2011年12月1日木曜日

20111122日撮影 陸前高田の現在


日本100景で選定された陸前高田の松林7万本はこの津波でわずか1本残され、市民の希望の松として、一躍有名になったが、津波の被害は大きく、この時点ではほぼ枯れてしまっていると見た。 保護のために幹に手当を施しているのだが。全国的にも有名になったこの松の木は周囲にガレキの集積場があり、現場に行くことは平日では作業車両がひっきりなしに出入りして難しい。 この日はたまたまお休みであったので撮影もできた。
このそばにある建物の被害もひどく2011年3月11日の津波で破壊された鉄筋コンクリートの建物は手つかずのまま放置されていた。



三陸地方にはいたるところにこのような巨大な水門が設置され潮の満ち引きをコントロールするものがあったが今回の津波には全くその効果を発揮することはできず軽々と津波がこの防潮堤の上を越していった。


今回の津波を経験した日本人は危機管理の最大の部分の予測の甘さを知らされたようだ。今後はこのクラスのM9以上のスケールを考え、予測し対策を考えなければならないことを突き付けられている。


この希望の松の木は優に20mを超す巨大に成長した1本だが、結果的には塩害さらされたようで被災の直後に真水で洗うことができればよかったのだろうが、生きることが精いっぱいで、そこまで気が付かなかった惜しまれる。 気仙川が流れているので真水を得ることもできたと考えられるのだが。


これは気仙川で震災の跡がまだ川の中に残されていろいろな遺物が水面から突き出していた。 たぶんガードレールだろうが、そんなものまで見ることができる。 この時期jはたぶんこの川にもサケが遡上してきていることだろう。


この気仙川の中間にこのような異常な光景がまだ残っており、水面下はもっといろいろなものが沈んでいて浚渫をまっているようだが・・・・・


この川を遡上した角南が左右の気仙地区と右側の陸前高田市を破壊尽くしてしまった。 奥の建物はアパート風で外形は残っているのだが完全に仲間で津波が入り込み、現在は無人の状態で解体を待っているのだ。



これがそのアパートの写真だ。 ひょっとすると学校かもしれない。 左側が体育館? いずれにしても定かではない。

蘇生のために手当は細越されているが根元が陥没しているために海水漬けになっている恐れがあったのではないか? 海水を浴びた被災地の杉や松はてきめんに赤くなり死んでしまった光景を見ている。


海のそばにあるこの建物は被災の時のままで放置されていた。 鉄筋コンクリートの建物でさえあの津波には破壊されてしまい、津波のパワーに圧倒される。

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