中央部でここの進行が早いようだ。



これは市営球場だろうか、完全に地盤沈下しグラウンド部分が水没し観覧席が残され、水上都市の球場のような感じがした。


この部分も海に面したところでご覧のように水没して左側は石や土嚢を積んで海水の流入を防いでいる。 この奥にさらに高い堤防を作り始めたようで、その後はまた水抜きして土地をあげ再度使用する気配がしている。


この海水が入っている部分は以前は多分陸地を造成し公園のように使われていたようだが、現在は完全に海水が入ってしまい取り残されている。


話に聞くところだと、歌手の千昌男の投資したホテル『1000』といわれる海にもっとも近いホテルだが震災以来使われている、復興に向かっいる気配は全く無い。解体を待っている模様だ。


海面とほぼ同じ高さ、海抜0メートル地帯だろう。 ビルの屋上には震災のときのガレキがまだ取り残されている。


右側は国道45号線が走りその右手は山に向かって住宅街であったのだが、震災後は何も残っていない更地だ。


多分この学校は甲子園に出場した経験のある学校だと思う。 その記念碑が校門脇にあった記憶がある。 津波はここにも押し寄せ右側の体育館を壊し以前はまだ立っていたと記憶していたのだが、現在は上の重さに耐えかね、押しつぶされたように見えた。


左側には実験室や講堂があったようだが、津波に押し流されたガレキがこちらに向かった押し寄せてきたので、この辺りにガレキが集中して残っていたと記憶している。


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