塩竃の新富町付近の今朝はこのように、住宅やスナック、その他の被災者から出された家財道具が道路沿いに出てきましたが、行政の対応は早く、夕方にはほとんど撤去されました。 外観は元に戻っていますが、しかしフォームした床下に水がたまり抜けていません。 残念ですが、9月で1時期終わりと宣言され、ボランティア募集をストップされた塩竃、明日からほとんど入らず、助けを必要とする人に手を差し伸べられず、大変困っていますが、これに耐えるしか仕方がないと考えています。
2011/09/24
塩竃の現在と筒井(とい)
今朝から塩竃市の行政は行動が早く45号線に吐き出された鍛冶道具の撤去は早く、国際日にもかかわらずゴミと撤去作業車がでて回収して回り大方、夕方には撤去が終了したようです。 ボランティアも大活躍で、市民を助けています。 いろいろなところで需要がまだ沢山ありますが、本部の決定で一時ベースを閉めるため、ボランティアを止めているので、人数が減る一方でどうすることも出来ず、悶々としています。 今日は『市民の方とのお付き合いで』ボランティアの方に経験してもらうため、高齢の方にお話し相手を送り、『傾聴を経験』していただきました。 皆さん大変お喜びで、同時に地元の方も大いに喜ばれ、簡単なお食事まで用意していただき、皆食べてくださいといわれ、最終的にはそれも完了し残りはお土産までいただきました。 感謝しています。
次は2週間ほど前にお手伝いした、筒井(とい?)の被災住宅を気にしていたので訪問しました。 途中主要道路は閉鎖され、ガードマンがいたので、別の道を通って移動し、別の道からなら入れるかもといわれ、蒲生経由で道を探し、途中から主要道路に入り、仙台ナンバーの軽トラックだったので簡単に許され、昔の現場に行くことが出来ました。 誰もいないことを期待しながら着いたら、周囲は一変し住宅がなくなって行っています。 前のおうちも瓦が無くなり。今日明日にでも解体されてしまうかな? この家も危ない!と感じています。 まず気が付いたことは台風の雨がかなり多かったようで、周囲は水田以上に冠水し、以前自分達が耕したところ、花を植えて少し高い畑、そしてキャベツと白菜、そしてブラッセルスプラウトを気にしてみたらやはり水が入り流れた後がいたるところに残っていました。 マリーゴールドも水に覆われたようだが、生きており、下に植えた区や別類も水を被り畝が小さくなっていましたが、全部生きていたのにはびっくりしました。 ヒマワリも頭を地面に落としてしまっていたので全部切り落とし、種で使えるように家の中に入れました。 びっくりしたことはフィットが来て男の人が降りて、キャベツに近ずき、見ているしぐさを見てすでに来られているな!と感じ、この家のご主人ですか?とたずねたらそうだ。それでいきさつを説明し、勝手にやったことを誤りました。 しかしすでに野菜を多分心配してこられたようで、安心し、お話も出来、任せました。影の中に植えたのが心配だともらしておられたが、左の住宅が解体されるとその心配もないかな?と感じていますが、 出来れはあと一回おせっかいで日当たりの良いところを少し開墾し、旬の野菜を植えたいなと感じています。 いろいろご先祖の話、古文書もあったのだが全部津波に流されたこと。そしてここでは畑が出来ないと嘆いていらっしゃった。 理由はガラスが沢山畑に入ったことだそうです。
住宅から排出された廃棄処分の家財道具、 中には新品の畳が数沢山含まれています。
このような家財道具の後ろの住宅で床をはがしたり、水をボランティアは抜いています。 ご苦労様です。 それを知らない人は塩竃は肉体系などと失礼な表現をします。 労働を通してコミュニケーションを図り、仲良くなる準備をしてきています。 それが理解できない人がいるのは残念です。
この後ろで仕事をしながらお話をするチャンスを待っていますが、仕事を進めないと、ご家族の生活に支障が出るからあえて、住民の方とお話をすること遠慮しているのですが、肉体労働をして楽しんでいると思われるのは心外ですね。 上の人の心が変わって欲しいと思っています。 つらいことをしない限りそれは実現しませんがね。
仙台の海沿い、荒浜から名取まで地盤の低い部分はこのように台風の影響を上k手いると思います。これは筒井付近の元水田? は満々と入っています。
まるで大きな池のようです。 このような池がいくつもあり、雑草の生えているところも沼のようです。
3月11日の津波で横転した車がまだ雑草の中に取り残されています。
ここは蒲生(がもう)地区で大きな屋根の先端にシャチホコの乗った屋敷が目立ち、しっかり立ってはいますがこのように1階は打ち抜かれた家が目立ちます。
どうしてこのような光景を多く見るのでしょう? 家の一角が大きくえぐられています。建築的にも何か原因の追究が必要かも? 津波が渦を巻いているとか・・・
電柱の住所では南蒲生地区だそうです
こんなにひどく剥ぎ取られた家もめだちます。 ここは住むことが許されるでしょうか?
まるでお寺のような造りで屋根の先端にシャチホコが乗っています。
この家もコーナーがやられています。 ひょっとすると窓から入りこんだ津波が出るところを探し次の窓から逃げるときに大きな口を作ったのかも・・・しれない
道路の左右にこんな光景が見えます。 晴天で雲がきれいに反射していました。
ショックは自分がお手伝いした家の隣で、お嫁さんと娘さんを亡くされた家がすでに解体されブロックしか残っていなかったこと。
筒井の周辺の住宅。 多分この家も書いたされるでしょう。 海抜0m地帯と言われています。
台風jと冠水にまけずに生きていた2週間ほど前に植えたキャベツとブラッセルスプラウトと白菜が生きていた。 この土地のご主人も来られて板らしく始めてお会いできたのがよかった。 面倒をみていただけそうだ。
ご自宅は多分解体だろう。この周辺で生きてゆくには問題が山積していて、水の供給も無く、電気はほんの1ぶの家庭だけ。
たくさんあったヒマワリの種を2つもらった。 全部は使えない用だので、今後増やしたい。
この野菜はこの水害がよいほうに転びそうだ。 塩害の入った土地だが、2週間生きたこと。そして塩分を多分少し希釈してくれたと思う。
岩陰に植えたマリーゴールドも生きていた。 海水だったら死んだであろうが今回は雨の真水がよいほうに転んだ。
立派なおうちだったが、すでに屋根瓦は剥がされ、買いたい直前の写真を撮ることができた。 次にくるときは多分無くなっているだろう。
半壊した家屋の7本の梁を使いたい。 お寺の柱に使いたいとご主人は話された。
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