このスケッチは気仙沼の焼けた市街地にある3階建のビルだがこの地区一体が焼失したので、このビルの1階の右端に火が入ったようで炎が上に吹上げ外壁を焦がしていった証拠が残っていた。同時に津波も2階までは侵入したようでサッシが壊れているのでわかった。
写真は南三陸町の11年四月でこのビルの結果は3階まで津波が侵入し破壊していったようだ。 海からそれほど遠くなく海水も10数mの高さがあったようだ。
奥に白く光っている部分が湾内の海面で鉄筋コンクリートのビルでさえこのような津波の被害を受けています。 右側のビルの隣は床の面しか残っておらず、上の部分は破壊され、流されて何も残っていなかった。
このビルの破壊も凄まじく、鉄筋の壁面も粉々に壊れ、津波のパワーの凄さをビルの外部に色々残していた。
上のビルは定置網の網とそれを支えるブイが流されてこのビルに巻きついて凄い様子を見せていた。南三陸町も色々回った、このビルの破壊が一番すごかったと記憶しています。
これはエネオスのガソリンスタンドだろうが、それを推測させるモノはわずかオレンジのベルト状の壁面だ。右側は自分の敷地のものか、他から流れ着いたものかは定かではないが・・・・ ここは県立南三陸町病院の斜め左前に位置していました。
ここでも鉄骨構造の弱さを、見せつけられたようだ。残ったのは柱と、接合した1、2階部分の接合が曲がり、今にも倒れをうな雰囲気だ。
ここは港か川か、定かではないが、多分川の河口部分で橋がかかっていたようだ。 橋の欄干は全て曲がって折れてしまったようだ。
このビルも窓から入り込んだ津波とガレキが出るところを探して反対側の窓から室内の調度品を攪拌し出ていったために窓サッシがほとんどなくなっていたを推測出来る。
このビルにも魚の網が巻きついて凄い様相を呈していた。 南三陸町の解体は比較的早い方で、
残されていたこのようなビルも今は解体されてしまったようだ。
これは南三陸町のせり出している山の下だが、残されているものは残骸だけであった。
奥の高台の住宅だが高台の上の2回建てだばその2階の屋根まで浸水し破壊していった。
漁港や海が近く定置網も仕掛けてあるので津波によって持ち去られた漁網がビルに巻きついていた。 鉄筋のビルは被害は均等に受けているのだが、破壊や外壁の欠落は少なかったようだ。
土台から引きちぎられた住宅は内陸の奥まで津波によって流されて来たようだ。
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