今日は大槌町のビジネスホテル『寿』近辺を紹介したいと思います。
周囲は完全に破壊され、津波のすさまじさを今だ残しています。 津波の高さは2カイン2階のふきんだったようです。
この建物は大槌町の町民が使える施設だったようで、3階は体育館のフロアーでスポーツが出来たようです。 自分がNPOを支援して移動販売のドライバーをしていた方が震災以前はここの管理をなさっていたとかで案内していただいた。
これは大槌町のcy胞民の施設で2階まで津波が入りありとあらゆるものを流しさった。
この建物がビジネスホテル『寿』で北側から見ています。 この左前に例の町民の施設があり、すでに取り壊しが決まっているようです。
大槌町に残された一部のビルで、名前はまだ知りません。これもいずれは取り壊しでしょう。
町民の施設の玄関で時計は2時40分を指していたようです。 左のまだの破壊はひどく多分津波が右から入り、内部にあった家具等を一気に押し出し一部の窓の破壊がひどいです。
原型をほとんど残していない自動車の残骸です、 どうしてこのように押しつぶされたのだろうといつも考えている。のが被災した自動車たちだ。
ほとんど原型を残していない自動車たちで、ただ赤い塗装が元消防自動車と解る、残骸だ。
町民の施設の海側はさすがに津波の威力が強烈で建物の破壊はすさまじい。
津波によって被災した近頃のビルは天井からすべてのものが落ち、電線や天井を支える金具冷暖房のダクト等がすべてぶら下がっている光景だ。
一段と高くして作られていた小部屋も粉々になったガレキ、(多分住宅のガレキだろう)が産卵している。すさまじい光景だ。
大きな柱も多分表面を綺麗にカバーしていただろうが、被災ごは哀れ鉄骨をむき出しにしている。
鉄骨の表面が完全に剥ぎ取られ鉄骨が
2階の部屋に散乱した粉々になったガレキの残骸で、破壊してきた家屋が津波に押し出され、この建物の中に押し込まれたようだ。
戦争の爆撃でさえこんなに小さくならないのではと、推測するのだが・・・・
この建物の中のかぐ一切行方不明だそうだ。 津波に流されて出て行ってしまったようだ。
本や漫画本も見つけられるが、それはこのビルの斜め前に大槌町の図書館があるので、その本かも知れないが、定かではない。
被災することなく、今でも使えそうな体育館のフロアーだが 面白いことのカラスが沢山死んでいた。どこからか入り口を見つけたが、帰り道を見失ったのか。
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