2013年5月9日木曜日

南三陸町の防災センターと気仙沼松崎地区の被災


このスケッチは南三陸町の防災庁舎です。現在も多分残っていると思います。 解体か後世のために参考となるから保存したいと意見が二分しているようです。
3階に放送設備が有り震災当日、津波が来るから早く逃げるように緊急放送を若い市の職員が予備fかけている最中に津波が押し寄せ3階まで津波が押し寄せアンテナによじ登った職員もいたそうです。 多くの死者をここで出しました。
今も全国から来た方々が必ず訪問し祈りを捧げています。 今回の被災のシンボル的な建物です。


国道45号線は今回の東日本大震災の中心を走り、重要な交通路となっており、4月5月はこのようにガレキが道路から排除され左右に積まれていました。 そんな中で重機を持った人々が先ず行動を起こしていましたが、実に少なかったです。


松崎地区の真ん中を流れている小さな川で海に注ぐ部分でガレキがあふれています。ガレキは橋や水門で止められ海に流されなかったガレキが山積みとなった防波堤周辺です。


松崎地区は鉄筋の建物を除いてほぼ壊滅状態でした。リヤス式海岸で太平洋に口を開いていませんが、津波の高さろ量のけた違いの大きさのために小さな湾の入口でも一気に津波が押し込んで来て破壊していったようです。


これは何の機械でしょう?フォークリフトや色々な機械が津波のあとのガレキの中に取り残されていました。 右の赤いドラム缶は何でしょう?危険信号?


残された建造物も津波に晒され外壁はベコベコになっていました。重機も関係なく流され被災し、使えなくなってしまいました。


上は何でしょう? コンクリートの土台かな? コンクリートと床しか残っていません。


大きな川も、小さな川も津波の侵入を助け入り込み易くなっていましたね。 その近くにある建造物は大きなダメージを受けてしまいました。


見渡す限り、高台までガレキに覆われ、高台で津波は止まり、高台に沿って災害を広げてゆきました。 何も残っていません。


広い被災地の中で目立つのは取り残されたように津波に流されなかった鉄筋の建物でした。 窓が少ないことは倉庫かな?


津波の押し寄せた高台の底部にあった建物か?津波に洗われ、地盤をえぐられたその上の住宅はご覧のように倒壊していました。


先ほどの土台と床を残して上の建造物がなくなった現場には、軽自動車が流されてきたようです。


津波が押し寄せた高台の麓には自動車もたくさん流されたようです。高台の土のむきだしたところは津波が押し寄せ洗って行ったようです。斜面にガレキや色々なものが取り残されました。

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