2011年9月20日火曜日

2011年3月11日のヘドロを考える



2011/09/20
ヘドロを考える。
ヘドロの被害の多いところ。 港(気仙沼、大船渡、釜石、石巻、塩竃)、この港が大きいところほどヘドロの量が深刻だ。
何が原因となっているのだろう。工業、例えば港湾にある、石炭、漁船や商船の原油、あるいはタンクから出る少量のもれた原油、時には大量に流出するかも知れない。
農業、肥料や飼料のサイロあるいは雨で流れ出た飼料や肥料の原料が海に流れる。 あるいは清掃のときに流してしまうこれらのものが自分の工場や倉庫の近くに沈殿して堆積物を作っている。
漁業、魚市場や市場を開く前、開いた後の清掃で汚れを海に流し込み毎年流れ込んだ、解体した魚の要らないものが魚市場の周辺に堆積しているはずである。それが100年あるいは1000年動かなかった堆積物が津波で動かされて地上に返球された。
巨大な製糸工場、紙を作る前にチップやその滓が海に流れ出る、あるいは製紙の途中で流す廃棄物が海に知らず知らずのうち、あるいは意図的に隠れて流される物質がその工場周辺に堆積している。
それ以上に多い、多分あまり知られていない人間の出す生活排水が生みに蓄積している。浄化し切れなかった物質。
巨大都市がヘドロを間接的に出している。 それは気仙沼で陸揚げされる魚介類は大都会に出て行っていてその間に出てくる入らないものは焼却以外に、海に流されるものが以外に多いと予測できる。 人間が必要とするものを生産していた港が自分たちあるいは都会の需要をまかなうために巷の港を汚していたことは明らかである。
400km以上の津波が311日に発生し例えば塩竃に押し寄せた塩竃に入る前に小さなでっぱりの七ヶ浜、奥松島の野蒜や東名の鳴瀬町、そして南三陸の前の泊浜を襲う、ここは大きな港の前だからそれほど汚されていない、その為に流れ込んだものは砂がほとんどであった。 女川しかり、七ヶ浜、野蒜、鳴瀬町等は砂が目立つ。 鳴瀬町前の砂浜はその砂が運ばれ、浜の近くのユースホステルのいたるところに流れ込んだ砂が証明できる、し野蒜駅でも同じように砂が目立ち、ヘドロはあまり見ることができない。
ヘドロの目立つ石巻
そのヘドロが今も流れている真っ黒な小川、これもまた海に戻されている。陸上では20cmから30cmものヘドロがいたるところに堆積している。これが運の悪いときは蒸気を上げて石巻の住宅地を襲う。最悪の匂いで、20分もとどまることが出来なかった。この匂いは魚の匂いと油の混じったような匂いが目立つがこの2つが原因をしているとは考えられない。
現在はこのヘドロを全部人手で掻くことが出来ず、今は重機で被災地の表面を取り除いているのか、土を上下に入れ替えているのか、定かではないが動かしているのは確かだ。
このヘドロが襲った気仙沼、石巻、釜石、塩竃はヘドロが家や室内、家具を攪拌しドロドロにしてしまったのが家財を廃棄する大きな原因になったと見ている。
もしこれと同じ現象の津波が関東、関西を襲うとしたらもっとひどい量のヘドロを発生させる可能性を多分に持っていることは確実だろう。
これらの問題を解決するためには毎日でも海底にパイプを置きヘドロを吸い上げる浄化装置が必要になってくるだろう。次の大震災の起こる前に港のヘドロを徹底的に除去する行動が求められている。


数えることの出来ないほどカモメが集まっている。

地盤沈下で冠水し始めた、地域。

乾燥し始めると、亀の甲羅のようにひび割れしているのが順調だ。 高圧電線も切れて穂jy歩的な電源を求めたようだ。

  
手前も奥もヘドロで覆われた空き地? 霧の発生もいたるところからだ。


仕切りと水蒸気を吹き上げるグレーの部分はヘドロが乾燥し、水蒸気から霧が発生し、匂いも最悪だった。


石巻にある巨大なクレーンが霧の中に隠れてしまった。


実際の建物のしたの床にはこのようなヘドロが侵入し、これらを掻いて取り除かないと快適な生活は出来ないだろう


向こう側のグレーの部分からしきりに蒸気が上がり、悪臭を放っていた。


ヘドロが進入した家の中、気がなえて何も出来ない状態の室内


ヘドロが乾燥した地面は亀の甲羅のようにひび割れていました。



石灰で真っ白になった魚類とそれを狙うカモメ

石巻港の倉庫から出た腐った魚類。 消毒のために撒かれた石灰だがそれを気にすることなく数万羽のカモメの群舞。

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