2013年7月19日金曜日

奥松島 成瀬の地盤沈下湖と20110413南三陸町



このスケッチは奥松島の鳴瀬地区で港から内部に道一本国道へと通じ、そこを津波が港と右から襲い、そして左側は地震のための地盤沈下か、大きな水たまりとなり、まるで養魚場のような景色を作り出した。 この車は津波で押し流されその湖のような岸のヨシの中で水に浸かって放置されていた。昨年の10月だが、手つかずだ。


これは1つ忘れた南三陸町の被災現場で、上から降りてくると右側に被災した住宅などの空き地となった空間にガレキ等の置き場となっちた。高圧鉄塔も倒壊し、そこを復旧した臨時の変圧所ができていた。 ここはほとんど残らす、壊滅した南三陸町だ。


夕方に南三陸町に入って撮影したので少し地面は暗くなり、夕日がかたmうき始めていた。
これはどの当たりだろうか? 港に防波堤があり仕事場、漁業関係のビル等があったのだが、殆どは壊滅してしまった。


これは南三陸町の港付近で建物が密集していた所のようだが、何も残っておらず、所々に鉄筋コンクリートの建物は津波に耐えたが、外壁も内部もほぼ壊滅状態だった。


南三陸町の賑やかな場所だったが、何ものこらず土台しか残されていなかった。
破壊は今回の震災の5本の指に入る場所だろう。


津波が入り込んだ山側の斜面だ。 ここで津波は止まり、破壊したガレキはここまで押し流されてきたところだ。


ここも南三陸町で目立つところだ。 海のすぐ近くの3階建のアパートのようだが、屋根までガレキが押しあがり、長いこと放置されていたところだ。



南三陸町の住宅は多くがこのように土台を残してほとんど壊滅状態の津波のパワーを見せつけたところだ。 土台だけ寂しく残った。


奥はスーパーマーケットと道を挟んで右側は県立志津川病院の建物でこの建物にも津波は3階まで押し寄せ、多くの死者を出したところだ。


奥は県立志津川病院か? 少し定かではないが、このあたりの津波のパワーは凄まじく、屋上まで津波がガレキを押し上げていた。


これは鉄骨の建物だが、残ったモノは周囲の鉄骨だけで屋根も床も外壁そして中にあったものすべてを流しdしてしまったようだ。


これは鉄筋の建物で外部は残ったが、津波が入って内部を全部壊してしまった。


南三陸港の近くにあるビルだが、漁業かんけの多分定置網かも知れないが流されて来てビルを覆ってしまった。


中も外もどうしようもない惨状だ。 このビルの2階部分を完全に覆った津波はガレキを屋上に持ち上げた。


湾のすぐ近くにある大型のアパートで6階建てで、津波の避難所になっていた建物だが、多分4階まで津波が侵入したと記憶していつ。海側にじゅうたうのベランダ、窓のついた見晴らしの良いアパートだが4階までは津波でゴチャゴチャにされ、窓は全て破壊され、建物だけは破壊をまぬがれていた。 昨年10月にはすでに解体されて何も残っていなかった。

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