2012年10月1日月曜日

台風一過皆様いかがお過ごしですか。 まだ暑いですね。


昨日はUPが遅れてすみませんでした。 
前の日から四日市に子供たちを連れて行っていましたので。 翌日、帰る頃は、台風が接近していたので、12時頃に四日市を出て乗用車で慌てて浜松に戻りました。
途中ひどい雨が時折殴りつけて降りかかり、心配しましたが愛知県上陸前に帰り着くことができたのがよかった。
昨年の被災地を襲った台風に似ていましたね。
周囲の農家の方々心配していましたが、少し被害が出ました。 左の温室、ビニールが破れてしまいまた張替えの必要があるようで、可愛そうです。
中ではかぼちゃを作っていましたがそれの被害は思った以上にひどくなく、それがすこしよかったかな?くらいです。
ここは浜松の司牧センターで、現在私は左の温室がセンターの庭で、この芝をハサミで刈っています。 結構重労働ですよ。


この写真は先日の台風とは関係なく、震災後一ヶ月の気仙沼の港にゆく前のシーンです。
買ってそれほど経過していないような車も、これで使えなくなってしまいましたね。


壊れてもしかたがないような年季のはいった建物でした。 今回の津波でご覧のように、粉々になった、日本の木造建築のがれきです。よくこんな小さく砕いてくれたと感心です。


古い家屋の津波後の結果です。 やはりボランティアでお手伝いした家は、お金持ちの家が残り、貧乏な方は、輪をかけて被災をされたと感じています。 上等な材料を使えなかった家屋は多くが被災したと痛切に感じてきました。


どうして、お金持ちの方の家屋を手伝わなければならないの?と疑問を持ちながら、ボランティアを当初はしたものでした。 左の家の外壁見てください、途端張りでかなりサビが入っていますね。


このような家屋はやはりあっという間に破壊されています。 これはよく残ったと思いますが、使うことは全く不可能ですね。 これは気仙沼の高台の下位に位置した狭い路地の建造物でした。


ご覧下さい、こんなに粉々になった日本建築の残骸です。 多分これだけ気仙沼は建造物が古くなっていたのだなーとこの写真を見て感じます。 このがれきの中に新しそうな材料はあまり見えません。


この建築の柱を見てください細いですね。 この惨状を見るとこのあたりは街を作り変える時代に来ていたのではと感じています。 釜石の街の中の鉄筋のビルでさえ古いなーと感じていました。


失礼ですが、壊れても仕方がなかったたてものだと感じますが、すごいですね。 ただ被災地で新しいなと感じた日本の現代建築、 ひどい作りだなーといつも感じたボランティアの期間でした。 
被災地をあまり外国の方々に見せたくないと感じたくらいですから。 理由は上の建物と同じく、細い柱で薄い壁、例えばレンガ造り風、プリントレンガ、外壁の厚さ20mmくらい。 津波で一気に打ち破られますね。


流れ着いた軽自動車だろうか?うまく空間に入り込んだものだ。 後ろの白い袋は、ヘドロをいれた土のう袋で、当時この袋が見つからず苦労したものでした。


このように薄い外壁、細い柱で作った人が住む家屋、壊してみないと分からない貧乏な建物、今後はもっとしっかりした住宅を作ってもらえるのだろうか?と心配だ。


ご覧のように、現代建築よりもっと悪い、トタンの外壁、トタンぶきの屋根、雪の降る気仙沼、東北の人々、お金をかけてしっかりした住宅を作れなかったのだと、感じています。




せっかくの自分の大切な財産である乗用車もご覧のような無残な姿に、1時間後くらいにはこんな格好に変身してしまった。大津波の爪痕。



がれきの後ろの黄色い建物、これが日本の住宅建築です。見るだけで恥ずかいいです。 穴があくと分かってしまうひどい建築。コンクリート風だが実は紙を敷いた上に薄い外壁を貼り付けただけの建築。 この機会に建築業界、改心するだろうか? 哀れな自分たちを恥をいたるところでされしていたが・・・・。 電柱もご覧のようにボッキリでした。 脆さをさらけ出していましたね。



街の中で腹を見せている漁船。 びっくりだ。
好き好でがれきを乗せた訳ではないのだが・・・・

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