北浜の隠れた一軒家、知らないとわからに津波の大きさ。 この家に浸水した津波の跡は自分が目いっぱい手を伸ばした、天井下の、およそ2m位まで海水が進入している。 これもすぐに取り壊され津波の跡が消えるのが残念だ。
今日のブログ文字化けでご迷惑をおかけしました。 明朝体に戻したら直ったようです。 ごめんなさい
2011/09/30
最後の塩竃ベースでした。
今日働ける人は深江君、横田さんそして私の3名。
武藤さんの仮設住宅の品物を中ノ島公園の前、多賀城カッターさんとなりの住宅、で以前に数回お手伝いして、知っているボランティアさんもいらっしゃると思います。
朝9時に仮設住宅にお伺いし、本人はそのつもりではなかったようだが、お願いして早めに処分できればと、まず今後使わないものをご自宅の2階に移動し、その後自宅の2階から冬物の移動を3名でお手伝いした。 移動は夏物で扇風機、仮設住宅で支給されたテーブル、支給された食器セット、使わない、未開封の支給品、やはりニーズをしっかり押さえていないからあまりありがたくもらってはいないようでした。 1人用の仮設住宅は狭く6畳一間、キッチン、バス、トイレ大変狭く物を置くスペースはあまりあるとはいえない。押入れのような仕切りが一つ、家具を入れるにはあまりにも狭いのが仮設住宅。 そこに平面テレビが1台、新しくもらったパネルヒーター。 自分が今後支援で必要なものは何かと聞かれて、電気毛布を先日来られた神奈川の教会の役員さんに提案した。そしたら話した通り、この高齢者も電気毛布を買いました。買ってあげましょうかと提案したが、ボランティアで助けてもらいその上買ってもらうなんて、と断られた。
電気やその他であまり出費を望まない被災者たち、冬の必需品はやはり、電気毛布と石油ストーブだろう。
その後、いろいろ買い物を頼まれ、タクシー代わりにいろいろ買い物に連れまわされた。高齢者だから、気を回す、気を配る能力が落ちているせいか、自分の仕事が出来ないくらいお付き合いさせられるのもつらいが、忍耐で『傾聴をする』能力を試される感じだ。
いよいよ明日はとりあえず東京に帰り、2,3日後改めて塩竃に戻り不足分に手を入れて、第一期が終了だろう。 第二期は教会の三島さんが考えておられるようだ。
この住宅は中に入らないと分からない、建物で、以前このお庭の雑草の除去を頼まれて、自宅の中を見せていただいてこの付近の津波のすごさを改めて認識させられた場所だが、周囲の解体が進み、すでに壊すことになっているとお伺いした古民家だ。
中央にくりぬかれている四角いくぼみは多分掘りごたつの囲いだろう。 東北は寒い冬が長いのでこのようなほろ炬燵は、いたって当たり前のことのようだ。がまた一軒古民家が消えてゆく
のは残念。
くっきりと残る津波の傷跡。 天井まではあと20cmくらいか?
昔の収納棚 津波の前はどのようなものが保管されていたのだろうとそうぞうするが、
震災後北浜に入りボランティアでお手伝いした、お米屋さん。その後もお付き合いしています。
お米屋さんのはす向かいのデジタル写真屋さん。 ボランティアが来るとよくつれて行き、震災の写真を見せていただいていました。 記念写真もたくさん写していただきました。ありがとうございました。
お友達のたくさん訪れるお米屋さん、お話によく行きました。 ありがとうございました。 またチャンスがあれば来たいものです。
0 件のコメント:
コメントを投稿