2013年7月18日木曜日

奥松島鳴瀬の被害 20110505 石巻市大日本製紙工場の被害


このスケッチは奥松島成瀬の被災地のスケッチだ。3方を海に囲まれた地区、完全に小さな漁村を破壊してしまいました。 数十軒津波に耐えて残ってはいますが、生活出来るとこれではなく、この地区ごと移転を余儀なくされていると思います。津波は2階の半ば頃まではきたようです。4mほどかな?


大日本石巻工場内の駅だろう、線路から建物まで津波でひどい被害を受けていました。その後いち早くガレキは撤去され、工事中だった新工場もオープンし再開も比較的早かったと思います。 しかし地上階にあった多くの施設の完全復旧はもっと時間と年月がかかるでしょう。


津波が入り中のものを攪拌しで場所を探して弱いところを破壊して出て行ったためにこのような現場を残してしまった。 


これは印刷のための輪転機用ロールのようだ。 多分これらはちょっとでも水に当たると、近頃は印刷の輪転機もPCでコントロールするので、使うことができなくなってしまうと推測出来る。 被災後は大日本製紙工場のまえの海側に、当社関係の紙類がうず高く廃棄されていたのを思い出す。 もちろん輪転機用のこのようなロールもしかり。


駅舎か倉庫か定かではないが津波が押し寄せ多くのものを押し流し破壊していった。 製紙工場の敷地のゆえ、紙に関するガレキが散乱していた。


しかし津波はご覧のように海から容易に入り込みこの大日本製紙の敷地をも破壊していった。地上部に置いてあった紙やその他の原材料を流し、製品等に甚大な損失をもたらしたが、地元活性化のために頑張って復旧していた。


これは大日本製紙の引き込み線の駅だろう。鉄道がたくさん入り組んでいた。 紙や原料そしてそれを燃やす石炭等が送られてくるところのようだ。


ここは石巻の住宅街から海に向かってゆく道で周囲は港の関連施設や、大日本製紙の関連施設が多く点在しているところだ。


これは大日本製紙の駅のコンテナーヤードから流れ出たコンテーナーだろうが津波でベコベコに曲げられ、最後の終着点がここになったようだ。周囲のガレキも凄いし

0 件のコメント:

コメントを投稿