このスケッチはまだ取り残された奥松島、鳴瀬地区の住宅です。昨年10月の段階で上から相馬までスケッチををしながら降りてきたのですが、被災した住宅やその他の施設の撤去作業は終わりかけて、最後の追い込みのようです。 更地になった大きな被災地、特に陸前高田ではそれを感じましたが、被災した人々の住居や街がどのように復興されるかはまだほとんど見えていませんでいた。 震災後3年経過しているのですが、東北という地の利は何もないようで、神戸の震災と違い大幅に遅れているようです。
スケッチはこのようにしてきましたが、一応描いたものは皆おみせしました。 そのご何か描こうかと考えていますが毎日の生活が忙しくその後は進んでいません。
現在2013年7月24日です。 九州は暑く雨が降らないのが農業をやっている人には問題です。 自分が使っている畑は亀の甲羅のように大きなひび割れが出はじめ、野菜の生育の邪魔を始めています。 野菜が高騰しそうです。 困ったなー!
これはグーグルで見た石巻の街と海岸沿いの新興住宅地はほぼ壊滅したところで左は大きな川が流れているところで津波はここに最初に侵入し大きさと高さが異常なため当然川には入りきれず堤防を大きくあふれさせ左右の街に親友し一方、大きく口を開いた石巻は津波の直撃を受けました。岸壁に近いところは水産関係、肥料や飼料、そして造船、倉庫は軒並みにやられましたが、他の港町と比較すると復旧が少し早いと感じています。 被災地はまだまだでした。
このように大きな川は、津波の侵入を簡単にしてしまいます。 今後の対策が必要だと痛切に感じています。津波は一気に高さ5mとか10mで長さは今回の時は400km 奥行も何十kmあったか定かではありませんがこれが津波として一気に入ってきます。
これは石巻の港が見える稲佐山公園からのショットで恐ろしいのは街が太平洋に大きく口を開いているようでここに津波が押し寄せて来ました。 ご覧のように街は壊滅しました。
大きな施設が津波に耐えましたが全て被害を受け、撤去されたと思います。 周囲は小さな個人の住宅やその他の小型の関連施設が全壊でした。
大きな施設も巨大な津波とそれに混じった小型の施設住宅のガレキを押し流しありとあらゆるものを押しつぶしていった結果がこのようなシーンです。 これは大型の仕事場を解体している現場でした。
これは沖の防波堤に乗り上げたオイルタンクで直径10mたかさ10mくらいはあったでしょうか。1年半後に溶接で切断し解体してしまいました。
これは川の中の中洲で石ノ森章太郎の博物館が左に見えます。 この中洲も津波が全部覆ったと思います。 土がむき出しになっているのもその証拠です。
川沿いの住宅や施設当然、川はあの津波を吸収できず、溢れた海水は左右に海水を押し流し、破壊してゆきました。
震源地が海底のせいか揺れはあまり内陸部を壊しませんでした。所々にそれらしきものを見つけました。 揺れで落下した山の斜面です。 石巻市の住宅街近くでした。
岸壁の崩落くらいはあまり今回は目立つことなく、このように津波で全開した住宅、その他の施設、住宅の土台、がれき等が目立ちました。 石巻の稲佐山から見た左側です。
流されたか津波で足元をさらわれたか定かではないですが、階下がなくなっていると思います。2階部分が落ちています。
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