2011年6月7日火曜日

陸前高田市の現在


長崎のグループの人に聞いたが陸前高田の水門近くにユースホステルがあったと聞いた。白い建物と聞いたのでこのあたりか? 津波をかぶっているらしく使えないと伺った。



この宮大工さんは通常は木造住宅やコンクリートの建物も沢山この土地で建築したと聞いているし、本人からこの黄色の建物も自分で立てたと前回聞いたように記憶している。 周囲の瓦礫は少なくなったが、この建物の処分はどうするのだろう?


どなたが彫ったものでしょう? ひょっとするとこの宮大工さんかな?と考えるが、これだけ彫れる人はたいしたものだ。80本の彫刻蚤を持っている人かも知れない


山の中腹にあるお寺から見た気仙町周辺の景色です。右下のブルーのシートはボランティアが運営しているお風呂で活動している時間帯は入浴することができるようです。


ごらんのように残っているのはコンクリート製の箱型の建物で後のすべては撤去され、瓦礫もあまり見えなくなっていた。 海水をかぶった土地だが緑の雑草がすでに育ち始め、雑草の強さを見せ付けている。


この個人で作った仮設住宅は先だっての低気圧で窓が壊れ、被害が少しでたようだが家の方は元気に生活されていたのに安心した。 すでに陸前高田市はかなりガレキガ撤去され整理が行き届き始め、以前の景色は見ることができなくなっていた。


陸前高田市は市街地に入るための橋2本が津波によって流され現在は国道45号線の復旧に向かって突貫工事が行われている。 話によると今年9月に開通予定だそうだ。 海には大型のサルベージが入っていろいろ仕事をこなしていた。


ここの松原は日本100景のひとつで今回の津波でわずか1本残った松ノ木が人々に気力を与えていたのだが、今回松の木を眺めて見るとすでに葉の色が茶色になり始め、枯れるのではないかと心配だ。

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