2012年10月2日火曜日

2011年4月の南三陸町の惨状


司牧センターの前庭です。
左側は芝生が1年半でよく伸び長さが25センチ程に伸び、結構この芝を刈り上げるのは大変でした。今朝その切った芝を90Lのプラスティック袋にいれて見ると10袋位になりびっくりしています。
おかげで、綺麗になりました。
左の茶色の部分はほぼ根まで切り込んだので、この芝がが揃うには1ヶ月ほどかかるかもしれません。
まだ右側に半分残っていますがこれは成長が少し悪いので、時間はそれほどかからないかもしれません。


この芝の中には樹木が少し植樹してあるのですが、前回の台風と今回の台風で痛めつけられています。 海が近いので潮風が吹き付け、周囲の樹木を枯らしてしまいました。


今回の台風で同じく潮風が入ったらしいので、昨日から真水を散水して塩を流しています。 成功するかどうかはわかりませんが、成功することを願って散水しました。 今日の午後にも用心のために散水して葉と樹木にかけて塩を流しました。


上に見えるのが90Lのプラスティック袋に入れた芝です。 これをどこで処理しようか思案中です。 あまり周囲に迷惑をかけたくないので考えています。


これは気仙沼から最初のボランティアを終わり帰るときに少し寄った南三陸町の写真です。 津波が街の中に押し込み高台から山の裾野に植林した杉林までガレキが押し込み凄い状態でした。


高台の裾野にある民家まで津波が入り斜面を壊し、ガレキが入っているところまで津波が押し込んで来たところです。 この民家にも津波が押し込み玄関か窓か定かではないが室内まで外壁を破壊して侵入していました。


高くコンクリートで作った土台だけ残して上の家屋は完全に破壊され、どこから流れ着いたか、ガレキが散乱していました。 奥は多分南三陸町の役場だと思います。


コンクリートのしっかりした建物を残しあとはほぼ全部破壊された南三陸町です。


周囲はご覧のように、ガレキが散乱した被災現場です。


どこを見ても粉々になった、がれきの散乱した被災現場はどのように復興したら良いのだろうと考えながら、被災地を見て回った。


ガレキの山の後ろに見えるのは老人ホームの建物でこれは高台にあるのだがこの1階まで津波が侵入した形跡が残っていた。


これは南三陸町の中心付近だと思います。左後ろにある大きな建物は県立南三陸町病院の近くだと思います。


高台の近辺で、ご覧のようにガレキが散乱し人家はほとんど残っておらず、南三陸町は壊滅的なダメージを受けた、現在の南三陸町はどのように変化したのだろうと考えています。


上の写真は3階建のアパートだが、驚くことに屋上にガレキがたくさん残っていた。 これは津波が完全にこのアパートの屋上を覆ってしまった、証拠だが被災のひどさ、津波の規模に驚かされていた。


遠景に小さく見えるビルだが、周囲には全く何も残っていない、南三陸町の被災現場だ。
どうしてこんなにガレキが粉々になってしまったのだろう。津波のパワーに改めて驚異を感じない訳ではなかった。

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