2011年5月2日月曜日

被災後3週間目の気仙沼港


3週間目はまだ道路の左右に家屋から出された不用品、ガレキが散乱し、行政で車の通過を考えた道路のガレキ撤去に専念しているため、一般車両が既に一部は通行可能となっている。


ただまだ手の入りきれない路地はご覧のようにガレキが散乱し、目的地に近ずきたければ大きな道から歩いて接近するより方法はない。このような中でも住民は自分の家や、マンションに入り必要なものを探したり、持ち出していた。 この地区は天井まで津波が入っていた。


コンパクトカメラで撮影しているのでピントが甘くなっているのは、ご勘弁ください。 ゴミをできるだけまとめようとしている地区ではこのように、まとめたゴミが山のように積み上げられていた。


道路にも漁港から大きな津波に運ばれた漁船が平気で腹を天に向けて横たわっていた。 いつ海に帰るのだろうと考えた。 このように壊滅的なダメージを受けた気仙沼の港街も、着実に復興のあゆみは進んでいる。


この船の向かいは、街の交番?だろう赤色灯が軒先にぶら下がっている。お巡りさん無事だっただろうか? その前には軽自動車も違法駐車しているが、震災にまぎれて許されて?いる。


もっと移動してみるとこのような光景も当たり前に見える鉄筋の強そうなビルに木造の建物がよっかかって休んでいる光景、周囲はガレキが散乱。今後のボランティアの仕事が見えてくる。ダンプがたくさんあるとこの上にガレキを積めるのだが、今の仕事で手一杯が現状だろう。


どのような車か、差別することなく、かの巨大津波は一瞬にして街を飲み込んだ。その結果現在は東北地方では中古車でさえ、なかなか手に入りにくいようだ。 車が溢れていないので渋滞はそれほど目立たないが、当日は、やたら役所にゆく道が混んでいたようだ。


ここは気仙沼の遊覧船乗り場の近くで、非常なら、忙しく、車の往来の激しいところ。右側は緩行線に乗るためや、港を散策するための公共の駐車場の建物らしい。 周囲はやはり津波でやられていた。 ここを撮影した理由は下の写真。


津波が襲った時、この駐車びるにいた、1題の車がお尻だけ出して引き波で止まったらしい。ユーモラスな光景だだ。 こんな異常な光景は沢山見られる。 原因は釣りの浮きの原理で、人が乗る運転席は空気がたまり比較的軽く、エンジンをいれた前が重いため、お尻を上げて流された車が多い。したがっていたるところに逆立ちをした車が止まっていた。


ここも船着場前の駐車場のスペースで、当日は観光客もおらず、がラーンとしたスペースを見せていた。対岸は繁華街で、タクシーが船着場前に客待ちで待っていた。理由は日に数回小型の観光船が付く時の客待ちであった。

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