現在東京に帰って震災の悲惨さを少し話しています。あまりボランティアの必要性を強調しすぎるといけないと思いセーブしています。
ただおかしいことに自分の中で東京と塩竃がミックスされ、毎日塩竃の夢を見たり、朝起きて塩竃か東京か分からなくなることがあり、あ!東京かと、気がつきます。 少し疲れているのかも知れませんね。
石巻も春を向かえ、3月11日に大震災がおきて70日になり周囲も緑が濃くなったと感じます。 特に山々は緑が美しく春の盛りを感じます。被災地の現場は緑はあまり見えません。この写真では左上に少し草が生えてきたようです。ガレキはそのままです。
石の森正太郎の漫画館がある中州で写真はまだダメージの大きく残る橋を日和田山公園から写したもので、この中州も津波を影響を大きく受けたところのひとつだろう。
この石巻街道の橋は3月11日のガレキがまだ残ったままで、被災の大きさを感じさせる。両方の橋の欄干はぐにゃぐにゃに曲がりそれにガレキが絡んで撤去のめどは立っていないようだ。この橋を渡り、海のほうに進むと住宅の被害をたくさん見ることができ、さらに進むと壊滅的な石巻港にでる。
公園から写した橋の反対側の住宅地で津波はこの住宅地を痛めつけた。多分この川が氾濫しその勢いが強かったので多くの古い住宅を倒壊させ、新しい家屋にもダメージを残した。左の山のコンクリートで保護した部分が地震で崩壊したようだ。
これが現場に入ったときのコンクリートで固められた山肌の一部が崩落し、その下の住宅はいかがだったのだろうか?手前の家屋はやはり津波でガレキと化してしまった。
下部が崩壊した住宅はこらんのようにつぶれてしまった。 この地域の住宅はかなりダメージを受けてしまい、ほとんどの家には家族が戻っていない。
もしこのように家屋が残って上で生活していると、全壊や完全に流出した家族との間に軋轢が生じ、電気もガスも無いなかの実家での生活を求められ、食料をもらいに行くと、『あなたは家があるじゃない!』といわれ肩身の狭い思いをさせられているようです。助けを必要としている人々がいます。
このような家屋には戻れないだろう。前の瓦礫と化した家屋は自分のたちの一部?それとも流れ着いたよその家の一部? これは石巻の市街地の一部だ。
道路奥の住宅前の道路上に豪華ヨットが漂着していた。 平常では考えられない、シーンがいたるところに残され、震災の爪あとが今も変わらずのこっている。
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