これは浦戸諸島の地図で人の住んでいる島は4島らしく総勢600人ほどらしい。だがやはり人口が少ないためか後に残されて復興が遅れている。 しかし2週間ほど前からボランティアも入りだし、少し回復に向かいだすかも知れない。
3月11日面影を残す島内はご覧のように家財道具や畳その他の備品が家屋の周囲に現在もまだ取り残され、塩竃の車やその他の資材が無いために取り残され、いつ終わるのか定かではないのだ。
この写真は今まで使っていた桟橋だが、3月11日以降は海水が、大潮のときこのように岸壁を満たしている。 これと台風でも重なると島内に海水が入り生活を脅かすのではないかと心配だ。
この写真は地元産のカキの選別場だが津波で海水が浸入し現在は使われていないので、閑散として、いつ前の状態に戻れるのだろうかと心配になる。 建物自体は頑丈に出来ていたようで、手を入れると再開はそれほど問題はないようだ。
これも港のすぐ近くの集落だが周囲が壊れ、周囲の家から出た捨てるものがうず高く積み上げられ景観を損なっているのだが、狭い島内ではいたしかたないと考える。
この寒風沢(サブサワ)も風光明媚な島でそれを売りに商売していただろう、民宿やお店も現在はほとんど再開が出来ていないのも現状だ。
このガレキも島民の共同作業でかなり片付いたのだが、小さな島に対しては巨大な塊のようで、ボランティアの数がかなり必要と見ている。 木材が多いので燃やすことでかなり地元で消化できるだろう。
この土嚢は島で用意したものだが土が少ないからとの理由で貝殻を入れているのも珍しい。実は土もあるのだが、そのように理解している島民も面白い、畑もあるし山もあるので土はいくらでもあるのだが、運搬手段が少ない島内ではそれに気が付いていないようだ。
これは雨が降り大潮になると土嚢も必要になっている。その原因のひとつは側溝が詰まって排水もままならないのが今回の震災の爪あとである。 いまどこでもこの側溝のつまりが排水を悪くしているのが現状だ。
ガレキが出来た3月11日だが、月日が経過するにつれ、自然も次第に元の景色に戻りつつある。
のだが島の復興には住民と地方自治体の協力が必要で現在は自治体が手を投げつつあるのが気がかりだが・・・・
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