2011年5月28日土曜日
釜石の被害報告
これは釜石港近くの民家の状態で密集している民家は互いが助け合ったり壊しあったり、複雑な関係で現在が見て取れる。しかしガレキの多さ、整理されていない被災地でこれくらい進んでいないのは被害の多さ、広さが原因しているのではないだろうか?
学校前にうず高く集めれれたガレキは視界をさえぎり、処理の難しさをあらわしているようだ。 粉々になり、ヘドロと絡まり、塩竃ではヘドロを土嚢袋に入れる余裕があるが、ここの被災は甚大で、入れる余裕すらないようだ。気仙沼も同様だった。
この軽自動車が見せる津波の威力、強烈さはご覧の通りで想像することが難しくない。 この石巻では分別など言っていられる状態でなく、あまりにガレキが多すぎるのでその処理に悩んでいるだろう。どこに集めよう、どこで処理しよう。
ご覧のようにつぶれてしまった新しそうな車も、安いも高いも関係なく同様に一瞬で津波に押しつぶられたのが現在、現場に残されている。哀れな姿に変形してしまった軽自動車!。
浮力のついてしまった、大変新しい大きな家屋、しかしこれは土台のコンクリートから離れることなく、土台まで持ち上げてしまい、斜めになってしまった家屋だ。この家は素人目に上げるなり、下を掘って水平を出すことはできそうなきがする。
土台を少し持ち上げたおかげで助かったのだろうか?外観は健在のようだ。しかし周囲はほとんど壊滅状態です。家屋の前の電柱も見事中心付近から折れ曲がってしまった。
それでも自然は5月、若葉の香る、美しい季節! だがその前にはガレキの現実、凄いコントラストが心を痛める。 これを見て何も感じない日本人はいるだろうか。 私は今ボランティアをしながら、日本人が変わってきているなと実感しているのだ。 家に帰るすべてのボランティアがまた帰ってくると言い残してくれることも、そのひとつだし、心を開くと被災者の方々も心を開きお付き合いができ、双方ほう心底から『心の、ありがとう!』に感動して帰っている。
これは何だろうか、多分石巻港の近くの倉庫群に入ったときの画像だ。 トラックもガレキも変に一体化し、グチャグチャになってしまったのが周辺の工場、倉庫、事務所等だ。そして臭い! 30分もいるとおかしくなりそう。魚、ヘドロ、肥料、飼料等が散乱している。それに群がるカモメたち。異常だ! それでも復興のため働いている人たちがいる。 凄い日本だ!
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