2011年6月12日日曜日
気仙沼の惨状
これは気仙沼の現在で陸上にこのような大きな漁船がまだ転がっている。通常倒壊を防ぐためにすうほんの支えがおかれ、撤去を待っているのだが、かなり陸地の奥に入り込んでいるために難しさがあるようだ。
この衛星写真は石巻の門脇小学校の写真だ。現在は肯定の前のガレキは全部撤去され、自衛隊のダンプが常駐し写真右の墓地の墓石はグチャグチャニなりどのように再生するかも難しそうだ。
これは震災当時倒壊した、気仙沼港の現場で、その上に火災が入り鉄骨までその影響がでている。 震災の被害は甚大だこの南側のドック地域はガレキの撤去もままならないようだ。そのままが残っているのが現状。
久しぶりに戻った魚市場周辺の岸壁にはまだ震災時に火災で焼け焦げて漁船がそのまま係留されていた。 数は減って、現在使っているような動く大型漁船もこの岸壁に係留され、水揚げも始まっているような気配がした。
ここ気仙沼もいたるところに『冠水』の看板があり一般車両の通行止めが目立っている。被災地の地盤沈下も深刻な問題だろう。いずれはここにガレキが埋められ、くぼみの修正に使われるかもしれない。
これは対岸のドック地区で火災にあった『味付け海苔』の社名が残っている建物で、気仙沼の企業のダメージも計り知れない。 このようなダメージを受けた建物はほぼすべて撤去されるようだ。
気仙沼港の壊れた桟橋に丸焼けの漁船が係留されている傍ら、係留地の減って桟橋でこのように活躍できる漁船の係留がまた始まった。 漁師さんが仕事を始めたのも、震災からの立ち直りが見え初めた動きだろう。
船体の白い被災を受けていない漁船の数が増えていることも頼もしい限りだ。 気仙沼の市外に深く入る時間は無かったが、震災当時より活気を取り戻し始めているようだ。
しかし同時に震災当時の丸焦げとなった漁船が壊れた桟橋に係留されているのは当時の震災の大きさ、津波のパワーの大きさを今も色濃く残している。 これらの被災地をどのように復興するかはまったく見えてこない、現在のだめな政権が浮き彫りにされる。
火災の強さを今も残している丸焦げの漁船。そしてその前の壊れた漁船。 気仙沼港の復興は長い道のりと莫大な資金を必要としており、政府のアイディアとそれを判断するしっかりした学識が求められているようだ。
そのようは気仙沼港で仕事を再開し始めたような遊覧船?生活必需の連絡船が動き始めたのも朗報だろう。 先日訪れた夕方に焼け焦げた漁船の間を運航していた。
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